繊細過ぎて苦しみを抱えてしまうのですか
◆繊細さんは案外身近にいる
何年か前にはなかった(というか、名称さえなかった)HSPに苦しむ人がいらっしゃいます。
実は、うちの3女が人知れず苦みを抱えやすい子だったと、最近になって知りました。
真ん中の子は放っておかれる、なんてことを言われますが、親からしたら、どの子も平等に接しているはずなのに、
気付かなかったんですね・・。
本人の自己申告なのではっきりそうとはいえませんが、
何度も手を洗ってしまうとか、思い当たることは多いようです。
そういう行動をとることには、ちゃんと理由や
名称があるのだと認識できたことは、一つの救いだったようです。
HSPについては「繊細さん」とも呼ばれ、本も出版されていますよね。
3女を見ていると、「これじゃ 疲れるよね」と言いたくなります。
姉妹からは「気にしすぎ」だと揶揄されます。
仕事から帰宅すると、彼女はその日の仕事場であった会話の一つ一つを辿り、
ラインで同僚に送る語尾の用い方一つにも配慮します。
誰かが何気なく言った一言を、何故自分だけに言ったのだろうと考えたり、
「どういう意味で言ったのか」と何度も頭の中で反芻して、納得のいく結論に辿り着こうとします。
また、人から見たら申し分ない受け答えをしていても、
ひょっとしたらこんな誤解をさせてしまったかもしれない、
とあらゆる方向で物事を考え、
こんなことを言って、嫌な気持ちにならなかったのではないか
といつまでも気にしています。
玄関のドアにとまる、小さな虫が気になりだしてとまらなくなる
など、とにかく心が安まらないのです。
繊細さんにとっては、
生きること自体が「苛酷な挑戦」であるかのよう
です。
人生はとてもキビシイものに感じられ、他の人の「犠牲」になっているように感じることも多いかもしれません。
◆生まれもったものを「いいもの」と肯定して生きる
できるだけ感覚を遮断すればよい
かというと、
それでは「もってうまれたもの」を活かせないようにも思います。
「繊細」なのは、それだけ「敏感」に脳のセンサーが働くから
です。
3女は人とコミュニケーションを図ることが苦手かというと、そんなことはなく、
気心知れた友人がとても多いのです。
何事も表裏一体で、彼女の敏感なセンサーによって「相手の気持ちを考える」ことは、
それによって「自分の意見が言えなくなってしまう」などがある反面、
人のために寄り添い過ぎるほど考えることができる、
という素晴らしい面があります。
私も家族の中で誰に気持ちを打ち明けやすいかというと、
やはり彼女(3女)なのです。
「いいもの」と肯定することは、自分への「自信」に繋がります。
繊細な人は、
できるだけ独りでいたほうがいいのではないか
と考えるかもしれません。
でも、
繊細さんが傷ついた心を回復させようとして、
一旦一人の世界に逃げ込んでしまうと、とても長い時間を要します。
現状からかけ離れ、人から遠ざかってしまうと、
全く意志疎通できなくなってしまうといった事態になるかもしれず、
現実逃避は自信を失わせてしまう
ことになりかねません。
休暇にリラックスすることは大事だとしても、
実用的な結果を残すほうが有意義であり、
安心できる、強くなれる環境を自らつくっていこうとする事
が、やはり大切なのです。
どのような人にも言えることですが、
一番よくないのは「自分なんかだめだ」、と自分を拒絶することです。
愛のエネルギーは、全ての人の「生存」に直結しています。
人間関係では不安を感じつつも、その人を冷静に観察することができるようになれば、もっと生きやすくなります。
実のところ、あなたには何の非もないのに、
自分の気持ちに精一杯になりすぎて苦しむ
ことも多いのです。
例えば
ある人が自分に対して辛くあたると思えるとき、一歩退き、
他の人に対してはどうなのだろう、
と考えてみます。
すると、その人は他の人にも同じようにしていて、
機嫌が悪い時、この人はそういう風なのだと、自分に言い聞かせることができます。
これは他の人も体験していると思いますが、不思議なことに、
推論だけで相手のことを見ていると、その人は
その推論を裏付けるような行動をとるようになる
のです。
「繊細さん」の本の著者武田友紀さんの書籍の中には、以下のような刺激を物理的に防ぐことについても書かれています。
是非こうした書籍も参考にして、心理的な距離の調整を図って下さいね。
目ーサングラスを使う・眼鏡がコンタクトレンズの度を落とす
耳ーイヤホンをする
鼻ーマスクをつける
触覚ー素材が心地良いものを選ぶ・話に疲れそうな時には胸の前に資料を抱える