ライフスタイル

生きがいを見つけられないのですか

9月 25, 2021

いつの間にか無意識に夢中になっているものが、生きがいに通じている

生きがいという

鼓動が高鳴るものとの出逢い

 

素敵な異性と出会う

時と同じような気がします。

いつの間にか、

無意識のうちに

夢中になっている

ものではないでしょうか。

 

生きがいがない、

と嘆いているとき、

個性を発揮したり、才能を磨いたり、社会のために活動したり、

有用性

という観点から

自分の存在意義を

はかっているのかもしれません。

生きがい

をもって取り組むことは、とても素晴らしいことですが、

与えられたことに従事し、

自分を生かしてくれているものに意識を向け、ひたすら感謝して生きる、

このことは大切なことで、でも当たり前すぎて、なかなか気づきにくいことなのかもしれません。

私はよく考えるのですが、

無知から既知へと変えていく努力

はもちろん必要ですが、大切なことは、たいてい

今どんな境遇の人にもできること

にあると思うのです。

そして、ある日

自分はこんな当たり前のことに気づかないでいたのか

と思ったりします。

私なんかは、ここまでの人生がこんな風に「思い出す」作業であったように思います。

生きがいを求めて探し回りたくなったらすること

何より、当たり前のことに感謝する、その

感謝は「肯定」です。

そうして肩の力を抜き、リラックスして過ごしている時は

素直な感性で事象をとらえる

ことができる、

 

山あり谷ありの人生の中で、

ごく普通の何もない穏やかな日々というのは、それだけで

とても貴重

な時間です。

 

また、何もない時というのは、それがあなたの基本であるということ、

感謝してやすらうことのできるとき・ところ

であるといえます。

生きがいを求めていて、

探し回りたいような時は、それ以前に大切なこと

あなたの「生」を感謝と喜びのうちに謙虚に受け止めること

が大切だよ、自分の存在・あり方を大切にする必要があるよ、

と言われているのかもしれません。

 

実際のところ、

何が有用であるかは、誰にも分らないことです。

世界には、様々な考え方の人がいて、いろいろな価値観があります。

どれが役にたって、役にたたないかなど、わからない

のが本当ではないでしょうか。

世界で最も影響力のある100人」に選出されたこんまりさんだって、

10年先、20年先「片付け」がこんなにブームになるなんて、

思っていなかったのではないでしょうか。

 

私達が

「それを思いつく」ということは、そこになんらかの可能性があるから

で、でもその可能性を発生させるためには、行動しなくてはなりません。

思いつきを行動に移していくところに、魂の求めている何かがある

のだと思います。

 

ただ、他の人からの

「そんなことの、何が面白いの?」「何のためになるの?」

という言葉とか、自分で自分にダメ出しして、

出鼻をくじかれてしまうこともよくあるのです。

 

仏法では

「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、」

と言う言葉があり、これは

善い結果になるのが不思議であり、悪い結果になるのが当然と考えなさい。

ということなのですが、

その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機となっている場合もあります。

 

私も、こうしたブログを運営しているほどに思うのですが、

自分の小さな頭の中で考えつくことを、頼りにはしないようになりました。それに伴い、

何かしなくてはならない

と、探し回らなくなりました。

使命のほうが我々を探している(ダグ・ハマーショルド)

という、有名な言葉もあるように、

自分が探さなくても、たいてい

必要なことは向こうから

やってきます。

 

だから何も考えなくていいかというと、そうではなくて、何かに従事するとき、

「余力を残して」取り組まないこと

が大切なのではないでしょうか。

その時の精一杯のあなた、

それが仕事であるなら、

きた依頼に自分の持てる限りの力をだしていく癖をつけること。

生きている手応えを実感できるようになると、無理なく、次のことにも

到達したい「憧れ」のものにも関心が向く

ようになります。

あなたの真価を発揮すれば、おのずとよりよい道が提供されるようになります。

◆生きがいを持って生きている人に、人は魅了される

「成功者」と呼ばれる人の中には、実に

不思議なところから階段を駆け上がってくる

人がいます。

誰も関心を払われず、注目を向けられていないようなところから

突如としてスポットライトを浴びる

ような人がいます。

才能や資産に恵まれていたとかではなく、

与えられた環境の中で

限られた居場所の中で

何かをきっかけに

やむにやまれぬ思いに駆られた

とか、

ぎりぎりまで挑戦すること

を強いられ今に至った、というエピソードをもっていたりします。

そうした体験をした人達は

自分の能力の限界に挑戦すること

を生きがいとするようになる

のではないかと思います。

 

私達の目には、

オリンピックやパラリンピックに出場する人達の

精神の在り方がすごく魅力的

にうつり、感動をもらいます。

そういう人の中に、私達は

未来に繋がっていく

生命の可能性

を見ているのかもしれません。

私達は

自分達がこうして生き存えてきたのは、個々の生命が挑戦し偉業を成してきたからと、本能的にわかっている

のだ、という話を聞いたことがあります。

自分もまた、そうした遺伝子をもつがゆえに

無我夢中で取り組むことができる、

肯定感で満たされるもの

に出会いたい、って思うのかもしれません。

◆生きがいを「探す」必要はない

目の前に現れる仕事や楽しみに身を投げかけ、

その対象そのものになりきるとき、

自分がいきがいを感じているかどうかは、問題ではなくなっている

ものです。

このことが、よく

「フロー」という言葉で表現されているように、

主観的な感じに囚われすぎない

ことが大切なのでしょう。

また、

命に創造の機会を与えてやれることに従事する

ことも大切です。

 

あなたは、

以前は

楽しいと思っていたのに、そう思わなくなった、

ということがありませんか。

すごく欲しいと思っていたのに、手に入った途端、魅力が失せてしまう

こともあります。

楽しみが半減したり、つまらない

と感じてしまうのは、なぜでしょう。

愉しさは、創造と空想にあるわけです。

創造し、及ばないところは空想で補い、私達の世界は

どこまでも広がっていきます。

それが

どんなに他愛のないことであったとしても。

 

諸々の価値の中から、何を最も大切なものとして選び出せばいいのか、考える時なのかもしれません。

自分の生命を屈辱的に扱っていると思えるなら、方向転換をしてみる

ことも大切です。

携わるべきは

自分の尊厳を正しく扱える場所であるということも、付け加えておきたいとおもいます。

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