
私は、こうした文章を書いているときには、かなり饒舌です。
けれど、人が集まる場所では、できることなら静かに座っていたい。
自分が話すよりも、人の話を聞いているほうが楽ですし、好きです。
だから以前は、
私は、人と話すことが苦手
なのだと思っていました。
でも、いろいろな人と関わってきて思うのです。
話すことが苦手なのと、たくさん話さないことは、同じではないのかもしれません。
◆たくさん話せる人が「会話上手」とは限らない
何人かで集まっていると、
よく話す二人だけで盛り上がり、ほかの人が会話に入れなくなってしまうことがあります。
私も何度か経験があります。
「ごめんね、自分たちだけでしゃべっちゃって」
と言われても、
「大丈夫ですよ」
と答えるしかありません。
でも、本当は少し寂しい。
自分もそこにいるのに、いないような気持ちになることがあります。
そんな経験があるからでしょうか。
自分が人を集める側になったときには、誰か一人が話に入れないまま帰ることがないように、私はかなり気にします。
私たちは知らず知らずのうちに、
よく話せる人=コミュニケーション能力の高い人
と思っているところがあります。
学校でも、
早く手を挙げられる子。
すぐに答えられる子。
たくさん発言できる子。
そんな子が目立ちやすかったのではないでしょうか。
もちろん、話すことが得意な人には、その人ならではの役割があります。
場を明るくしたり、初対面の人同士をつないだり、人前に立って話したり。
それは、とても素敵な力です。
けれど、その反対に、
考えてから言葉にする人もいます。
何かを感じても、すぐには口にせず、
「どう言えば伝わるだろう」
と考えているうちに、発言する機会を逃してしまうこともあります。
だから、
話さない=何も考えていない
ではありません。
むしろ、言葉を慎重に選ぶ人だからこそ、口数が少なくなることもあるのだと思います。
◆会話は、一人でするものではない
国語教育で知られる大村はま氏は、『教室をいきいきと』の中で、たくさん話せばよい話し手というわけではない、という趣旨のことを述べています。
そして、よい話し手とは、
みんなの発言を誘うことのできる人
でもある、と。
私は、この考え方がとても好きです。
会話というのは、一人の能力だけで成り立つものではありません。
誰かが話し、
誰かが聞き、
そこからまた誰かの言葉が出てくる。
そうやってつくられていくものです。
ですから、
「私は話下手だ」
と思っていたとしても、本当にそうなのでしょうか。
もしかすると、
あなたが話せる余白のない場所にいるだけ
なのかもしれません。
こちらが話し始める前に話題が次々と変わったり、いつも同じ人だけが話していたり。
そんな場所では、誰だって話しにくくなります。
◆言葉にすることだけが、気持ちを伝える方法ではない
私たちは、言葉だけで人と関わっているわけではありません。
笑顔だったり、
うなずきだったり、
相手のほうへ身体を向けて話を聞くことだったり。
恋愛なら、手を握ったり、そっと抱きしめたりするほうが、たくさんの言葉より気持ちが伝わることもあるでしょう。
結局、私たちは言葉そのものより、
その言葉の奥にある気持ち
を受け取っているのだと思います。
だから私は、
たくさん話すことよりも、
心のこもった一言や、
「ありがとう」という言葉、
ちゃんと話を聞こうとする姿勢のほうが、大切なこともあると思っています。
そして何より、
自分の思ったことを口にしても大丈夫だと思える場所
では、人は自然に話せるようになります。
「何を言っても否定されない」
「急いで答えなくても待ってもらえる」
そんな安心があれば、会話はずいぶん楽になります。
◆最初の一言が、場の空気をつくることもある
今でも覚えていることがあります。
ある日、ランチから戻る途中、先輩が大きく伸びをしながら突然、
「力のある限り!」
と言ったことがありました。
続きはありません(笑)。
何か深い意味があったわけでもありません。
でも、その一言にみんなが笑いました。
こういう何でもない言葉が、意外とその場の空気をつくっていたりします。
人が集まる場所では、
最初に発せられた言葉
が、そのあとの会話の方向を決めることがあります。
「ああ、今日も仕事か。嫌だなあ」
という言葉から始まれば、不満の話が続きやすくなります。
反対に、
「今日、気持ちいい天気ですね」
という一言から、違う空気が生まれることもあります。
