「休日の独り言」第二弾です。
のんびりいきます
最近、よく考えていることの一つが「変化」です。
私は元来臆病で怠けものです。
だから、なるべく変化が起こらないことを願っていたりします。
けれど、実際の人生は波乱に満ちていて、どんなに静かな時間の中に身を委ねていたいと思っていても私を揺さぶり、
重い腰を上げさせようとします。
物事がスムーズにいっているときに限って、大きな変化がエネルギーを蓄えて出番を待っています。
「ああ、またきた・・」と、身を隠したくなる私と、
「さあ、行くよ!」と、私の手をひっぱるもう一人の自分がいます。
ただ、静寂な中に身をおいて生きている時と、変化を受け入れ対応している時とでは、やはり後者のほうがなんとなくよい道に誘われていた気がします。
勿論、その時にはわからないのですが。
万物は移りゆくもの、その変化を受け入れている時のほうが宇宙と共鳴しあっているのでしょう。
過去「ハインリッヒの法則」について記事にしましたが、あの事故があって以後、
何か予期せぬことが起きた時には「この経験は自分に何を促しているのだろう」と考えるようにしています。
大した変化でなくても構わないのです。
ある状況にであって理解するだけでは不足で、それに馴染んで応用し、自分のものとして生かすことが大切です。
それがこの世界での「成長」なのでしょう。
何もかもそれまで通り!なんてことはないのでしょう。
もしも
これをしたらもう悩みなど一切なくなります。あなたも一緒にどうですか?
などと言ってアピールしているような人がいたら、用心したほうがよいでしょう。
私達は常に「異なる世界観」への飛躍が求められています。
成長し続けるがゆえに「悩む」のですから。
変化への挑戦が生命の本質
なのです。
いつ「方向転換」を求められてもいいように、予め認識しておいたほうが不安や恐怖も少なくなります。
私達には予め決めた人生の設計図があると言われていますが、新たに他の道を書き加えることだって、できるのだと思います。
それが唯一与えられた「自由意志」の成せる技です。
変化が必要な時にそれを拒み、
安逸を貪ってしまう状態にある時は、例えば
渋滞に巻き込まれ続けてイライラしていたり、赤信号だらけの道を走っているようなもの
かもしれません。
そこにいればみんなと一緒にで安心ではあるものの、
目新しいものには飢え、遅くてグチや文句も多くなり、おまけに目的の場所へも遠くなる、
そんな気もします。
私達は、ちょっと
気づいて他の道へすり抜けることもできます。
ロバートモンローの書籍を読んだ時のことを時折思い出すのですが、
(「魂の体外旅行: 体外離脱の科学」)
彼の言う「向こう側」の中で、
過去世の自分や、過去の幸せの中にいつまでもしがみつき、
抜け出せなくなっている人
を見た時のシーンが描写されていました。
モンローは肉欲の中にうごめいている人を何度も救い出そうとするのですが、その都度その人達は彼の手をふりほどいて、積み上げられた裸体の中に入って行ってしまうのです。
その人達は、この世界で体験した「性欲」に閉じ込められて生きているわけです。
向こう側の案内人は、「多くの人がこのような段階を経験する」のだといいます。
モンロー自身もショックを受けていましたが、私ももしかしたら今、そのような段階にいるのかもしれないなぁ、と思い
ひやっとしたので覚えているのです。(^_^;)
今日は外出しているので、このまま中途半端で終わってしまうかもしれません。
一旦終了して あとで(もしかしたら明日)仏法でいう「九識」=「宇宙意識」についても書き連ね「変化の大切さ」を考察してみたいと思っています。