家族

親を愛せない人間は人として失格なのか

8月 29, 2020

 

 

◆親を愛せない、だから親孝行という言葉を聞くと辛かった時期

「親孝行」することの大切さは知っているが、それ以前に

親を愛せない

と悩む人もいます。

私も

親孝行しましょう、親を大事にしましょう、

と言われるたびに、辛い気持ちになっていたことがありました。

私の場合、物心ついたときにはもう両親は離婚していて、

私は母親に育てられました。

父親が3回かわり、その都度名字が変わりました。

母親は何度も家出を繰り返し、借金をつくっては戻ってきて、

殆ど好き勝手に生きていた人でした。

そうした経緯もあって、私は実は児童相談所と学校との連携に恵まれ、里親の元で生活していたこともあります。

私には弟が二人いて、

幼い頃から自分が母親のように弟を世話しながら生活をしていたため、果たして自分には「親」と呼べる存在がいたのだろうか、

という疑問もわくのです。

それでも、私という存在があるのは親がいるからです。

人に道徳的なことを語るのは簡単ですが、このようなプライバシーを尊重した上で語らなくてはならないと思っています。

それがいいことであるとわかっているのに、それが本心でできないというところで、私のような境遇の人は

とても辛い思いをします。

どうしたらそれができるのだろう、

いやな体験ばかりで、

親を愛せるような理由がどう考えても見つからない、

このような場合、親に

自分がどれだけ傷ついてきたか、

気づいてもらおうとするのは難しくて、

それよりもあなた自身が、

理想的な生き方を実現できるようになっていく

ことが大切です。

今はできない、

それを自分にも受け容れ、そのような(親孝行できるような)人になっていこうと

心のどこかで思っていればよいと思います。

もし最後まで親を愛することができなかったとしても、

自己変革していこう、自分を成長させようという思いに裏切られることはない、

と思います。

親孝行は

親のためのように思うかもしれませんが、自分の人としての振る舞いであり、自身の成長を示すものでもあります。

「親のため」にはできない、

と思っても、自分の成長のためだと思えばいいのです。

「ソウルメイト」という視点で言うなら、そのために

親が悪役になって力を貸している

こともあります。

あなたの心をもっと大きくするためには、

その人が親である必要があった

と後でわかることもあります。

誰かを愛してから親の愛を知ることもあれば、親になって初めて親に感謝したり、本意を知るという場合もあるでしょう。

◆親を愛せない、その縁が切りたくても切れないのは、「相手を救おう」という深い「慈愛」があるから

私が親になって思ったことは、

決して親のようにはなるまい

ということでした。

私の母親は亡くなりましたが、亡くなる数年前まで、

母親が亡くなっても、自分は泣かないだろう、

と思っていました。

そして、

そう思う自分はなんて冷たい人間なのだろう

という悲しい気持ちも同居していました。

ただ、「親孝行」が大切であるということはわかってはいたので、

晩年は

道徳心から

誠意を尽くしました。

けれど亡くなった時、それがどんなに大切だったかを知りました。

自分をこの世に送り出してくれた人が、この世から居なくなるのがどういうことか

を知りました。

私が思っていたよりも もっと大きくて深い縁(えにし)があったことがわかりました。

 

私にとって、母親は私を成長させてくれた存在であった

と、今はわかっています。

私には、相当な「劇薬」が必要だったに違いありません。

私はそもそも慎重ですが、

時に無鉄砲になってしまったり危険を冒しがちなところもあります。

そんな私を守るために、母親は自らの生き方で示してくれたのかもしれません。

人と一定の距離感を保つことの大切さとか、相手の荷を背負い過ぎないこととか、いろいろなことを知らず知らず教えてくれたのかもしれません。

また、時には

子供の自分が、親に生き方を示していることもあります

あなたが子供でなければ親はそれを学べなかった

ということもあるはずです。

私にこそ言いませんでしたが、晩年「私は毒親だった」と悔恨していたと聞きました。

そういえば、ある日母と食卓を囲んだ時、母がいきなり嗚咽をもらしたのでした。

もし、私がいたことで何かを学んでもらえたのなら、

母は来世ではもっと素敵で幸せに生きられるのではないか、と思っています。

自分の生き方を通して親に学んでもらう、それもまた親孝行です。

いつだったか、

あの子は自分の子供だけれど、今は尊敬の思いで見ている

と言った人がいました。

あなたの成長していく姿を親に見せる、それだけですごい親孝行ではないでしょうか。

◆親を愛せない、「それでも」「それでも」と生きることは尊い

今は「夢でもいい。幽霊でもいいから会いたい」と思っています。

会ったら「お礼」を言うつもりです。

考えてみると、母に「改めて」お礼を言った記憶がないのです。

そのような気持ちには、誰もがならないかもしれません。

でも、どんな時も大切なのは、

だから仕方ないのだ

諦めないことです。

どのように考えるにしても、たとえ

今の時点で怒りや憎しみがあったとしても、

そうした家庭不和の宿業と正面から向き合わなければ、一生状況を変えることはできないでしょう。

「それでも」「それでも」と思いながら、

或いは

「何か意味があるのだ」と思って生きていくなかで、深い縁(えにし)を知る日が訪れるのではないでしょうか。

 

**追記

決して、親のようにはなるまい

と思う人は、案外多いかもしれません。

そう思ったのだとしたら、それはあなたと深い縁のある人が

それ(同じこと)をしてはいけない

と、

自分にやってはいけないことを示してくれている

と考えることが大切です。

勿論、「目に見えて同じ嫌なこと」はしないと思います。

そうではなく、

自分の中で「当たり前のように」なっているところに、それがあったりします。

仏法には「眷属」という言葉があります。

守護神とか、いろんな言い方があると思いますが、どの魂にも、そうした「つながり」ルーツがあります。

「一族」と表現するとしましょう。

私はこんなふうに考えるのですが、

魂での次元の一族は、

自分たちの背負う悪い傾向性・パターンを断ち切る

ことをあなたに託していて、

あなたはそれを受け、

今世では必ず断ち切ろうと挑み地上に降り立った勇者である、

と。

このあたりをどう考えてもよいと思いますが、

自分も

親の気質を受け継いでいる可能性がある

と考え、

徹底的に反抗心を抱いて頑張ること、

親への憎悪によって自分を苦しめるのではなく、

この根源を絶ってゆこうとすること

が、

あなたの

新しい本当の自分を創ることになります。

ただ、

親の代から繰り返されたきたことというのは、当人の中では本当に当たり前のようになっていて、

なかなか問題の「根源」に気づけないことが多い

のです。

 

改善する必要があるとわかっていても、

「仕方ない」とあきらめたり、「これも運命だから」と受け入れていたり、親戚一同に足並み揃え、波風たてないように生きていこうとする人がいます。

そういう人を、ただ歯がゆい思いをしてみているしか、できないこともあります。

その一方で、

ある日

ああ、そうだったのか

と、

悪しきパターンに気づく人はいて、こうしたことを断ち切った人は、そのときを境に

運命ががらりとかわっていくことが多い

のです。

「親のようになりたくない」なら、

本当に「ならない」と決めることが大切です。

 

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