◆何のために生きるのか
あなたの
使命に導かれたいという願いの中には、
自分は何のために生きているのか、
それを自覚したい
という思いもあるのではないでしょうか。
私達はなんのために生きるのか、
それは、今どんな立場にいる人にも可能で、誰にでもあてはまることでなくてはならなくて、
だとしたら、それは
喜びを創造するため
では、ないでしょうか。
ある人は言葉で、声で、身体を使って、その時々の自分の心にあるものを表現するでしょう。
あなたが学んだ分だけ世界は広がり、悲しみを知った分だけ深みが増し、
そうして経験を重ねるごとに、
「生命の質」を高め、
私達は
自分以外の人に向けて喜びを創造する
ようになっていきます。
使命感が生まれる鍵があるとしたら、
共感
ではないでしょうか。
<2>で紹介した女性も、誰かの心に支えられたり、励まされたりして立ち上がることができたように、
その人が
目の前の人の幸せを祈り、
自分の無限の可能性を信じ他の人達に関わり続け
たように、
立ち上がった一人が、今度は他の誰かを励ます側となり、
相手に寄り添い、共に歩む日々が
自分自身を癒し、元気と活力を与える
ようになります。
誰かの人生に起きたことを、我が事のように捉える
崇高な心
は、本来誰の中にもあります。
その証拠に、
ツイッターでつぶやく一言が、人の共感を得ると瞬く間に拡散されます。
誰に頼まれるわけでもないのに、私達は自分の意思でそれをしているのです。
あなたから始まる一波は十波に、百波へと波動を広げ連帯を深めていくことができます。
◆使命感に生きるとき、魂は満たされる
この宇宙のすべてのものは、ひとつに繋がっています。
それを理解したとき、すべての存在に共感し、共鳴し、すべての存在にやさしくできるようになります。
あなたの
「自分だけの悩み」と思っていたことが、実は
自分以外の誰かの悩みでもあるのだ
と気づいたとき、
もっと大きな目的のための
自分の生命の使い道を見出し、
あなたは歩きだします。
仏陀の歩みも、そこから始まりました。
あなたに
何が不足しているとしても、
強く生き抜いていくことで、みんなが希望を持てるようになり、勇気を感じることができます。
だから、時に「負」を背負い、この世に降り立つ人もいます。
個人的な立場から、このような言い方になりますが、
この自分のまま、負けずに生き抜こうと決意したときから、
あなたの目も口も、手も、足も、仏さまの使いとなって働くようになります。
そこには
誇り高き満足と歓喜
があります。
いったん、この喜びを味わうことができた人は、
その道から外れることはありません。
誰だって、
真の幸せを味わう
ために何をすればわかったなら、そのための行動をせずにはいられなくなるでしょう。
もし、途中道から外れてしまうのだとしたら、その人はまだ経験をしていないのです。
(自分の)善性や慈しみの心によって
魂が満たされる、
という経験です。
これを経験するのは難しくありません。
ただ、
体験を重ねながら、徐々に物事に見方や捉え方を変えていく
必要があるかもしれません。それ以前に、
諦めや無力さから、
共感するだけに終わってしまうこともある
と思います。
だから、私達は<1>でお話ししたように、力をつける時期
が必要なのかもしれません。
その人が
歓びの創造に向けて意識革命できるまで。
あらゆる人が、あらゆるものが、
かけがえのない、大切な存在であるということを、実感するようになるまで。
◆人を褒める人は「幸せ」になる人
人を褒める
ことも、「共感」から始まる歓びの創造です。
簡単なようで、なかなか簡単にはできないかもしれません。
人を悪く言うことは簡単にできても
あの人はすごい、あなたはすごいと身近な人ほど言えなかったり、
心で思っても口に出しては言えなかったり、
口には出しても、心では思えなかったり
ということもあります。
でも、
きっとあなたに、その心配はないでしょう。
夢占いの「褒める」でも記述しましたが、
誰かを褒めることができるのは、
その人の中にあるもの・行為に、あなたの心が反応するから
