◆何をする気も起きない時は、無理に何かをしようと頑張らない
私達は、一歩外にでればたいてい誰かに会うし、
人に会えば刺激され、それがまた未来を見つめさせたり他のことに繋がっていったりもするのですが、
正直、何をしてもテンションがあがらなくて、
何をするにも億劫で、
出かける気にもならない
という時って、あるものだと思います。
不思議なもので、
楽しいときは、何もしても楽しくて、
つまらないときは、何をしてもつまらない気がします。
いまのあなたがそんな気分であるとしたら、
何かの変わり目の時期
にきていてるのかもしれません。
何かしようと頑張らず、ゆっくり休む、
空白は空白のまま、使うということ。無理やり何かを入れないということ。
あなたという部屋の一角に、そういうスペースがあってもいいのではないでしょうか。
心身になんら問題はないのに自分を駆動させる力が出ない時は、
あなたが立ち止まる必要があるとき
なのかもしれません。
期待度が高いために、なかなかその満足感を得られない
という可能性もありますが、
今は
どうしても行動を起こさなくてはならない事がない
のではないでしょうか。
或いは、私自身の経験から
何かを見直す時期にある
可能性もあります。
私達が「至福を感じる時」というのは、
たいてい「そうではない時」があるからで、
「いつまでもこうしているわけにはいかないんだよな~」とか、
「明日からまた仕事だ」などのように、精神的な負荷があるからだったりします。
今のあなたが恵まれすぎている
のかもしれません。
欲望がないと、それに関する「発想」も湧かないものです。だから、
ある程度の欲望は必要で、「ない」と感じ、それが欲しいと思っている時は
あれがあったら、これができたらどんなに幸せだろう
と考え、いろんなことをして理想に追いつこうとしますが、
実際何も苦労せずほしいものを欲しいまま手にできる立場になったとしたら
「すべきことがなにもなくなってしまう」のではないでしょうか。
◆行為の「質」をあげ、魂を満足させる
でも、この世界で生きていれば、そのうちきっと新たな欲望が出てきますから、
例えば、新品のお布団とまではいかないまでも、
新しいシーツにするとか、
最近ジャンクフードが多いな、と思えたら、
「良質な」素材のもので
いつもより高度な満足を得られるよう、意識するといいかもしれません。
私達が「高級」というときは「高い値段のもの」を思い浮かべがちですが、
魂の健康のためには、
できるだけ「自然な」とか、「新鮮な」エネルギーを取り入れることが大切なんだと思います。
何しろ、私達自身が宇宙由来で
細胞の一つひとつが、宇宙を内包している
と言われているのですから、「水」や「樹木」「土」など
「自然」にあるものを取り入れるのが良い
のは当然といえ、
太陽の光の下に出る
だけでも「元気」を取り戻せることがあります。
実際、太陽の光を浴びることは
「幸せホルモン」がつくられる、毛細血管の循環をよくする、睡眠にもよい影響を与えるなどの効果がある
ことで知られています。
紫外線の放出を考えると、時間や場所を考える必要はありますが、
何も考えずに外を歩くだけでも、よい効果があります。
なんせ
歩くことは足を前へ向け、進んでいること
だからです。(健康的には時々、後ろに歩くこともいいそうだ)
特別なことをしようという気持ちにはなれなくても、
普段当たり前のようにしていることを、
とことん丁寧に実行する
ことはできます。
「そんな意味のないこと( ̄▽ ̄)」と思うかもしれませんが、
私達は、
目的をもってすることが多くて、
行為の過程を味わうゆとりもなくて、
行為そのものが薄っぺらく感じて、あなたのやる気を削いでいる
のかもしれません。
また、
あなたも、「フロー」という言葉を聞くことがあると思いますが、
無心になって何かしている時、私達は我を忘れているわけで、
他の余計なことを考えなくさせる効果があるし、
魂を浄化させるような気持ちで
取り組んでみるといいかと思います。
そんな風に過ごしているうちに、気分があがって、
◆それは、同じ型にはまりがちになっているよ、というサインかもしれない
殆どの人は、死ぬまでに
自分の脳のほんの一部しか使っていない
と言われています。
このことは、
自分の持っている可能性の、ほんの一部しか実現していない
ことに通じているような気もします。
このブログでは、
何度も「変化」することの大切さについてお話ししてきたのですが、私達の中には
いつしか日の目がくることを望んでいる「可能性」があって、
その可能性は、自分の中の強い衝動によって
引き起こされることがあります。
あなたは、衝動的なことを抑え込む
ことが多くありませんか。
勿論、この場合の「衝動」とは、人に迷惑をかけるような奇異な行動のことではなくて、
何かこれまでとは違ったことをしたくなる
という意味の衝動です。
私達は、よくも悪くも、あとで生じる結果に責任を持たなくてはならないので、
そういう衝動が起きても
覚悟しないと挑めない
と考えます。
何か事を始めるにしても慎重に、できるだけ
あなたらしいよね、といわれる方向から入っていくのです。
勿論、そのほうが安全そうだし、その方があっている
と思えるからなんだと思います。
ただ、
本当は自分を縛り付けているものなど何もなくて、
ある程度厳しい規制の中にいても、
いつもと違う行動をとる自由
くらいはあるはずなのに、
でも、それをなかなかしようとは思いません。
そうして抑え込んだままの可能性
は「生きられなかった」自分、夢占いでもよく言われる「シャドウ」、黒い影です。
現実においては
愚痴や文句、暗い性格として心の奥にわだかまりだし、
他の人が楽しそうにしていることの悪口を言ったり、妨害したり、意地悪したりしてしまう
といったことが起きだします。
本当は、人が思っている
イメージと違う自分がいるんだけど、
それを自分がしたら幻滅されないだろうかとか考えて
それを抑えてしまうことがあります。
案外、人は見られているイメージに左右されやすく、
職場やクラスでみんなを笑わせるような面白いギャグを考えついたのだけど、
そういうキャラじゃないので、言えなくて、
人に披露できず、つまらない思いをする、などのこともあるように思います。
もし、ここ最近の自分が
なんだかつまんない顔をしている、
自分がつまらない人に思えてきた
のだとしたら、
人によい自分の面だけを見せようとするあまり
衝動を抑えすぎてしまっているのかもしれません。
普段の自分とは違う行動ー
といえば、
以前「ハロウィン」についての記事を書いたことを思い出したのですが、ハロウィンの仮装は、
コスチュームという外見の助けを借りて
自分の中にある子供心を自由に解放する、絶好の機会であったりします。
「普段の自分」イメージの枠から飛び出し、
羽目を外し違う人格になるという快感は例えようもない
ことでしょう。なにも
あなたに、熊やスパイダーマンの衣装を着ろと強要しているのではないのです。ただ、
そんな風に どこかで
普段の自分のキャラクターと全然違う人になりきれる時間
を過ごし、ちょっとした冒険を楽しむことは、
必ず新しい創造を生みだします。