「時間がない」と思うのは、なぜだろう

パソコンを開きながら窓辺で飲み物を手にする女性

一日24時間では足りないと思っていたけれど、
本当に足りなかったのは「時間」だったのだろうか。

もしかすると、忙しかったのは、時間ではなく心の中だったのかもしれません。

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一日24時間では足りない、と思っていた頃

ずいぶん前に、「時間」について新聞に投稿したことがあります。

それが私にとって初めての新聞投稿でした。

「読者」欄の小さな枠の中での掲載でしたが、自分の書いた文章が新聞に載ったことが、とても嬉しかったのを覚えています。

その頃の私は、4人の子供を育てながら家事をし、仕事にも出ていました。

朝から晩まで、

「あれをしなければ」
「次はこれをしなければ」

と、一日中何かに追われていたように思います。

その投稿には、たしか、

「思いついたことをメモしておいて、時間が空いたときに優先すべきことから片づけています」

というようなことを書きました。

今思えば、あれは単なる時間管理ではなかったのかもしれません。

頭の中にある予定を、一度外へ出してしまいたかったのだと思います。

頭の中でずっと覚えていようとすると、

「あれも忘れてはいけない」
「これもやらなければ」

と、何もしていない時間まで忙しくなってしまうからです。

「忙しい人」には見えなかったらしい

当時の私について、近所の人たちからは、

「いつもニコニコしていて、大変そうには全然見えなかった」

と言われることがありました。

その一方で、親や先生、上司からは、

「ぼーっとしている」

と言われることもありました。

一長一短です。

私は昔から、効率よく何でもこなしたいというより、

どうすれば、なるべくストレスを感じずに生きられるだろう

ということを考えるほうでした。

怒ったり、イライラしたりするのが嫌なのです。

……と言えば聞こえはいいのですが、単に怠け者なのかもしれません。

けれど今になって思うと、この「なるべく心を忙しくしない」という考え方は、意外と大切だったように感じます。

時間がないのではなく、予定に縛られている

たとえば、

「次はあれをやって、ここで20分くらいかかって、それが終わったら買い物へ行って、そのあと……」

と頭の中で一日のシナリオを作っていることがあります。

そうすると、まだ何も始まっていないのに、

「ああ、今日は忙しい」

という気持ちになります。

でも考えてみれば、実際に一日中走り回っているわけではありません。

ただ、

予定の数が多い。

そして、その予定すべてに心が先回りしているのです。

つまり、

「時間がない」というより、「時間に縛られている」と感じている。

そこから、忙しさが生まれていることもあるのではないでしょうか。

計画を立てることはもちろん大切です。

けれど計画を細かく立てれば立てるほど、

「予定通りにいかなかったらどうしよう」

という心配まで生まれます。

まだ起きてもいないことを先取りして考えることで、現実以上に心を忙しくしてしまうのです。

私が「シナリオ」をなくしたかった理由

だから私は、思いついたことはメモに書いてしまいます。

書いたら、ひとまず忘れていい。

頭の中には置いておかない。

そうすると、

「今はこれだけやればいい」

と思えるようになります。

一日のすべてを頭の中で同時に生きる必要はありません。

今していることをして、終わったら次へ行けばいい。

予定通りにいかなければ、そのとき考えればいい。

つまるところ、

「まあ、どうとでもなる」

と、どこかで腹が据わっているほうが、かえって物事がうまく進むこともあります。

集団の中で生活していれば、自分に責任がなくても急に予定が変わることがあります。

仕事でも、家族との生活でもそうです。

そんなとき、

「予定と違う」

と苛立つより、

そのとき、そのときで対処する。

物事の成り行きに合わせて少し方向を変える。

そんな柔軟さも、限られた時間を大切に使う方法なのだと思います。

「時間がない」の奥にあるもの

では、なぜ私たちは、ときにこれほどまで「時間がない」と感じるのでしょう。

一日は誰にとっても24時間です。

それなのに、

「自分だけが余計に消耗している」

ように感じることがあります。

その奥には、

  • 人より遅れたくない
  • できる人だと思われたい
  • 仲間から取り残されたくない
  • 愛されていたい
  • 今あるものを失いたくない
  • できることなら、あれもこれも手に入れたい

そんな気持ちも隠れているのかもしれません。

時間そのものが足りないというより、

自分が望んでいることを、限られた時間の中ですべて実現しようとしている。

だから苦しくなる。

何かを手放せば楽になるとわかっていても、なかなか潔く諦めることはできません。

できることなら全部欲しい。

全部間に合わせたい。

全部うまくやりたい。

その思いが、心の時間を狭くしてしまうこともあるのでしょう。

未来まで生きようとすると、今が忙しくなる

人は、未来への不安が小さいとき、安心を感じるものです。

「これから先も大丈夫」

と思えることは、派手ではないけれど、じわじわと心を満たしてくれる幸せなのだと思います。

けれど、未来を完全に保証することはできません。

だからこそ、私たちが本当に生きられるのは、

今、この時間だけです。

未来を心配し、

過去を悔やみ、

そのうえ今の予定まで考えていたら、

心の中では三つの時間を同時に生きているようなものです。

それでは、忙しくなるのも当然なのかもしれません。

本当は、

今日という一日のすべてを、一度に生きなくてもいい。

人生のすべてを、一度に考えなくてもいい。

今いる場所で、今できることをする。

それだけで十分な時間も、きっとたくさんあります。

時間のある世界を生きるということ

ひょっとすると私たちは、

「時間」という制限のある世界に生きることで、

自分の精神の限界を試しているのかもしれません。

時間には限りがある。

だから、何を選ぶのかが問われます。

何に時間を使い、

何には使わないのか。

誰と過ごし、

何を大切にするのか。

すべてを手に入れることができないからこそ、

自分にとって本当に大切なものが見えてくる。

そう考えると、時間の制限は不自由さであると同時に、人生に輪郭を与えてくれるものなのかもしれません。

最後に思い出すのは、効率ではないのかもしれない

人生の最後に振り返ったとき、

「私はなんて効率よく生きたのだろう」

と思うことが、果たして一番大切なのでしょうか。

もちろん、時間を無駄にしないことも大切です。

けれど、それ以上に、

そのとき自分がいた場所で、

そのとき目の前にいた人と、

そのとき与えられていた時間を、

どれだけ素直に生きることができただろう。

そんなことを思うような気がします。

「時間がない」と感じたとき、

本当に時間が足りないのか。

それとも、

まだ来ていない時間まで、心の中で生きようとしているのか。

少しだけ立ち止まって考えてみると、

思っていたよりも、

「今」という時間は広いのかもしれません。

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