です。
自分の心にあるものを、
自分とは別の形で表現してくれた人に、称賛の声を送っている
のです。
トルコの大詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーも、
誰かが誰かのことを良く言うとき、その善果は自分自身に戻ってくる。
実ははじめから自分自身のことをほめたたえているようなものだ
◆共感が、今のあなたを超えさせる
褒める
という行為は、
他者への生命の尊敬
であり、
その尊敬が、自分自身の生命を荘厳
します。
<1>でお話ししたでんでんむしもそうですが、
共感は、時に
今の自分を超えさせます。
自分だけよりよく生きよう、
というところから、
他者の喜びへの創造となると、自利利他が融合されるような、
いわば
菩薩的な生き方
に通ずるものがあります。
自我は超我へ、分断は智慧へ、欲望は慈悲へ、成長を遂げていきます。
そうした時のことを覚醒とか、悟りということがあります。
こうした内面の変化は、
必ず事態の好転へと繋がります。
また、
私達は
窮地に陥ると、意外な方角に活路を見出すことができ、
これ以上最悪なことは起きないだろうと思うとき、
大胆な行動に踏み切る
こともできたりします。
多くの偉人たちは、こうしたことを、すべからく体現してみせてくれます。
このお話しをしていて思い起こすのは、
「ガーナ建国の父」とうたわれたクワメ・エンクルマ大統領なのですが、
彼は
獄中から選挙に立候補し、圧倒的な勝利を果たし、
◆使命感が生まれるとき、何が起こるのか
長くなりましたが、まだまだ不足箇所があると思っているので、折に触れ、修正をかけていきたいと思います。
使命については、
そのようなものがなくても生きていける、
と思う人もいらっしゃると思います。
その一方で
自分の人生にもっと感動がほしい、
という方もいらっしゃるのだと思います。
もとより人間は、
生きる意味を求める動物
なので、
それさえあれば、どんな苦しいことも頑張れたりします。
反対に
それがなかったら、他のすべてがあったとしても虚しく、
心はゆっくり死んでいくでしょう。
宇宙は決して無駄なことはしない、何か意味があって、私達は存在します。
最後に、
自分の中に使命感が生まれるとき、以下のようなことが言えるのではないか
と思うことを書き出してみました。
◇生きていてよかったと思える
◇他の魂と響きあうような反応を感じる
◇自分の力が必要とされているのを感じる
◇関わっていることに対し、未熟であったとしても、自分の中で手ごたえを感じられる、充実感がある
◇自然と使命に繋がっている事象に導かれているような気がしたり、さらに使命を感じさせてくれる人に出会える・事象に遭遇する
◇自分より高いレベルにあるものから、協力を得ているような気がする
◇確実に良い方向に向かっている、軌道にのっていると感じられる
◇誰かのためになっていると実感できる、自分の存在が有意義に感じられる
◆使命感が生まれるときは、人生が変わっていくとき
人生が変わるとき、稀有な体験をすることがあります。
どうしてそうした体験をするのか、
それは
この宇宙そのものが慈悲の当体だから
なのでしょう。
私達は、小宇宙であるといわれています。これはファンタジーではなく、近年、医学の世界でも言われるようになりました。
小宇宙であるあなたの慈愛(慈悲・愛)が発動するとき、
宇宙そのものに備わる慈悲の力を発揮するから
なのでしょう。
使命に生きる人とは、
あらゆるものがかけがえのない、大切な存在である
ということを実感することができた人であり、
私達人間の
永遠不変の真理である生命の法を覚知した人
であるともいえます。
喜び身に余るが故に
という言葉があるのですが、これは仏法の中で
義務や強制ではない、最極の使命を知ったときの歓喜
について、語られた言葉です、
義務とか強制ではない、
深遠なる使命に目覚めたとき、
人はそれを伝えずにはいられなくなる
のです。
それはまた
命が燃え尽きるまで旅路を続ける覚悟を伴う道
へと、踏み出した人であるともいえます。