◆絵本「でんでん虫のかなしみ」
<1>では、仏法説話を紹介しました。
もう一つ、
「でんでんむし」のバージョンがあります。(^_^;)
それは、新美南吉著作絵本「でんでん虫のかなしみ」<注1>です。
新美南吉氏は、「ごん狐」の作者でもあり、他50編の幼年童話のいずれの中にも、
このお話しと同じような哲学が注ぎ込まれています。
「でんでん虫のかなしみ」については、
皇后美智子様が愛された絵本ということでも有名なので、
あなたもご存知かもしれません。
<注1>
ある日、でんでんむしは、
自分の背中の殻には、悲しみがいっぱいつまっているのではないか、
という不安に駆られます。
そこで、
でんでんむしは友を訪ねます。
そして、
悲しみの殻を背負う自分は、なんと不幸せなのだろうと語るのです。
すると、友はこう言うのです。
君だけではないよ、自分も同じ。悲しみを背負っているんだ、と。
そのあともでんでんむしは友の元を訪ね歩き、心の内を語るのですが、
返ってくる答えはみな同じなのでした。
でんでんむしはようやく気付くのです。
悲しみを持たない者はどこにもいない
ということに。
そして、
生きるとは、自分の悲しみを背負うことと同じである
◆この世界は悲しみにも満ちている
あなたは、間違いなく
幸せになるために
生まれてきました。
でも、
この世界で生きていると、時々
悲しい出来事にも遭遇します。
それを乗り越えていかなくてはならない時もあります。
ただ、その悲しみもあなたの世界(境涯)を広げるためのもので、
その悲しみの経験が、人の心を深く耕します。
それを経験できることで、
人の悲しみに共感することも、その重さを推し量ることもできるようになります。
悲しみを、
誰かに受け止めてもらえたら、「愛しみ」へと変わります。
そして、喜びへと導かれることもあります。
使命は、
「喜びへと導く」行為
の異名であるともいえます。
その過程で、
◆使命は、自分自身を満たす
悲しみどころか、それは
絶望
であった、という人もいるかもしれません。
(「何もかも失った、と自暴自棄になっているのですか」も参考にしてみてください。)
幸せというのは、不幸を装ってやってくる
ことがあります。
どん底に追い込まれ、地べたを這いつくばるような思いで生きなおしを図り、新たな道を開く人もいます。
幸せの頂点から、突き落とされたような思いをする人もいます。
例えば、
得意を生かしてネイリストの職を得、お店を任されるまでになって何もかも好調であったのに、
ある日お客さんからいわれのない中傷を受け、心に傷を負い、逃げるように故郷に帰り、身を隠すように生活していたという人がいます。
そのような中でも、心を閉ざしていなければ、道を開いてゆくことができます。
彼女もまた、仏法に縁しているので、その時今の状況を変えようと、真剣に祈り続けました。
そして、
どこにいっても自分の宿命を変えない限り、苦しみはついてまわるのだ、
と気づいたとき、美容院に勤める友人から、一本の電話をもらうのでした。
「余ったスペースを有効活用しないか。」
彼女は腹を決め、
新型コロナウィルスの感染拡大の中、店をオープンしたのでした。
勿論、最初から順調ではありません。
数少ないお客さんの
一人ひとりの幸せを祈るような思い
で、大誠実に
取り組む、
このことがやがて多くのお客さんを呼び、従業員を雇うまでに発展していったのでした。
このような話は、案外誰の周りにもあったりします。
きっと、あなたの道標となる人は、いたるところにいるでしょう。
使命に導かれるときは、必ずあなたの中で
何かが変わります。
先の記事の中でお話ししたように、
使命は、自分以外の人を幸せにするだけではなく、
自分自身を満足させることができます。
記事が長くなったので、<3>へ。