◆「今は決められない」という立場も尊重していい
この仕事はやっぱり自分にはあわない、
そう考えて退職しようか、と考えることって、たぶん誰にでもあると思います。
私なんかは自信がなくて、どの仕事に就いた時もそう思ってた気がします。
あるときは
誰かに冷たい対応をされ続け、
ある時は会社の在り方や組織形態に疑問を感じ、
ある時は仕事の内容が過酷すぎ・・、
あるときは、全く畑違いの職場に来てしまった、
などなど、理由は様々でしょう。
そのような中で、
なぜ、自分だけが
うまく生きられないのだろう、
といったことを
考えてしまうこともあるかもしれません。
仕事は単に「仕事」にあらず。生活の延長線上にある
ものですから、
仕事で抱える悩みは、必ずしも
仕事を変えれば解決できる!
というものでもなかったりします。
ライフスタイルを見直したり改善されることで、
物事の見方・見え方も変わり、
仕事の悩みも改善されることもあるのではないかと思います。
なんであの時もっと頑張れなかったんだろう、
と思うのも、
年月が経過して、過去を振り返る余裕がもてるようになったから
なんだと思います。
そうしたことを考えるにつけ
辞めるか辞めないか、という二択の中でもがくのではなく、
今は決められない
という考えを尊重しつつ、向き合い方を考えてもいいのではないかと思うし、
どっちかの道しかない、と決定を下すより、実は
それができる人のほうが人への寛容度も高く、強く生きていけるようにも思います。
◆「合わない」と感じるのなら、「離れる」は正解かもしれない
管理者紹介でもお話ししたように、これまで幾つもの仕事を経験した私ですが、
なぜか辞められない仕事もありました。
なかなか過酷で、長く続ける人がいなくて、ハローワークでも推薦されないと聞いたことがあります。
それでも、自分にはあっていて、一番古株と言われるまで勤め上げることができたのですが、
それとは逆に、ただ言われたことをやっていればよいだけの仕事だったのに
たった2週間で辞めてしまった仕事もあります。
辛いとかではなく、本当に単に「これは自分にはあわない」と思ったからです。
そして、今でも何も悔いはありません。
例えば、
入社時に試験が行われたりして、「あなたたちは競争を勝ち抜いて残ったのです」などと言われたら、
「あわない」という理由では辞めにくくなるかもしれません。
それだけ大変な思いをして入ったのに・・
とか、
「こんなに手間暇をかけて雇ってくれたのに」と思えば、かなり勇気が要ります。
でも、
そうした仕事で得られるのは、「辞められるのに辞めない」で働いている自己嫌悪感と、
それに伴うストレスだけで、
「幸せ」になるために働いているはずが、
仕事をしているがために幸せではなくなってしまう
ということになります。
その仕事に従事することで
儲けているはずなのに
損しているような
気持ちになるのなら、やっぱり
自分にあわないことをやっているのではないでしょうか。
そういう仕事を辞めて転職しても、後で「辞めなければよかった」と思うことはないように思います。
◆自分の居場所を考え続けていることも、一つの大切なプロセス
例えば
その仕事は、仕事の割にお給料はいいかもしれません。
一旦就職したら、ずっと安泰かもしれません。
それでも合わないと思えるのは、
会社への不満ではなく、
本当に自分が求めているものと違っている!という自分の魂の叫び
であるかもしれません。
では、
その仕事に就いたこと自体が無駄だったのかというと、そうでもなくて、
もう二度と、このような仕事を選んではいけない
と、固い決心をさせてもらえたということなのだと思います。
あなたが能力を発揮する場所は、そちらではないよ、
ということなのでしょう。
実際、長く継続している人達を見ていると、
「何でこの仕事してるの?」と思える人より
「天職だな」と思える人が多いです。
こちら側が見ていても、「なんかあってない(違う)気がする」と思う人は、
そこに魂がないというか、その仕事の発展につながらないようなことに力が入っていたりします。
そのせいか、
不思議と問題を抱えやすいですし、それが原因で「そう仕向けられる」というか、
「え。そんなことで?」と思うような理由で、あっさり「辞めさせられる」こともあります。
その人の歩む人生には繋がらないというか、その人の居るべき場所ではなかったのだな、と思えることが
案外あります。
それを踏まえていえば、
どんな問題が起きても何故か居続けてしまうのは、
その場所や人から気に入られているか、
その道があなたの本心に逸れていないから
ではないでしょうか。
あなたも、他の人をみていてそう感じることは
◆一度は離れたらおわり、という考え方は古い。
状況の変化に自分の活動のありかたをカスタマイズさせ、深化させよう
あなたが辞めることになったときも、
それが「嫌な経験」によるものだとしても、
そこには縁がなかった、
と考えればよく、
そのおかげで、新しいきっかけをつかむ人もいます。
何より、
そう思えるようになることを目的にしていくことが大切です。
また、最初は「合ってる」と思っていたとしても、
自分が変化していくことで、「あわなくなってくる」こともあると思います。
このことは「家を手放すということ」や「やることなすこと裏目に出て」でもお話ししたのですが、
あわなくなってきた時は、自分でもなんか「違ってきた」という
違和感をおぼえます。
また、それは「何かを感じ取っている」自分でなければわからなくて、人には理解されにくいかもしれません。
反対に
自分、やりたい仕事とは無関係なことやってるんじゃね?
と思っても、そこで幸せを感じていられるのだとしたら、どこかで「天職」に繋がっているのかもしれません。
例えば、
歌手になりたくて、一度は東京を目指そうとしたけれど、
事情があって地元に残り、
親の跡を継いで歌手とは全く違う野菜づくりなんかをしているうちに、
地域活性化を図ろうとコミュニティに参加しだし、
「歌で盛り上げる」役を引き受けているうちに、
すっかり有名になって、都会に出るよりも断然自分らしく道を開いていくことができた、
なんてことだって(実際にある)あると思います。
◆自分に対して寛容さをもつ
そこでなければ花開かない、その方法でなければうまくいかない
という考え方に固執する必要はないと思います。
また
時代は変化し、かつて多くの人が拠り所としていた中間集団(地縁・血縁・職場といった、国家と個人の間にある組織)は弱体化しつつあります。
何を意味するかというと、
一度そこを離れたら、二度と戻ってこれないんだぞ!という風潮ではなくなってきているわけで、
今は「やり直し」もしやすい傾向にあるということ。
一度そこから離れて、外の世界を想像する視点を獲得したうえで、再び自分の世界に向き合い、
その試行錯誤によって、ずっと深い味を出せるようになる
人もいます。
翻って
仕事をしているといろんなことが起こるし、不運なことが続いて
自分なんか全然ダメだ、
と思うこともあるかと思います。
でも、かつてあなたも体験してきたように
そうした瀬戸際にいるときこそが、自身の新しい可能性を開くチャンス
であったりします。
挑戦すべきは、人や会社に対してではなく、
いつだって
自分自身に対して
であり、明るい未来を描き続け、生き抜く人に
失敗とか絶望はないのだと思います。