ツインレイの恋愛には「試練がある」、
と言われます。
その代表が サイレント期間。
期間は人それぞれで、数ヶ月で終わることもあれば、数年に及ぶケースもあります。
もしかすると、
一度きりのサイレントではなく、何度も離れたり戻ったりを繰り返した先に結ばれる──
そんな形になる人もいるのかもしれません。
ツインレイの特徴としてよく言われるのが、
「愛し合っているのに、なぜか一筋縄ではいかない関係である」
ということです。
特に 大きな試練や障害が“あえて”用意されている ケースが多いとされます。
ツインレイが出会うのは人生の後半である
とも言われています。
心理学者ユングのいうように、
それぞれが「人生の午後」を迎え、
求める「幸せ」が内面の充実へと切り替わっていくにつれ、
精神面で繋がる人を求めるようになる
からかもしれません。
若い頃に出会っていても、
外的な要因が邪魔して、お互いを惹きつけられない、
「肩書き」とか、「年収」とか、見栄えなどー に
かき消されてしまうのかもしれません。
愛し合っているのなら、離婚して再婚すればいいのでは?
今の時代、高いハードルではないだろう、という声もあるかもしれませんが、
それができない事情が課せられていたりします。
例えば、
自分や相手が伴侶やその親と仕事で提携している関係であったり、どちらかが伴侶やその家族を養わねばならない事情があったり、
様々あるでしょう。
中には、結婚生活が順調だった時に「離婚する際は慰謝料を払う」約束をしていて、それがとうてい払いきれない金額で、逃れようがないというケースもあります。
ツインレイには霊性の高い人が多い、
とも言われていますが、無責任な逃避ができず
自分だけが幸せになればいい、
という考えに至らないからでしょう。
では、
勝手に姿を消すランナーは無責任な行為ではないのか、
という疑問も生じます。
一体、この試練は
前進なのか後退なのか、幸福なのか不幸なのか、栄光なのか悲惨なのか
ツインレイの試練は、
前進と後退、幸福と不幸、栄光と悲惨──
その境界を何度も行き来するような感覚を生みます。
このようなことを踏まえても、
肝心なのは
「不動の自分」を確立していくこと
にあるのではないでしょうか。
それは、この世界で生活する人達全員にあてはまることであり、
自分を愛することが大切だと言われるのも、自立が必要だと言われるのも、執着心をなくせと言われるのも、
この
不動の自分を確立していくため
なのでしょう。
良い意味でも悪い意味でも、
私達は変動常なき状態に置かれています。
そうであるほど「不動の自己」が確立されなければなりません。
相手を愛していれば、当然
「一緒にいたい」という思いは強くなってゆきます。
最初は純粋な愛であっても、相手が既婚者であった場合、その家庭について考えるとき、
上手くいかなければいいのに
などのような気持ちに変わっていく可能性もはらんでいるわけです。
相手の立場に立ち、物事を考える人であるほど、魂が汚されていく気がして
苦しくなります。
相手の幸せを願っているはずなのに、
心の奥底で不幸を願っている気がして、そんな自分が許せなくなっていきます。
たいていの場合、苦しみは、<8>でお話した「宇宙の営み」に反していることからくるように思います。
その行為が
「慈悲(慈愛)の顕在化」であり、
嵐がこようと何があろうと悠然として微動だにしない(=大我に基づいている)と確信でき、
「自他ともの幸せ」を願って行われていると感じられるとき、
私達は無理解な批判にあっても、その結果に囚われ悲観する必要はありません。


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