「嫉妬に苦しんでいませんか」の記事で「黒」について取り上げた頃から、
夢占いとこちらの記事が繋がっているような気がしています。
「太陽」を書いた時は「頑張っているのに報われないのですか」に、
「川」を書いた時は「時間がなくて、今を楽しめないのですか?」を書きました。
これら夢占いのキーワードは、自分の夢から拾い上げたり、人から
「今日、こんな夢をみたんだけど」というのを聞いて、好奇心に駆られ書いています。
(なので、夢占いとしては比較的ポピュラーなキーワードなのに、書かれていなかったりします。)
今日は「洗濯」なのですが、洗濯の夢を見たのは私。
その理由は、時折りちくちくと痛む古傷が原因のようです。
私には、これ以上仲良くなれる人はいない!と思うほど気の合う友人がいました。
彼女は高校の同級生で、私に、いろんなことを教えてくれました。
彼女は字をかかせてもピアノを弾かせてもうまく、裁縫も編み物も人に教えられるほど上手でした。
おまけに物を選ぶ時のセンスも抜群で、私には勿体ないほどの友人だったと思います。
当時、愛知県豊橋市にも「スケート場」があり、私は彼女に誘われて、「スケート」という
私にしてはアクティブな趣味を持つことができました。
高校を卒業してからも、「スケート仲間」という感じで会ってはいたのだけど、
彼女は地元から離れて就職したので、生活の場は異なりました。
私は大阪(大阪市)で生まれ、山口(宇部市)で育ち、7歳からはずっと愛知(豊橋市)で生活しています。
それでも、彼女とは年賀状のやりとりもあったし、「ずっと友達」だと思っていたのです。
だから、当然彼女が結婚するという話しを聞いた時、私は急いでお祝いの電話をしました。
でも、彼女から聞いたのは、
「また決ったら連絡するね」という、素っ気ない一言でした。
「え。」
それ以上の会話の見込みはない気がして、いろいろ忙しいに違いないと判断し、早々に電話を切ったことを覚えています。
それから数ヶ月経過して、ばったり駅で会った知人から
「仲がよかったから、結婚式に当然来ているものだと思っていた」と言われ、私はびっくりしたのです。
私も当時は育児に追われて大変な毎日だったので、幸いその件については深く考える余裕もないまま今に至っているのですが、暫く前に当時のショックが蘇り、いつになく考え込んで眠れなくなってしまいました。
私は時折そういう「なんでなのかわからない」事件・出来事に出くわすと、いつまでも考えてしまうのです。
殆どは、自分事ではない事です。
最近では、
私の本当のいきがいは「謎解き」
ー夢占いや、これら記事のような、心の行方を探ることなのかもしれない、って思ってます(^_^;)。
それにいつまでもしがみついていたり、引き摺られたりしていてはダメなのだとわかっていても、
心はそう簡単には割り切れないものです。
暫くはちくちくと痛む心と闘いながら、次に提示された問題に取り組んでいくこともあります。
もし、私が仏法に出逢っていなかったら,、どれほどの邪念が絡まりついていたことでしょう。
「邪念」を捨てるためには「瞑想」がよいと言われていますが、
私の日常にはそれに似たような習慣があるので、今は「考える」ことはあっても、「囚われたまま」になっていることは殆どありません。
かつては日常生活の中で何か問題があると、そこに(心が)かじりついて動けなくなる(上の空になる)こともあり、
当時それについて考える時間もないくらい忙しくて、本当によかったと思います。
彼女はただ、展開されていく新しい世界の中へ進んで生きていこうとしただけ
なのです。
私はというと、同じ環境の中で、それほどの変化もなく生活していたために、それがわからなかったのだと思います。
時が経過しないとわからないこともあって、
悶々とした気持ちを抱えたまま生きてしまう
こともあります。
「木を見て森を見ず」という言葉もありますが、もっと大きな視点から「眺める」意識をもつことで、理解を深めたり発想もゆたかになっていく、
時には「どうでもいいことだった」という図太い気持ちにもなれるかもしれません。
そんなことを思い眠りについたところ、夢に彼女が現われました。
私は戸惑いつつも歩み寄ろうと試みました。
彼女は流れる川のように淀みのない態度で、それでいて打ち解けたあたたかい言葉をかけてくれながら、私に本を選ばせました。
私は、その中から「まだ読んだことのない本」を選びました。
彼女は、明るく澄んだ瞳で私にその本を手渡してくれました。
彼女はきっと私の進展のために、この役目をかってでてくれていたのでしょう。
夢占いの「洗濯」で記述したように、「シミがついたから」、と慌てて勝手に手を加えると、かえってシミを拡げてしまうこともあります。
ある時点で発生する「心」の問題は、
よい対処法が見つかるまでは自己判断せず、そのままにしておくほうがよい場合もあるのかもしれません。