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何もかも失った、と自暴自棄になっているのですか

11月 20, 2020

「何もかも失った」と思うのは、成長したり、表現できる世界を失ってしまったから

何か、大きなものを失ったとき、

人生終わった、

と思うことがあります。

家族、恋人、家、仕事、財産・・、

自分にとって、かけがえのないものであるほど、

それのない未来などはなく、

この先の自分の人生には意味がなくなり、幸せもなくなったように思えます。

この落胆からは、決して這い上がれないだろう

と思えます。

 

私達が幸せに生きるためには、思っている以上にたくさんのことが必要で、

それまでの人生で獲得してきた何かが欠けてしまうと、立ち直れないほど辛い思いをすることがあります。

 

また、

私達は、成長とともに

自分の能力の使い道がわかるようになるし、

自分を表現できることの素晴しさ

を知るようにもなります。

それを活かせる時には喜びがあり、その機会を与えてくれた人に感謝し、

生命は輝き、明るく生きることができます。

でも、ひとたび

そうした場所や機会を閉ざされると、毎日が空虚で味気なく、絶望へと追い込まれてしまうこともあります。

◆それは、過去の経験が通用しなくなるということ。

私達は「物質世界」に生きているので、

快適な生活をするには、自分を快適にしてくれる物に

依存して生きて

いかなくてはならず、その依存度が強いほど、

深い無力感を抱きます。

物質や対象に固執しているほど、

希望を見つけることは難しい

と感じます。

ただ、

ご存知のように、

全ては成就壊空

成立し、安定して存続し、崩壊し、再び成立する)。

変化こそが、絶対の摂理

です。

身に起こったことは、自分が望まなかったことであるかもしれませんが、

新しい生きがいを探すタイミング

であるのかもしれません。

実際このような窮地に立たされると、そう思うしかないし、恋愛でもなんでも

あることが終わったということは、次に進めというサイン

ではないかと思います。

 

でも、

今はそのタイミングではないんだ、

自分のやり方で進めたいんだ、

あなたは主張したくなるかもしれません。

幾ら叫んでも

今回に限ってはそれが通らない、

抗いがたい力によって、人生の方向を変えられてしまい、

これまでのやり方が通用しなくなり、途方にくれ、事態を冷静に見つめられなくなります。

パニックに陥っているときは、

よりよい道を探す、

という、当たり前のことさえ難しくて、

自分で自分の幸せを破壊する方向に走ってしまう

ことがあります。

 

どうしても、

それができていた

頃の自分と今を比べてしまうし、周囲からの気遣いの言葉もはねのけてしまい、

(おまえに何がわかるんだ!)

些細な言葉の中に悪意を感じ、心をえぐられ、人を嫌いになっていくことがあります。

◆新しい景色を目にする前、どん底の真っ暗闇を通ることがある

自分にあれがありさえすれば・・、

と思っているとき、

それを容易く手に入れている人に対し、よい感情を持てないことがあります。

健康な人・外見の美しい人・教養のある人・・

に、痛烈な批判を浴びせたくなるかもしれません。

そうした否定は、

古い「価値基準」から解放されるための

必要なプロセス

ともいえ、

最終的にあなたが「もうこれ以上こんな感情に引きずられたくない」と思うところまでやってくるやいなや、それらの感情は力を失います。

底辺から這い上がりながら、

あなたはきっと「新しいいきがい」を発見していくでしょう。

 

崖っぷちまでいって、初めて絶景を目にすることができるように、

本当に怖い思いをしないと、みえてこないものもある

のだと思います。

 

与えられた人生の醍醐味を味わおうとせず

何がなんでも

これまでと同じ生活・生き方を維持しよう

と思っている時、

あなたは大変苦しい思いをします。

 

以前の記事で

「片付け」を「生き方」に重ねてお話ししたことがあります。

夢占いをしていても思うのですが、

例えば自宅のクローゼットの中身を全部 無くして

まっさらな状態にしたとき、何を考えるでしょう。

たいていは、そこに

これまで培ったセンスを生かした、もっと素敵なものを入れようと考えるものです。

或いは、

そのシンプルな環境を気に入り、

本当に必要なものだけをとり入れる習慣を手に入れるかもしれません。

どちらにしろ、あなたは以前よりも創造的になり、いろんな可能性を手に入れるでしょう。

失ったものが恋人であれ、仕事であれ、あなたの「生」の

質(クオリティ)は

以前よりもあがっていることは間違いなく、経験はずっと

豊か

になっています。

「何もかも失った」と思った時、これまでより大きなものを受け取る前ぶれであることが多い

喪失と引き替えに得るものがあるとすれば、なんでしょう。

これまで経験したことのない自立と強さと自由、

物質界で変わり続ける環境に翻弄されない強さ

でしょうか。

人生をより楽しむことができるようになる力

でしょうか。

その

は、いったいどこからくるのでしょう。

その力・生命力は

過去を悔いたり、未来を憂いたりして

今を、今日というかけがえのない時間と精神を失わない!

思い定めた時

心の奥深いところから沸き上がる

のではないでしょうか。

あなたの中には、あなた自身でさえ、想像できないほどの力と叡智が眠っています。

あなたがひとたび決断しさえすれば、

覚悟をきめることができたなら、そのパワーを手にすることができます。

だから、

生命が躍動するものに触れていく

ことが大切です。

あなたの望む幸せは、もっと

違う形で

やってきます。

それは、

あなたの望んでいたタイミングではないのかもしれないけれど、

次に進む時がきた

合図なのだと考えましょう。

 

子どもの頃、私達は

こぶとりじいさんや、花咲かじいさん、金の斧などのお話を聞いて育ちます。

そして、だいたいその結末は同じ、

本来は欲張りを戒めているはずが、

ちっとも欲張りではなかった主人公が、大金や宝物を手に入れる

のです。

私達は、そうした昔話から、本来とは別の教訓を得ることもできます。

それは

何かを手放したり諦めたりする力は、もっと大きな財産を扱うのに必要な力である。

ということです。

失うことを極端に恐れていたり、今までの「自分の価値」にしがみついている間は、人は大きな宝物や幸せを受けとる状態にはないのかもしれません。

追記**

絶望は、覚悟さえ決まれば蘇生の人生となる

窮地に立たされたとき、本当に

死にたい

という気持ちになります。

だから、本当に一度気持ちの中でそうして、

あたらしい蓮華子を生きよう、と思ったことがあります。

あなたが同じような状況にいるときも、本当に死ぬ必要などなくて、

あなたが

おおさかひょうごさんなら、

新しい

おおさかひょうごを生きよう、

とすることが大切なのではないかと思います。

 

そうして進むことができた人は、

以前より物事に明るくなるというか、ひとつ

突き抜けたような明るさ

を手に入れます。

自分はどういう風にだって生きていける!

そうやって、私達は本当の意味で成長を遂げていくのではないでしょうか。

 

私達の細胞は絶えず入れ替わっています。また、生存が困難な極限状況に置かれてなお順応し、進化を繰り返してきました。

人は、現状に満足しているときよりも、

幸せを求めるその過程にいるときのほうが、思索を重ね、自分を深めていけます。

今まで知らなかった、未知の領域を発見し、それが使命となってゆくことがあります。

「変化への挑戦」は、私達の生命の本質

なのでしょう。

そう考えるとき、

何度も生まれ変わったような気持ちになって生きる

ことは、実は至極自然なことではないか、とも思うのです。

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