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最初に出逢うことの不思議

11月 30, 2020

部屋の窓から遠くを見つめる女性

今日は

ふと、高校時代に仲良くしていた人のことを思い出しました。

その人とは普段のコミュニケーションはないわけですが、

私は中学の時からその人を知っていて、ずっと

格好良いなぁ。

と思っていました。

その人は女性で、

たぶん、最初に

憧れ

の気持ちを抱いた女性であったようにおもいます。

私から見て彼女は、

私達の世代をとっくに通りこし、大人の世界にいるような、

もっと高い次元で生きている人

のようにも見えました。

当時、私はよく

チャーリーズエンジェルを見ていて、

エンジェルの一人が事件解決後につぶやいた台詞に、彼女のイメージが重なりました。

確か、こんなセリフでした。

あなたって、いつも右を向いてるわよね

え?右向いてる?まさかぁ。

私はただ

可能性の方を向いているだけよ!

ほんとうに、彼女はいつも「可能性」という方向を見ていて、人の様子ばかり伺い動いている私なんかとは違い、

きちんと自分の意志をもって、

あるべき方角に進んでいる人のように感じました。

それでいて、ちっとも気取った感じがなくて、人を笑わせるのが上手で、

たいてい輪の中心にいました。

なので、

同じ高校にあがったことを知ったとき・教室の中でその人を見かけた時、しかも同じ班になった時は飛び上がるほど嬉しかったのです。

でも、そうは言わないまま今に至ってしまいました。

彼女は知性も高いし、運動能力もとても高く、今でもバスケットやバレーで汗を流していて、沢山の人から慕われています。

彼女と知り合ったことが、

後に伴侶となる人との出逢いを引寄せたことを思うと、

あの日学校の廊下で彼女に尊敬の眼差しを注いだ瞬間から、私は導かれていたことになります。

 

私達には、未来に向かって思いを馳せる力「想像力」もありますが、

その未来になって初めて

過去の出来事の中でなぜ、あのことが、あの瞬間があんなに気になってしまったのか、ひときわ煌めいてみえたのか、

その正体がわかる

こともあります。

 

今、私はPCに向かっていますが、

このブログ開設に導いてくれた人

は、このPCを開いて最初に出逢った方だと思っています。

私は

その人にすすめられて、最初のHPを作りました。

それは、自分が書いて見るだけの日記でしたが、

その経験なしに、このブログはできませんでした。

その方は、今やHPデザイナーとして会社を経営していますが、

当初見せてもらった写真で、その人は建設関係の仕事をしていて、ヘルメットをかぶっていました。

彼もまた、その職場の先輩から

デザイン関係に進んでみたらどうか

という指示を受けたという話をしていたので、きっとその「縁」に導かれているのでしょう。

残念ながら、今は音信は途切れていますが、それぞれに、ある役割を果たす有効期限的なものがあるのかもしれません。

 

また、いまだスマホを持たない私が、

何故PCを購入することになったか

考えると、そこにも驚くほどの縁があります。

「最初の出逢い」は、自分を次のステージに導く師となる

と言われています。

 

あなたもご存知のように、

ヨガには

グル

という言葉があります。

これはサンスクリット語で、

「導師」=「先生」

を意味するといいます。

日本で始めてアシュタンガヨガの正式指導資格を取得したケン・ハラクマは、彼の書籍の中で

ヨガを通じて内面の成長を助けてくれる師に出逢えれば理想的ですが、

必ずしも最初から理想の師を探す必要はない

といっています。

また、何かを始めてみようと思う時、本や雑誌、DVDなどを手にとると思いますが、そうしたことに触れ、

一番始めに手に取ったもの、それがその人にとっての「先生なのです

ヨガを必要としていれば、最初に出逢ったものが、次にもっとヨガに近づくための出逢いを引寄せる

求めているものは向こうからやってくる

と言ってもいます。

 

これは、

ユングの「共時性の原理」にも通じていて、

中国のことわざにも

 

その心の準備ができたとき、ちょうど師匠がやってくる

という言葉があります。

私達は、誰でも

自分の心の向きに道を開いてゆきます。

ただ、「それについての」心の準備がない時に出会っても気づかず、やり過ごしてしまうでしょう。

そして、

ようやくその心が開かれる時、その心に見合った人物なり出来事に気づき、目を見開くような衝撃を受ける

のではないでしょうか。

 

私達は

対価を払って必要なものを得ているように思えますが、

実際

本当に自分に必要なことは向こうからやってくる

のかもしれません。

 

自分の娘たちのことを考えてみても、生活していくのに精いっぱいで

習い事など一切させてあげられなかったのに、

いつしか長女はダンスの道へ、現在はインストラクターを経て、モデルの仕事もしています。

二女は高校を卒業するまで弓道に明け暮れていたのに、

なぜか卒業まじかになってギターを購入し、路上ライブをしだし、一人都会へ出てゆき、

そこからまた、それぞれに人生が展開していきました。

勿論、余裕があって「経験」できることがあるならしたら良いと思いますが、

それぞれの事情の中で、できることを創意工夫していけばよく、

何がなんでも、他を犠牲にしてまで何かをしなくては

自分の役目は果たせない、願いを実現できない、ということはないようにおもいます。

先に紹介したケン・ハラクマも、書籍には、「ヨガの道に進んだのは30歳を過ぎてから」と書かれていました。

 

あなたが

何らかの目的をもつことには、必ず意味があります。

その目的に向かって生きる中で、

例えば

友達の何気ない一言の中に、真実を見つける、などのこともあるでしょう。

私達は、そうとは知らないまま、

他人のシンクロニシティに参加していることもあります。

思い付きや気まぐれでしたことが、

誰かの役にたっていて、びっくりしたことはないでしょうか。

あまりにさりげなくて、私達は

その時導かれているなんて、気づきもしないのです。

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