◆誰の人生にも、ツイていない時期ってあるよ
長い人生の途上では、
うまくいかない時期
というのがあるものです。
何をどう頑張ってても事がうまく運ばず、停滞どころか、
自分は後退しているんじゃないか
と思えたりして、そういう時はこれ以上生きていてもいいことなんてないように
思えたりもします。
とにかく
すること成すことが裏目裏目に出てしまい、
良かれと思ってやっているのに、それが報われるどころか、憎しみや反感を買うことになった、
ということもありました。
自分はいつだって冷静に物事を見ている、流れをちゃんと見据えているんだ
と思ってはいても、実のところ落ち込むこと続きなので、
エネルギーは下がる一方、視界も狭くなっていたりします。
あとから振り返って初めて
あの状況(環境)は自分にあっていなかったのだ
と、気づくこともあります。
本当に不思議なのですが、
全てのことに狂いが生じているような感じがします。
あり得ないと思うことが起きたり
これまでもめごとなんて一切なかったのに、些細なことから不和が生じたり、
まるで申し合わせたように、大きく人が入れ替わったり。
そういう時
ムキになり、事を無理やり押し通そうとしても、よい結果に繋がることが少ないものです。
人生ツイてることだらけ、
という人はまずいないわけで、誰にもツイてるときとそうではない時があります。
悪いことが重なって起きるようなときは、
忍耐強く、その流れが過ぎ去るのを待つ
ということも必要だったりします。
事実、
それを見送った後で、もっと条件の良いものと巡り合えたり、
あのとき、我を押し通そうとしなくてよかった、
危うく危険・不運に巻き込まれるところだった、と胸をなでおろすことも
◆なんか合わなくなってきている、と感じたら、勇気を出すことも大切
経験からくる直感的なものが働くこともあると思います。
はっきりとした理由を説明できないけど、
なんか居心地の悪さを感じる・違和感を覚える、
とか、
なんか自分だけ理不尽な目にあってる気がする、
というときは、
新しい物の見方が必要だ、
と促されている可能性があります。
私の「忍辱の鎧」は厚いほうですが、ある時から
今いる地域や職場があわなくなっている
のを肌で感じるようになりました。
それで2021年に引っ越しを決断したのですが、
変化には勇気も労力も要りました。
何かサインがほしいと思いました。
すると、
同じ時期、地域で長く仲良くお付き合いしていた人達が
それぞれ異なる事情でごそっと他の土地に移転し始めたのです。
とても不思議でしたが、私は、価値観が似ているその方達と
同じタイミングで、ある段階を卒業した
ような気がします。
引っ越した人達の中には、70代の一人暮らしの男性もいました。
大家さんの都合で、長年借りていた住居から出なくてはならなくなったのです。
新たな住居を探しても、単身で高齢というと、なかなか入居が難しいところです。
目星をつけた場所は人気で、他に若い人も希望していました。
けれど、その部屋の大家さんは70代男性と話しをしてその人柄を大変気に入り、
若者ではなく、高齢であるその男性の入居を承諾した
のでした。
このような事態に直面したとき、
何も問題なく生活していたのになぜ追い出されなくてはならないのか、
と、頑固に退去を拒み続け、争いごとに発展する
などもあるかもしれないし、そうでないとしても、理不尽な目に遭わされたと腹が立つかもしれません。
でも、この方の話を聞いていて、
変化をためらわなければ、良い流れに乗ることもできるのだなぁ、
と感じた次第です。
その方は、
築年数が古く、便利の悪い以前の住まいから、
安くて綺麗な部屋で新しい生活を始められるようになった!!
◆同じ状況に遭遇しても、幸せになる人とそうならない人との違いがあるのはどうして?
同じ状況に遭遇した時、そんなふうに
方向転換により改善できる人もいれば、
状況を打開しようと頑張りぬき、状況を変えていける人もいます。
その違いは何なのでしょう。
大切なのは、
あなたにとって、
前向きに生きていける(環境)であるのかどうか、
ではないでしょうか。
前向きに生きていける!そう感じるのは、
自分(魂)が望む流れだから
です。
自分の中に
しっくりこない
感覚があるのは、自分(魂)が望んでいない方向だから。ブレーキがかかっているような感じがしてしまうのだと思います。
もしも、
あなたが今、後者のような状況にあるとしたら、
嫌なことばっかし。
どうせこの先も、自分にいいことなんて起きないわ、
と人生を見限りたくなっているかもしれません。
でも、
大きく軌道修正する必要がある、
と知らせている可能性も高いので、どうか
そのことに気づいた瞬間から、面白いほど人生がかわっていくことがあります。
実際、私はそういう人を幾人も見てきました。
◆結果を左右するのは、その状況の中にある成長要素・幸せ要素を読み取る力
問題は
受け止める側の器の問題
であったりもします。
雨が降っているとき
それを「恵みの雨」だと言う人もいれば、「災難の雨」と思う人もいます。
その状況が表していることが全てなのだ、
と思っても、結局はそれも自分の側の見方でしかなくて、
その中に何を見るか、その中にある豊穣をどこまで読み取るか
が結果に影響を与えるのだと思います。
時には
あいつはさっさと脱退して幸せになったのに、気持ちを抑えて組織に残った自分は報われなかった、
とか、
あの人のほうが自分より下なのに、自分よりおいしい思いをしている、
とか他の人に評価をつけ、自分と比較してしまうこともあるかもしれません。
でも、
そうしたことには、やっぱり意味はなくて、
どの人も、それぞれの立場や自分の成長度合いに応じて変化していかなくてはならず、
誰にとっても、これが正解
という事例はないのだと思います。
その過程で深い悲しみを味わったり、大きな痛手を被ったりするとしても、
その体験でしか得られなかったことを習得し、執着を解くことができたら、新たなものを手に入れられるようになる
のだと思います。
そうして、ある日ふと振り返ったとき、
私達は
眠れなかった夜を幾つも超え、逞しく人生を切りひらいてきたことを知るのだと思います。