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カルマに縛られて生きてはいけない

3月 25, 2021

◆「カルマ」を説いた釈尊の本義

「カルマ」とか「業」という言葉の響きには、どことなく暗いイメージがありませんか。

重いくさびのようなもの、人の意思を超える力として、

人生を支配している

ような語感があります。

でも、釈尊が「カルマ」を説いた真の目的は、

人間の自由を明らかにするため

であるといわれています。

釈尊は、幾つもの説法の中で、

人は行為によってどのようにもなりうる

と示しています。

◆カルマをつくる「過去世」を、あなたは信じる?信じない?

「カルマ」以前に、

生命は継続する

という考え方に、抵抗がある方もいらっしゃるかもしれません。

TVで有名な方が

人生は一度きり。前世とかは信じていない

と語っているのを、聞くことがあります。

例えば

神様がいて、神が宿命を決める

という決定論を信じる人もいるでしょう。

そこには、

ひとり一人が自分のカルマを作る、

という自由や可能性はありません。

思想は自由であり、それについて誰かにとやかく言うすじあいはないでしょう。

私個人は、いつもお話しているように仏法を学んでいるので、

たとえば

人生というものは本の中の一ページのようなものであり、一つのページを読み終えると次のページが開かれる、

そんな考え方に基づいています。

「カルマ」というのは、仏教特有の言葉で、その法を私も学んでいますが、

カルマをおそれて生きているか、というと

私の知る限り、周囲にそのような人は殆どいません。

魂は永久に続く

という考えに基づいているからでしょう。

◆カルマを受け容れても、従来の「宿命論」に振り回されてはいけない

転生輪廻を受け容れ、良い行いをしようと考える

一方で、

どうせ自分はダメだ

宿命だから

カルマのせいだ

などと、諦めの生き方になってしまうこともあります。

自分にとって都合の悪い状況にあるとき、後ろ向きな考えになりがち

です。

そのような時は過去も未来も一緒、

何をやったって、変えることはできない、

 

と考え、

「過去に縛られたまま」になり、前進を阻んでしまいます。

これが

カルマに縛られた生き方

です。

人は、そんな風に

ちょっとしたことから停滞したり、間違った方向に流されて続けてしまうことがあります。

そもそも、私達人間には

性善、性悪ともに備わっていて、

ちょっと悪い考えを持ったために、悪い行いとして犯罪者になることも起こりえれば、

ちょっとしたことで良い考えを持ち、同じ人生の中で善良な人に生まれ変わり、

人から尊敬されるということも起こり得る、

簡単に良い方向にも悪い方向にも変わるわけです。

人は、

外側からの刺激・縁・内側からの理性・意志力・生命エネルギー

などによって、簡単に変わる、

でも、だからこそ「転換」していくことが可能なのだ、と釈尊は説いているのです。

◆カルマとは、諦めの宿命論ではない。

人もまた小宇宙である

という考え方は、多くの哲学者が語っているところです。

決して神秘の中で、曖昧な表現をしているのではないし、ファンタジーでもありません。

医学が発達するにつれ、

太陽と月、星々・・森羅万象の働きの一切が、人間生命の中に備わっている

ことが、明らかになってゆきます。

 

私達の身体は、宇宙と同じように、臓器や細胞間で、様々な情報をやりとりしながら調和を保っています。

生命とは、

自然界におけるエネルギーと同様、

作られもしなければ突然消失したりもしない、

宇宙のもっている根本的な性質

なのです。

あたかも

海の水が水蒸気になり、雨になり雪になり、また地表で解けて川となり海となるように。

その本質は「水」であることに変わらぬように。

私達の本当は「魂」であり、

死によって古い器から抜け出ると見えなくなりますが、

生まれ変わった時にはまた、あなたは宇宙から前世で培ってきた要因を引寄せ統合し、

適切な場所に、適切な姿形で生まれ、新たな自分を創ってゆきます。

(必ずしも地球に生まれるとは限りませんが)

「水」に例えてしまいましたが、水もまた、様々な経路の中で

賢くなっていきます。

泥水の中で停滞することがあっても、やがて天空へと消えていき、雨水となって地上に降り、

また様々な場所を流れ濾過され、良き水となり、再び天空へと消える、

こうした自然現象の中に、私達はよく自分達の「生」を重ね合わせます。

 

死は、

一日のリズムでいえば「眠っている」時と同じ状態

であり、次の日に目が覚めた時、いきなり別人になったりはしません。

「過去世・現世・来世」を信じられないという人も、

私が

昨日があり、今日があり、明日がある、

と言ったら、「何をわかり切ったこと」と思うはずで、

そんなデタラメなことを言うな!という人はいないと思います。

同じ理屈で、

人は朝目覚め、日中活動し、夜になって疲れると眠りに入り、次の朝また目が覚めます。

翌朝目覚めた人は、昨日の自分と同じであり、それを疑う人は一人もいません。

昨日、あるいはそれ以前の日々に行ったことは全て今日に影響しているのであり、

昨日は過去世に相当し、今日は現世、明日は来世に対応します。

これは仏法の存在論なので、それとは違う解釈をしておられる方もいらっしゃると思います。

それでも、

その過去の自分・昨日の自分を受け継ぎつつも、

今の自分の一念で

その意味を変えて行動を創造しよう、未来を開いていこう!

とすることが大切であるとは言えないでしょうか。

一瞬一瞬には、過去のすべてと未来のすべてが詰まっている

私達は瞬間瞬間、幸・不幸や苦・楽を感じて生きています。

その現在の一瞬の生命は、過去の原因にもたらされた結果

です。

このことは、誰にもわかると思います。

そして、

現在の一瞬の生命は、未来への原因でもあります。

こうしたことは、

理屈の上では当然なのですが、実際日々の営みの中では気づきにくいこと

だったりします。

 

瞬間に起こった生活の事実を、絶えず未来の原因とする。

それがどんなに不幸な結果であったとしても、

心の一念によって幸福の原因としていける

生命から出発していく

ことが大切です。

それが

揺るがぬ幸福な境涯へと生命全体が向かっていく生き方

です。

仏法で解くカルマは、決して諦め的な宿命論ではない

のです。

 

人が生まれかわるのは、過去を埋め合わせるためでしょうか。

そうではない、と私は思います。

あなただけの個人的な都合で生まれ変わる、

決してそんな単純な事情ではないはずです。

あなたがこの地上に降り立つのは、

それが

宇宙にとっても前進への影響を与えるから

であり、あなたもまた、

「闘い続ける」者だから、この世に降りたってい

のです。

他の魂と交わり会い、影響をあたえあうことに意味があります。

この人生の筋書きを、あなたの開拓精神でよきものに変えてゆこうとすることが大切です。

この人生で幾つもの「逆転劇」を描いてきた、

あなたの人生そのものが、他の人にも自分の未来にも影響を与えていくのであり、

私達の人生はいつだって 今、ここから 始まっていくのです。

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