マナーの悪い人に出くわすことがあります。
例えば
スーパーのレジで並んでいるとき、
自分は前の人とすごく間隔をとっているのに、いつの間にか後ろの人がぴったりくっついて
「え?」と思ってしまう、
せっかく道を譲ったのに、頭ひとつ下げずに割り込む車にムカっとくる、
など、イラっとしてしまうことは、いつもの何気ない風景の中にあるのではないか、
と思います。
アサリ捕り(潮干狩り)禁止の場所でアサリを捕るとか、車の暴走は、もうマナーとかの問題じゃなく、犯罪行為だと思います。
ただ、そういう人を観察していると
悪気があってしている人ばかりではなくて、
うっかりしてしまう
こともあるように思います。
こちらも機嫌のいい時には
この人はきっと、つい前に進んでしまう習性がある、前向きな人🚶なんだな(^_^)
と思うことができたり、
か、
自分って、やっぱ人を吸い寄せる力🔥があるのね(^^♪
みたいな考え方もできるかもしれません。
人のマナーの悪さにイラっとしてしまうのは、それ以前にイライラするような出来事があったり、
心に余裕がなくなっているのかもしれません。
例えば、
私なんかも車を運転する機会が多いのですが、
気分がゆったりしている時は
割り込みしたそうな車に気づいてスピードを緩めたり、先を譲ったりすることができても、
焦っている時には、
こいつのせいで信号一つ分遅れた
などと思って、
勝手に何かされたような気分になってしまう
こともあります。
私達の周りには
不満の要因はいくらでも転がっていて、こと負のアンテナが立ちすぎている人にとっては
いつ自分の起爆スイッチを押してしまうかわからない、
水面下でいつも怒りの感情が渦巻いているような状態
になっていることがあります。
自分が目にした以上のことを考え、益々ヒートアップしてしまう・・・
のではないでしょうか。
そうなると、
相手には何かそうせざるを得ない事情があるのだろう
ということも考えられなくなってしまいます。
そこで思い切って
感情的に思いをぶつけても、
結局嫌な思いしか残らなかった、ということが多いです。
「逆切れされて危害を加えられる」などのこともありますし、正義感から
一人で抗議にいかない
◆いかに素早く立ち直るかが鍵です
バラエティ番組「痛快TV スカッとジャパン」などを見ていると
スマートに注意できる人はすごいなと思いますが、実際人の心は多様で、同じ問題が
同じやり方で解決する
とは限りません。
そもそもが「マナーのない人」であると考えれば、何をするかわからない
ということを念頭にいれておくことが大切です。
電車の中で大きな声を出しているとかだと、
本人に直接言う以外に、管理者・責任者から注意してもらうこともできる場合もあるし、
何か
「うまく伝える」言い方ややり方があると思います。
職場で、マナーの悪さに嫌な思いをするようなら、
次にまた同じことがあったらなんていうか、
自分の正直な思いをいつも言葉にできるように練習しておく、
これができないと、どこに行っても悔しさでネガティブなエネルギーをため込むことになりますから、
これも必要なプロセスなのだと受け止める
ことが大切かもしれません。
また、
私も接客をしていた関係から、
世の中にはいろんな人がいる
ということを学んだのですが、
他の人からも、
こんな人がいるのか😲!
と思うような、いろんな話を聞きます。
それでも、そんなことなど起こらなかったかのように、普段の自分を取り戻せるのは、
「忘れる」力を有効活用しているからだと思います。
一刻も早く、平穏な日常を取り戻すためにも、
どれだけ素早く立ち直ることができるか
が肝心なのだと思います。
勿論、
自分をネガティブな気分にするような出来事を
跳ねのけたり、
自分のフィルターで、どんどんポジティブに変換していくこと
も大切ですが、
それができなかったとしても、
一秒でも早く立ち直り、
他のいいことを見つけるような行動を起こしていく
◆自分のことを理解しようとしてくれない人達に対して、心からの謝罪は期待できない
いつだったか、
毎朝視ている テレビ朝日「羽鳥慎一のモーニングショー」で、
「野菜泥棒」の被害にあった農家の方が、
犯人に「謝罪せよ」と言っているけれど、
謝罪しない
ことについて言及していました。
謝罪しない人についてー
心理学的な見解 ー心理カウンセラー小日向るり子さんによるー
・防衛心・・・不利益を極端に恐れる
・負けず嫌い・・・謝ったら負けというプライド
・鈍感・・・謝るべきだと気づいていない
・他罰的思考・・・社会が悪いなどの責任転嫁
などにも触れていましたが、こうした傾向のある人に注意したら、逆切れされる可能性は十分あります。
そうはならないとしても、素直に
反省したり、その行為をやめたりする気持ちにはなれない
のではないか、と思います。
自分のことを理解しようとしてくれない人達に対して
心からすまない、という感情を引き出すのは難しい
と思うのです。
何らかの犯罪を行った者に対して「心から詫びてほしい」、という気持ちが
裏切られるのも、そうしたことが原因しているのではないかと思います。
どんな人にも「仏性がある」と言われているように、
何かと破壊的な行動に出る人であっても
優しい気持ちにさせる秘訣
が、きっとあるはずです。
もしも、心から「悪いことをしたな」と考えさせ、反省してほしいと願うのであれば、
それが難しい相手であっても、
まず敬意を払って向き合おう
という、こちらの姿勢も忘れてはならないように思います。相手も、はなから軽蔑の目を向ける相手のいうことに、素直に従おうとは思わないでしょう。
◆それは、自分の正義感を知らしめたい気持ちからなのか
マナーやルールを守ってほしいとき、
それに関してはNG
ということを言いたいわけで、
あなたはマナーもルールも守れない悪人よ!
ということではないはずです。
でも、私達は時折、趣旨のほうを伝えるより、自分を不快にさせた人の人格を否定することがあります。
するとその人は
一方的に怒られた
という印象しか持ちません。
反対に、
注意したら傷つくかもしれない、
と考えることもあります。
すると今度は問題が解決されないまま、ストレスをためることになります。
大切なのは、
相手を尊重しつつ、起きている問題を解決するという姿勢
です。
それが
その人の悪行の暴走を止めたいから、
迷惑行為をしている、その人をも救いたいから
言うのか、
自分の正義感を知らしめたい気持ち
からなのか、
が、「心からの」反省の有るなしを左右するのではないか、強いては
その行為をしなくなることにも繋がるのではないか、
そんな風にも考えます。
神対応
と言う言葉もよく聞きますが、
(それは一つ洗練された対応ができる人のことをいうのだと思います。)
私も、そうできるようになりたいなあ、と思います。
例えば
順番待ち。
慌てて駆け込んできて、後ろに待っている人がいることに気づかない
ことが、案外あるのです。
そしてたいてい、冷静になったとたん気づいて
(・□・;)自分は
なんてことしてしまったのだろう!!
という顔をされます。
もしも
おい!
と呼び止め、よってたかって咎めたとしたら?
勿論、たいていの方は一も二もなく謝罪するでしょう。
でも、多くの場合は、その人がもともと
道徳に反した行為はしてはならない、という高潔な心がある
からで、誰もがそうとは限りません。
そういうとき、例えば
ねえ、君!・・👤
よっぽど急いでいるんだね(^_^;)
の一言でハッと我にかえり、気づくということもあるのではないでしょうか。
誰だって、
頭ごなしに言われるより、
自分で気づくほうが素直に自分の行為を認め、謝罪できるものではないかな、とも思うのです。