自分だけは幸せになれない、って思うのですか
◆幸福度を下げてしまうもの
「幸せ」の渦中にいる人の話を聞くと、
家柄の良さ・生まれもった資質を羨ましい、と思うことがあります。
その人は最初から幸せになることが約束されていた人
で、
自分には幸せになれる要素など、ひとかけらもないのだ、
と諦めの感情に支配されてしまうことはありませんか。
私がそうだったのですが、
「劣等コンプレックス」という言葉があって、
自分はそうしたコンプレックスを抱える一人かもしれない、と思っていても、
それをどう克服したらよいのかわからずにいることもあると思います。
私のように(^_^;)
ただ、
それが日常的に大きなダメージになるというわけでもないので、
そのままそっと見ないようにしておこう、という人もいるかもしれません。
心のゆがみは、ほうっておいていつか解決されることもあるかもしれませんが、
それが
あなたの幸福度を下げてしまっているなら、積極的にその課題に取り組んでみる
ことも大切です。
人はだれしも、自分を重要で有能な存在だと感じていたい
ものです。
◆幸福を阻む「一凶」
あなたが知りたいことは、ネットや書籍でも見つかると思います。
ここでは、私なりの角度からお話したいと思います。
一凶を絶つ
ということも大切なことで、それについても少し触れておきたいと思うのです。
あまり聞きなれない言葉であるかもしれませんが、
「凶」は、おみくじなどで、聞き馴染みありますよね。
縁起が悪いとか、悪いことが起きる兆しであると解釈されています。
「一凶」とは、「不幸の根本原因」のこと
です。
例えば、
困難に出くわすと逃げてしまう傾向があったり、
生活を共にしている人と心を合わせられない、
自分の思い通りにいかないと投げやりになる、
自分の失敗や不幸を人のせいにする
などは「一凶」と言われ、
人それぞれになんらかの「一凶」がある
ともいわれています。
実は、
自分を卑下することも一凶
です。それがあなたの幸せを阻んでいるのだとしたら。
「親を愛せない人は人として失格なのか」の最後の追記のところでも、同じことをお話ししているのですが、
自分の一凶はなんであるかを見極め、
それを絶とうとすることは、自分の中で革命を起こすことだから、運命を変えていける
のです。
恩師がわかりやすく語ってくれているシーンがあるのですが、
例えば、夜更かしして不摂生が重なり、体調を崩した人がいたとします。
その人にとっては、不摂生こそが一凶です。
それを改めなければ、どんなに栄養をとっても健康にはなれません。
同じように、私達が幸せになっていく上でも、それを阻んでいる一凶というものがあるのです
◆誰もがかけがえのないものを手に入れることができる
背が低い・太っている・学歴がない・髪が薄い・目が小さい・足が短い・・・
現実の自分に向き合うと、悲しくなります。
あなたは、
これを思考でなんとかするなんて、絶対無理
だと思っているかもしれません。
それに、
現実は仕事や生活上、改善すべき問題や課題も山積みです。
悲観的な気持ちから這い上がれないまま、義務に追われ、毎日を送っていたりします。
一時的には、
心の強さや要領のよさなどで乗り切っていくこともできるでしょう。
でも、
根本的に解決することはありません。
そうした現象の表面のみに囚われている間は、
自分の信念に縛られたまま
現在の自己・人生観や世界観に照らして物ごとをみているから
です。
もしも
自分の前に立ちふさがる問題は
その本質を見定めるためにある、
と考えることができたなら、
「生命」という次元から、答えを見つけ出そう
とするようになるでしょう。
こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、
何かしら悩みがあることで、それを真摯に「考えること」ができるのだと思えば、実のところ感謝してもよいくらいなのかもしれません。
これは勿論、「悩むことが許されている」場合のことです。
私達の感情は、対人関係の中で起きる葛藤・恥・罪障感・劣等感などを通して複雑豊かになり、
創造性を発揮できるようになります。
希望にあふれる友達と支えあって生きることだって、できます。
甘やかされているだけでは望みえない人格を、自身の内部で遂げていける人は幸せ
です。
悩みや課題に立ち塞がれても一心を乱さずに生きる、その
生きる迫力にかなうものはありません。
あなたを本当に物語っているのは、あなた自身の生きる姿勢
であり、
そうして惹かれあう人とは無二の親友、最高のパートナーになり、
あなたはほかのどんなものにも引けを取らない、
かけがえのないものを手に入れることができます。
不幸せになる
呪いをかけられ生まれ落ちた
のではなく、
真に大切なものを知るため、獲得するため
魔法をかけてもらった
のだと考えることができるなら、あなたの未来は、今あなたが想像しているのとは、まるで違うものになっていくでしょう。
◆あなたがどれだけ人生を楽しんでいるかが大切
それがないとき、私達はその魅力を知りませんでした。
天然キャラ・おひとり様・草食系・肉食系・オタク・・
それら(=自分を卑下させていたもの)が魅力的な形で開示されるとき、私達は歓喜します。
そして、
本当の自分を生きはじめるようになると、見違えるように魅力的になります。
見ているこちら側は・・いえ、ひょっとしたら本人ですら
どうにもならない状況を、楽観視することに切り替えるだけじゃないの?
と思うかもしれません。
そうであるとしても、
その人の魂には、間違いなく
生と格闘した記憶が刻まれている
のであり、「意志」が働いています。
私達は、
外側にあるもので、私の精神より強いものはない、
ということを見せてくれる人に、どうしようもなく惹きつけられてしまうのです。
ホイットマンの詩集に、このような言葉があります。
私は幸運を求めない。
この私自身が幸運なのだ
あなたは、背が低いかもしれないし、学歴がないかもしれません。足が短いかもしれないし、目が小さいかもしれません。
あなたが望むものは、確かに
あったほうが嬉しい
と思うものかもしれません。
でも、
実のところ、
あなたが何をしようが、どこに行こうが、何を達成しようが、
それは重要ではないのです。
友達が何人いようが、いまいが、気にする必要はないのです。
「いくらお金をもっているか」ということでさえ、重要ではありません。
同じ意味で、
あなたが何を知っていようが、何を理解していようが、たいしたことではありません。
真に重要なことは、あなたがどれだけ人生を楽しんでいるかということなのです。
「運命をひらく366の言葉」ジョナサン・ケスナー