休日の独り言

貧乏だったけれど、ちゃんと幸せはあった(*^-^*)

2月 2, 2021

 

今日は記事を書き終えることができるかわからないので、

「休日の独り言」でいきたいと思っています。

過去の記事の中で、貧しい生活をしていた頃のことも触れているので、

改めて「貧しかった時代」を語る必要はないかもしれませんが、私自身は時々思い出し懐かしんでいたりします。

もしかしたら、

この記事によって希望がもてる人もいるかもしれません。

 

私は

人生半ばで何かの弾みで貧乏になった、というわけではなく、

母から聞いた話からしても、生まれた頃から物資に恵まれていなかったようです。

私の母は、

離婚直後から看護婦の資格をとるために学校に通いだし、私達は寮で生活することができましたが、

元来の気性の強さが悪く働き、家(市営住宅)を転々とするはめになりました。

初めてアイスクリームを食べたのはいつだったのかな・・と思うのですが、あまりに可哀想に思った人が

これでアイスでも買っておいで

と言ってくれると、それも貯金箱に入れるような子で、そろそろ貯まったかと思っていた頃、

弟に全部使われていたことを知り、大きなショックを受けたものです。

弟を可愛がっていた母も、この時ばかりはひどいお仕置きをし、それを私が止めに入るという顛末でした。

 

今も決して金持ちなのではありませんが、こうしてPCを使ってお話をすることができるようになりました。

ただ、結婚して暫くは

狭くて古い二階建ての家での4世代同居生活でした。

それでも屋根がある生活ができていたではないか、と思われるかもしれませんが、

家屋は本当に古いため、隙間風が凄く、これを言うとひかれてしまうのですが、年中天井をねずみが走っていました。

友人がそれを面白がって、子供と一緒に見に来たことがあります(^_^;)

子供の保育園のかばんにパンの匂いがするせいか、かばんを何度かかじられ、立ち尽くしたことがありましたが、それだけではありませんでした。

夜中に物音がして「なんだろう」と電気をつけると、沢山のねずみに囲まれていて、一番幼い子供の指をかじりついて凍りついたことも。

 

当然そのような場所から出て生活する、という選択肢もありましたが、一旦入ってしまうと「出る」という選択は大変難しかったのです。

年寄りを置いて家を出た、

という非難を受けることを、私は恐れました。

4世代同居といっても義母はいなくて、どちらにしろ祖父母の世話をすることは約束されていたのです。

ねずみが出る、ということでは蛇もよくでました。

台所で洗いものをしていると、頭の上で蛇がネズミを呑み込んでいて、

「上を見ないで!」という声にびっくりして上を見てしまい、失神しそうになりました。

お風呂は後から外に取り付けられた形であったため、冬は子供を抱えて外と中の往復が大変で相当の覚悟で過ごしました。

それでも、

こんな非日常的な体験をしても、やっぱり「あの頃」を懐かしいと思ってしまう。

私が生きることにがむしゃらだったときー

一つの布団の中で、子供達を湯たんぽに(^_^)寄り添うように寝ていた時を、もう一度体験したいと思ってしまいます。

たぶん、「それを超える幸せ」を、私は見つけたいと思っていたし、見つけることができていたからでしょう。

「危ないから」という理由で暖房機器を購入しても取り上げられてしまったものの、

おかげで夜は早く就寝できたし、10年以上新聞を配達することもできました。

家でも結局寒いので、冬も朝からお日様の下で子供と過ごすようになりました。

その甲斐あってか、私と違って水泳やソフトボール、弓道など運動好きな子に育ってくれました。

想像する人によっては「悲惨」な光景だけが見えるかもしれませんが、

茂木健一郎さんの書籍「今、ここからすべての場所へ」で言うように、

「与えられたものの中でやりくりする楽しさ」

が、確かにあったのだと思います。

子供達が大きくなると、

「うちの冷蔵庫って、何も入っていないね」とよく言われました。

仕事を始めた頃は、まだ「携帯電話」が主流ではなかったため、子供達から職場に電話がかかることもありました。

「お腹すいた!」

「昆布を食べていい?」

私:(え。昆布なんておいてったっけ・・?)

「出し昆布、って書いてある!」

そんな会話が職場の人にも聞こえてしまい、大笑いされたことがあります(^_^;)

以後、出勤の日は子供達のおやつにおにぎりや僅かなおやつ代を置いて出掛けましたが、ひとり一人に

その在処を探せ!

と探索地図を添え、味気ないものに終わらせないようにも努めました。

 

恵まれた状況の中で、そうしたことはきっとできなかったと思います。

成人式を迎えた頃は、もうそのような生活ではなくなっていて、

子供達にも、一人づつ携帯電話を所有させていました。

殆ど塾にも通わせてはいなかったし、いろいろ不自由な思いをさせたと思っていたのですが、成人式の日は、子供達それぞれにお礼を言われ驚きました。

私のような者の元に生まれて、お礼まで言われてよいのだろうかー

「お母さん、うちは貧乏なのに、ちゃんと成人式をさせてくれてありがとう」というメッセージに

私はどう返信したらよかったか・・今もわからないままなのです。

つづく いつか(^_^)

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