家族の中に浪費癖のある人がいて、しょっちゅうお金を無心される、ということはありませんか。
私も、母の金銭トラブルに随分巻き込まれ、苦労しました。
母は、まだ小学生だった私が貯めたお金でさえ勝手も持ち出して使ってしまうような人だったので、
私はもう、随分とまえから
貸したお金は戻ってこないもの、と思うようになっていました。
似たような体験から、お金を貸す時には、返してもらうことをあてにしない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、
あなたが一生懸命働いて 得た報酬を、他の人が使う、
のは、やっぱり間違っています。
そうせざるを得ない、やむを得ない事情があるというのではない、全く身勝手な理由からであるなら、なおさらよくないことです。
中には、
「もう、心を入れ替えたんだ。これまでのような生き方ではいけないって、気付いたんだ・・」など、ちょっと古いTVドラマのセリフみたいなことを言ってくるような人がいます。
そういう人って、演技が得意で、
半分演技だろうとわかっていても、放ってはおけなくて「しょうがないなぁ」と、思わせてしまったりするのです。
しかも家族なので、
「でも、今度こそ本当かもしれない」
「私が信用してあげなくては」
と思ってしまったりします。
自分が断ったらこの人は生きていけないのだ、と思わせるのです。
あなたが情け深い人であることは、相手も重々承知であることでしょう。
家族に限らず、お金を貸す時には貸す側が強く、借りる側が弱い立場にあります。
けれど、一旦貸してしまうと、立場が逆転してしまうことがあります。
とりわけ、こうしたことで悩む人には優しい人が多く、人に強く言うことができなくて、
「あの時貸したお金、いつ返してくれるの?」と、優しく請求したところで、
「うるさいな。お金お金って。あとで払うって、言ってるでしょ。」
といった感じになりがちです。
あなたがそれ以上のことを言えなければ、借りた本人には好都合です。
そうした人の優しさに甘えることを覚えてしまい、他の人からも借金を重ねてしまうことだってあるでしょう。
その人が自立するための道を遮ってしまう、という意味で
一人の人の同情が、毒となる場合だってあるわけです。
ひょっとしたら、あなた自身は少々人に踏み倒されても平気なくらい、お金には余裕があるかもしれません。
だとしても、
その人がお金に困るような習慣を断ち切り、生活を正していくためには、やっぱりむやみには貸さないほうがよいといえます。
どうしても貸す必要があるように思えたら
例えばですが、あなたがお金を貸すかわりに、何か別の方法で助けてもらい、その報酬として渡す、といった方法を考えてみてもよいと思います。
私自身は友人や家族からお金を借りたことはありませんが、
長い人生の中にはとてもお金に困ることがあったりします。
例えば、私なんかは祖父母・義父・母と幾人もの葬儀費用を捻出しなくてはならなかったし、
生活はいっぱいいっぱいで、子ども達に平等の教育を受けさせられない、と思い悩んだこともありました。
それでも、「人にお金を借りる」というのは、本当に最終手段であると考えるし、
それができるような間柄の人は、そうそういるものではありません。
家族であっても、或いは愛する家族であればこそ、迷惑をかけてはいけない、心配させてはならないと考えたりします。
周りの大切な人との関係を壊さずにおきたい、と思えば、たいていは先に金融機関を利用することを思いつくものです。
あなたにお金を借りる人は、もしかしたらあなたの慈悲深さにつけこんで
どうしても返せなくなったとしても、うやむやにできるだろう、と踏んでいるのかもしれません。
基本的に、あなたがその人の代わりにお金をつくらなくてはならない理由などなく、
お金ではないにしろ、誰かに何かを貸したら、あなたには返して貰う「権利」があります。
そのために借用書など「契約書類」を用意することも大切ですが、問題はそこではないのかもしれません。
家族以外の人との問題に巻き込まれることと、家族の問題に巻き込まれるのと何が違うって、家族の場合、
穴に落ちるのは相手だけではない、ということ
ではないでしょうか。
「血の繋がりがある」ということは、
その人との関係の中で学ばなくてはならないことが何かあるのでしょう。
家族の中で何か問題が起きて、それが「心配事」であるとしたら、自分もその課題に向き合う必要があるということ。
お金の問題に関しても、
その人自身が
「人から信用される」こと自体を誇りとして生きいけるようになるために、
家族がどうあるべきなのか、問われている
のかもしれません。
家族関係の中に起こる問題は、それ自体が問題提起なのです。
家族・家庭は、社会的な問題を乗り越える訓練の場でもある
のでしょう。
そして、
本当の問題は、「お金の貸し借り」ではないのかもしれません。
その動機の背後にある行動パターン、どの部分に癒しが必要なのかなど、あなたの深い知識や洞察が必要になります。
人の自由意志に振り回されたり、
「断ったら嫌われるかもしれない」などの恐怖心・誘惑に屈することのない、高潔な姿勢を維持し抜いていく中で、自分の本当の課題が何だったのか、見つけられるのではないでしょうか。