もし、
「もう少し明るい雰囲気になればいいのにな」
と思う場所があるなら、
無理に会話を盛り上げなくてもいいので、
自分が心地よいと思う最初の一言を出してみる
のも一つの方法です。
私は必要以上に慎重なので(笑)、待ち合わせや仕事には、だいたい早めに到着します。
すると、まだ人数が少ないうちに誰かと話すことになります。
大勢の中では話しにくくても、一人、二人なら話せる。
そんなこともあります。
そして、その最初の小さな会話が、そのあとの雰囲気につながっていくことがあります。
◆話すより、まず人を見る
人と話そうとするとき、
「何か話さなければ」
と思いすぎると、かえって言葉が出なくなることがあります。
そんなときは、無理に話題を探すより、
少し人を見ているほうがうまくいくことがあります。
この人はいま楽しそうだな。
少し疲れていそうだな。
この話をするときは、とても嬉しそうだな。
そんなふうに相手の感情を感じながら聞いていると、自然に言葉が出てくることがあります。
「それ、好きなんですか?」
「大変でしたね」
「それは嬉しいですね」
ほんの一言でもいいのです。
不思議なことに、
たくさん話すわけではないのに、いつも人から好かれている人がいます。
そういう人は案外、
自分が話すことより、相手が話しやすくなること
を自然にしている人なのかもしれません。
反対に、あるグループにいると、どうしても話す気になれないこともあります。
その場合は、
「私は会話が苦手だから」
と決めつけなくてもいいと思います。
単に、その場所の雰囲気やテンポが、自分とは合わないこともあるからです。
◆自分の言葉が出てくるまで、少し時間がかかってもいい
人からどう思われるかを気にしすぎると、
自分の本当の気持ちを口にするのが難しくなります。
「こんなことを言ったら変に思われるかな」
「否定されたらどうしよう」
そう考えているうちに、黙ってしまう。
でも、
「私はこう思います」
「私はこういうものが好きです」
「私は、これは苦手なんです」
そんな小さなことを伝えていくうちに、自分の中にも少しずつ軸ができます。
もちろん、すべての人に理解されるわけではありません。
けれど、自分を隠さなくなることで、
自分と波長の合う人を見つけやすくなる
という面もあります。
人間関係は、たくさんの人に好かれることだけが大切なのではありません。
無理をしなくても話せる人。
沈黙していても気まずくない人。
少し考えてから話しても、待ってくれる人。
そんな人との関係のほうが、長く続くこともあります。
◆話すのが苦手なら、「話させ上手」でもいい
それでも、
「やっぱり私は話すのが苦手」
と思うなら、無理に話し上手になる必要はありません。
むしろ、
相手が話しやすくなる人
を目指すのもいいと思います。
「それから、どうなったんですか?」
「そのとき、どう思ったんですか?」
そんな一言があるだけで、相手は安心して続きを話せます。
その間、自分は静かに聞いていればいい。
そして、ときどき自分の感じたことを返す。
それだけでも、立派な会話です。
むしろ、
一人でずっと話している人より、
自分の話をきちんと聞いてくれる人と、また話したいと思う人は多いのではないでしょうか。
だから、
人と話すことが苦手だからといって、自分の性質まで変える必要はないと思います。
たくさん話せなくてもいい。
誰かと同じテンポで話せなくてもいい。
自分の言葉が出てくるまで、少し時間がかかってもいい。
一人でいることが好きでも、人との関わりが必要になることはあります。
そんなときに、
挨拶を交わす人がいる。
困ったときに少し聞ける人がいる。
何気ないことを話せる人がいる。
それだけでも、暮らしは少し安心になります。
会話は、言葉の量を競うものではありません。
誰かが話し、誰かが受け取り、また言葉が返ってくる。
その小さな往復があるだけで、人と人とはつながっていけます。
もし今、
「私は人と話すことが苦手だ」
と思っているのなら、
少しだけ考えてみてください。
本当に話すことそのものが苦手なのでしょうか。
それとも、
あなたが安心して話せる人や、話せる余白のある場所に、まだ十分出会っていないだけなのでしょうか。
話す量ではなく、
互いの言葉を受け取れること。
私は、それが「会話ができる」ということなのだと思います。


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