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執着心をなくす、それって大丈夫なの?

2月 4, 2025

今回は、「執着心」についてお話ししたいと思います。

「執着」って、あまり肯定的な言葉とみなしませんよね。

 

執着は発展を妨げる

と考える傾向が強いからでしょうか。

 

でも、

亡き人を想い、過ぎゆく時を憂い、ときには自分の元で育った人を、淋しい思いを堪えながら見送る、

そんな

執着心ゆえに生まれる感情や行為があるから、私達は完全にバラバラにはなりません。

また、味わいのある人生にもなります。

どんなに未来志向であるとしても、

そうした諸々と自分を切り離して生きている人はいないわけで、

本当のところ

どこかでつながっている、という気持ちなくして、人間らしくは生きられない

ように思います。

 

このブログでは、ツインレイについても記述していますが、ことツインレイについての記事となると

「手放すことが大切」と書かれていたりします。それらの主張には、一理ある(古い考えにしがみついたままでいたら、

未知の領域に足を踏みこみ、新たな選択肢や可能性を探ることはできない)

でも、

「安易に」切り捨てたり、見限ってしまう考え方に、私は賛成できません。

 

確かに、

「煩悩を断ち切る」とは、高尚な行為であるような気がします。

が、その考え方には、大きな陥穽があります。

もしも、

本当に執着心をなくしてしまったら、どうなるでしょう。

頭の中から「執着する」部位を失くしてしまったら、

私達は、ぼーっと生きるようになるかもしれません。

何しろ、生きることにも執着心を抱かなくなるわけですからね。

或いは、何に関しても関心をもたない、とても冷たい人間になってしまうでしょう。

 

釈尊は執着心を断ったのでは?

と考える人もいるかもしれませんが、執着心なくして、

「森羅万象を貫く究極の法則に目覚める」ことはなかったでしょう。

 

私達は、執着心についてどのように考え、生きればよいのでしょうか。

よく、「中道をいく」といいますが、中道とは、AとBの真ん中をとってバランスよくいく

ということではなくて、

第三の道を(模索し)拓いていく生き方です。もしも、あなたに

執着心について考える契機が訪れたとしたら、それが大切なときなのだよ、と言われているのかもしれません。

 

仏法においては、

執着心について、

その執着を使い切って生きる

という考え方が説かれています。

維持し続けるのでも、断ち切るのでもなく、執着心を昇華させていくこと、

 

執着心が自分を苦しめないようにしながらも、

その心を明らめ使って(働かせ、用いて)

人生を切り開いていく

ー仕事をし、結婚生活を維持し、大事な人を支え、自身を成長させ続ける

ことで、希望という新しい景色が広がっていく

のではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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