恋がしたいのに、出逢いがないのですか?
◆恋がしたい、でもこの人と思う人に巡り会えない?
合コンやSNSでの繋がりなど、今は断然
出逢いの場には恵まれている
と思います。
私の青春時代にそういう場があったらどんなによかったかと思いますが、
こんなに出逢いに恵まれたご時世になっても「恋人ができない」悩みは尽きないと聞き、正直驚いています。
私も恋愛に関する本を少し読んだことがありますが、たいていは
「もっと自信をもって!」とか
「とにかく外に出掛けよう!」とかって書かれていたりします。
確かに、「数」を打たなくては出逢う率も下がりますから、
とりあえず「外に出る」
は、有効的であると思います。
人との出逢いを楽しむ気持ちも、期待を膨らませて動くことも、心が活気づいて、
とてもよいことだと思います。
それでも恋人候補者に出逢えないのは、
そうして出逢いの場に赴いても、
盛り上がりはするけれど、その先がない
その場限りに終わってしまう、
こちらが積極的に働きかけても、相手の反応がいまいちだったり、タイプではない
からなのでしょう。
解決を探るほどに
・出逢いの数が少ないのかな、
・理想が高すぎるのかも?と、
自分の努力不足を反省したり理想を下げたりして、そうこうしているうちに
自分が何を求めているかわからなくなっていく、なんてこともあるかもしれません。
焦ったり絶望的な気持ちになっている時にとる行動は、
やはり絶望的な方向に進んでいくものです。
不安や欠乏感、劣等感や無力感などに支配されている状態で、
例えばメイクや服装がキマッていたとしても、
他の人の目には、あなたが健康的で幸せそうには映らないかもしれません。
◆あなたは自分を恋愛したい?
人が意識を向ける相手って、「どこか自分に似通ったところがある人」
ではないでしょうか。
そこで質問です。
あなたは、自分と恋愛したいと思いますか?
こんなことを
恋愛経験が圧倒的に少ない私が言うのでは、説得力がないかもしれませんが、
その数少ない恋愛経験を振り返った時、
「恋愛できる相手」に出逢うことを意識している時よりも、
そうではない時のほうが、出逢いに恵まれていた
ように思うのです。
例えば
完全に仕事モードでいる時とか、友人関係に力を入れている時って、誰にでもあると思います。
異性より夢中になれるとか、何か打ち込んでいたいものがあって、
「お願いだから、今私のことはほうっておいて」と、極力目立たないようにしているのですが、
そのような時ほど、何故かほうっておいてもらえない、というようなことがあるのです。
職場には自分より若く、綺麗な人だっているのに、と。
とても不思議すぎて
私はこの不思議な現象について考えたことがあります。
中学の時、「いいなぁ」と思っていた人がいました。
そのことをクラスの女子の輪の中で話していたら、他の女子達も少し意識しだすようになりました。
ついには告白する人も現われるようになり、
その男子に人気が集まるようになっていく課程を、私は静かに見守りました。
そして、私の恋心はなぜか冷めていきました。
私があまのじゃくだから?
それもあるかもしれませんが(^_^;)、「他の人の目を意識しだし」、
誰がみていようといまいと関係ない自分を失っていく人
に対する、私の関心は薄くなっていったのです。
◆恋する相手は、あなたの太陽的部分
茂木健一郎さんの書籍「今、ここからすべての場所へ」の中に、こんな一文があります。
「私はその不細工なおかみさんを愛してしまったかもしれないと思う」
その「不細工なおかみさん」に、茂木さんは
魂を不意打ちされた
のだと述懐しています。
人を恋する瞬間とは、そういうもの
なのかもしれません。
ある時、授業を終えお昼時に一人で入った。
お世辞にも美人とは言えないおかみさんが、奥の三畳に座ったまま顔を上げた。
どうやら、客が来なくて暇なので、一人でジグソーパズルをやっていたらしい。
生活の心配などいくらでもあるだろうに、その笑顔には一点の曇りもなかった
相手からどう思われているかを気にしている時は、
相手のことをしっかり見つめるより先に
「相手から見られている自分」を強く意識しています。
それが途端に自分の魅力を失わせ、相手から「つまらない人」に思わせてしまうのではないか、
何の意図もない無垢な自分を生きている時のほうが、
相手の目を釘付けにさせるほどの、圧倒的な存在感を放っている
のではないか。
そんな風に思うのです。
私達は、そんな存在を追いかけ始めることがあります。
その人は
自分にとっての太陽的存在、
眩しい
存在です。
◆追いかけることをやめ、本当の自分を生き始めた時、未来は開けていく
本当は自分だって
自分の中の「太陽」を高く掲げて生きていくことができるのです。
このことを、私達はわすれがちです。とくに
太陽を見つけようとしている時。
人は
他の人のほうが眩しく見えてしまう
ことがあります。
自信を失っていたり、
弱気になっている時
誰かに光を当ててもらわなければ輝けない、と思いこんでいる
ことがあります。
あなたは、まだ
若くて魅力があるうちに相手を探さなくてはならない、
と急いでいるのかもしれません。
そんな風に
焦燥感に駆られているときほど、物事は良い方向に進展してはいかない
ものです。
本心から「そうしたい」と望んでいないのにすることに、
心は葛藤しやすくなり、
本領を発揮できない
からです。
反対に
しかるべき時
しかるべきところにいれば、物事は滞りなく進んでいきます。
「しかるべき場所」とは、どういう場所か、
あなたが情熱を傾けられる場所、
自分が幸せを感じられる場所です。
運命の人に
自分を見つけてもらえないのではないか
と心配している時よりも、
あなたが一番自然体でいられ、
向かうべき方向にひたむきに向かっている時のほうが、
見つけてもらいやすく、そのような時のあなたは
アピールしようなどと思わなくても、魅力的なエネルギーを出しています。
自分の呼吸で何かに打ち込んでいる時、
あなたの横顔は素晴らしい存在感を放ちます。
あなたはそうとは知らず、相手に見つめやすくさせておいて
あなたの魂に生きているものを見せつけるのです。
そして、理性と、相手の魂の中にまどろむ感情に訴えかけ、ハートを揺さぶります。
どんな人の中からも芽ばえてくるはずのものに、刺激を与えます。
このことは、
自分が心を鷲づかみにされる瞬間
を考えてみても、よくわかると思うのです。
相手が、こっちを向いて自分をアピールしている時よりも、
他の何かに意識が向いて、本当の自分の姿を見せているとき、
私達はふと心を奪われることがあります。
条件のよい人を探し求めるのとは違う、
この人を「理解したい」という気持ち。
それを
「恋におちる」というのではないでしょうか。
理想の人を探すことを諦めた途端、理想の相手に巡り会えた
というのは、そういうことだと思うのです。
恋がしたい、と思った時は
「理想の相手探し」から一歩下がり、あえて
「それ以外」のことに夢中になって、
それと通じ合える「人を惹きつける人」になることのほうが
有効的であるように思います。