ツインレイに遭うことは稀だ
と言われています。
進化した状態の魂が稀だから
というのが理由だそうですが、
では
進化
とはなんでしょう。
ウィキペディアには
生物の形質が世代を経る中で変化していく現象
と書かれています。
ツインレイの関係は、神秘なイメージから、どこか曖昧に流れてしまうところもあるので、
私はちょっと慎重にすすめたいのです。
辞書をひくまでもなく、
進化に「変化」はつきもの
です。
ツインレイと出会うには、変化を受け容れる必要がある、
或いは
「変化」し続ける「覚悟」が必要なのでしょう。
また、魂の「進化」について考えたとき、
それは「洗練されていくこと」ではないか、
とも考えるのです。
そう思ったとき、ある人物が思い浮かびました。
それは
「普明如来」という、立派な仏様になった修行僧
須梨槃特
なのですが、その仏様は、かつて
忘れっぽいことで有名な修行僧でした。
自分の名前さえ、忘れてしまう人だったのです。
ですが、釈尊が教えた「14文字」を来る日も来る日も暗唱し続け、ついにそこから悟りを開くことができた、
という説話なのですが、
世の中には、14文字どころか何千文字もそらんじることができるような人がいます。
けれど、それがために
慢心を起こしてしまうこともあります。
途中で人の恩を裏切ったり、人の優しさを踏みにじるといった行為は、こうした慢心から起こります。
反対に、たった14文字の中に真実を見いだし、
精進を怠らず魂を磨き続けていく人がいます。
他にも、さまざまな仏様が説話に登場しますが、
「洗練」の意味を調べてみると、
「優雅」「高尚」「磨きのかかった・・」
などのキーワードが出てきます。
私は須梨槃特の中に、それらを見るような気がしてしまうのです。
進化するのに「変化」が必要であるとしても、「人を超える存在になる」わけではありません。
人はそう願ったなら、
男性でも女性でも、どこに住んでいても、
今を超えていけるようになるはず
です。
私のようなものでも、どんな人にも可能で、普遍的で、開かれた道があるに違いない、と思っています。
ツインレイは愛を基軸に変革を遂げます。
もとより、どんな状況の中にも「愛」はあり、
変革は、
限られた条件をもつ人だけの、閉ざされた道ではない
と思うのです。
「須梨槃特」のように、
魂を磨き続けていく精神にこそ、「進化」がある
ように思われてなりません。
魂を洗練していく上で、鍵となるのは
「留まらない」こと、「手放す」こと
ではないだろうか、とも思います。
「変化」も「手放す」も、ツインレイについて語られるとき、決まって登場するキーワードですよね。
これがなかなかできなくて、人は思い、悩み、苦しみます。
なかなか、
成り行きに任せることができないのです。
だってそれは、素晴らしい体験だから。
尋常でない喜びの感覚を、人は忘れることができないから。
いつまでも そこに しがみついていたい
のです。
この経験を 私は忘れたくない。
彼(彼女)は、私を愛していると言った。
愛されていると感じられ、
守られていると感じた。
あの瞬間を経験し続けたい。
何度も再生し続けたい
これは、あなたの 心の声ではないでしょうか。