◆「人と比べて落ち込むのはよくない」は、励ましでも癒しのことばでもない。
私達は、他の人の行為・ふるまいの中に美を見出したり 鼓舞されたりすることもありますが、
一瞬にして 自分を なんの価値もなく「つまらない人間」であるかのように思わせることもあります。
なんてすごい人なんだろう、
自分もあんな風になりたい
と思うとき、その素晴らしい人柄に触れたこと自体に歓びを感じるし、 向上心が湧きます。
それに比べて自分は・・・
と思う時というのは、たいてい
停滞した状況に追い込まれているとき
です。
新しい行動に出たいのに、
その精神的体力が奪われてしまっているとき。
自己嫌悪に陥っているときは、 人の素晴らしい部分に目を向けるだけの、心のゆとりも失われていて、
自分はこんなに非生産的に生きているのに、他の人は生産的な活動をしている
ような気がしてしまう、だから、同じ 人に優劣をつけるのでも、
「自分より下」だと思える人を見ると、安心する
ということもあるかもしれません。
そのようなとき、
人と比較して落ち込むなんて、よくないよ
とかの言葉を素直に聞けるだけの、心の余裕もないのです。
よく、心が参っているときに 頑張れという言葉は逆効果だと言われますが、
精神的な体力が弱っている時に、もっと精神力を磨け
と言われているようなもので、 かえって心の傷を深めてしまうこともあります。
◆羨望も敗北感も文明の進化に貢献する感情
人生は、究極的には価値の追求
です。
誰だって、自分の人生に意味を感じたいし、充実感も得たい。
あなたに
激励のつもりで前述したようなことを言うその人だって、「人と自分を比べる」を経験していないかというと、
嘘になるでしょう。
私達は絶えず「価値を見出し」続けたい
生き物であり、
より価値あるものは何か
を問続けるからです。
今最新の○○を持っていたとしても、 もっと新しい○○が出た!と発表されるや否や、列をなしてそれを獲得しようとする人がいて、
私達はその一人だったりします。
あの時同じように競って手に入れたはずの「○○」は、もはや最新ではなく、
「古くて価値のないもの」と見なされ、見向きもされなくなってゆきます。
それが悪だとしたら、私達の生活は豊かになってはいきません。 だから、
あの人のようになりたい!
というような羨望とか、
くそ!越された・・
などの敗北感は、
人のモチベーションをあげ、その心によって何かが創造されることを考えれば、
◆「自分には何もない」と思っているほど、他の人が万全に見えてしまう
そんなふうなので、
一歩外に出れば、私達の周りには魅力的なものが溢れていて、
たいして必要でもないものにも、目がいってしまう
ことがあり、
「自分には何もない」
と思っているほど、なんでもかんでも欲しくなってしまう
のです。
本当に自分に必要なものは既に手中にあり、
ありのままのあなた自身に価値がある
のですが、
自分を幸せにするためには、他の人に羨望されたり、高い評価をもらう必要がある、と思っていて、
本当は自分がどうしたいのかがわからなくなっていく
ということがあります。
とりあえず、現実的な対策として
自分を落ち込ませるような情報からは目を反らし、
そうした人を見ないようにする、
SNSを暫く見ないとか、TVを消し、
「逃げる」ことも大切です。
自分で自分をいじめるようなことはしない
ことです。 また、 「自分には何もない」、
自分だけが特別に不遇な人生を送っている、
という気持ちが益々自分を落ち込ませ、「自分以外の人はみな、恵まれている」と思いこませてしまうことがあります。
でも、実際はあなただけじゃない。
試しに、斯々然々こういうことで
落ち込むわ~~
とつぶやけば、
実は私もなんだよね・・、わかるわかる、という声は聴けると思います。
それこそ、あなたが 「あいつには○○もある」と思っている人だって、
それに至るまでは言い尽くせぬ苦労があったり、息を切らしながら頑張っていたりするものです。
場合によっては、そうした共感のプロセスがとても大切であったりもします。(「使命3」参照)
◆満たされつつ向上していくために必要なもの
そのうえで
自分の本当の課題
に、目を向けてみることが大切です。
他者の評判だけを気にして、
真の自己の人格を評価することは、とても危険
なのです。私達が 「あの人は生産的に生きている」と認識しているその評価は、
社会から見た評価
であることが多く、 仮に「自分より○○」と思っている人と同じ成果をあなたが上げたとしても、それは
形だけそう
なるだけで、あなた個人の生に潤いをもたらす結果になるかどうかまではわかりません。
あなたが満たされつつ向上していくためには、
「客観」的な認識と「主観」的な評価
をするための、ふたつの目を持つ必要がある
◆あなたが手に入れるべきもの
そのことについて、もう少しお話ししたいと思うのですが、そのまえに
どんなに強靭な人も、病気になったらその力を発揮することができません。
充電できる時(休日)をつくり、 心の糧を得られるようなこと
ー できるだけ、
今抱えている問題とは関連のないことに目を向けるようにしましょう。
心が折れそうになったいたり、何もかも投げだしてしまいたくなるときは、
ささやかなことでも、十分気分転換になるもの
です。
自分の頑張りだけではどうにもならない、そんなときこそ、時々にリフレッシュタイムが必要です。
ちょうど今日は「金魚」の夢占いの解釈をしたのですが、
取り巻く環境にうまく順応できないとき、金魚の夢を見ることがあります。
あなたはどうですか。
かつてうちの次女が、
アルバイト先で誰もしたがらない仕事をやってみたけれど、それが思いのほか楽しくて、またやりたいと思った、
という話をしていたのを思い出したのですが、
みんなが「それだけは嫌だよ」と後ずさりしていた仕事は、
「誰もいない地下室で」、「一人もくもくと」「一日中」「ひたすら」調理器具を洗って片づける
というもので、「病む人」続出だったそうでした。
でも、その時期仕事を請け負いすぎて落ち着いた時間のとれなかった
次女にとっては、しばし喧騒から離れ、何も考えずにいられる至福の時間だったわけです。
何がよく働きかけるかは、結局その人でなければわかりません。
やはり、
「世間一般」を物差しにしているだけでは、
自分の生きる道や居るべき場所を見誤ってしまう
のではないか、と思います。
自分の資質と、現在の仕事に大きな隔たりがあるのだとしたら、
自分が本来の自分でいられるような環境を手に入れることが大切です。
自分の力だけではどうにもならないこと
ー例えば、「有名になること」「子供が、高い収入が得られる職場に就職すること」「幸せな一生を送ること」などのことは
とりあえず「超越的なもの」の判断に委ね、
目の前の、自分の努力によって可能になることに全力を挙げて生きる
ことが大切ではないでしょうか。
そうして、 独自のクオリティを磨き続けていくー
あなた 固有の美を育ててゆくこと
が大切で、
それは この先どんなに「優れた○○・美しい〇〇・最新の○○」が登場したとしても、
そのものでしか味わえないとか、手に入れることができないものと同じ、
色褪せることない魅力
となります。
それをみつけることのできた人は、他がどうあっても気にすることはなくなります。