幸せになりたい<2>楽観的に生きる、ということ
◆明るい気持ちを持続させるのって、結構大変
物事が調子よくいっているとき、
なんでもよい方に考えられるような気がします。
本当は、誰だって明るく元気でいたいはずで、
自分から「ネガティブに生きよう」と思う人はいないのではないでしょうか。
私はちょっとそういう(ネガティブに物事をとらえる)傾向があるかもしれない、
と思っていても、幸せの頂点にいるようなとき、
暗い気分になれといってなれるものではありません。
やっぱり心はウキウキしていて、表情や態度にも表れてしまいます。
幸せな人は明るくて、明るい気分でいるのは幸せだから、
それが自然なのではないでしょうか。
ただ、その明るい気持ちを持続させることがなかなか難しくて、例えば
たまにショッピングを楽しもうとしたら、途中で雨が降り出して
私って、ツイてないな
と思ったり、
強引な割り込みをされムカッときてしまったなど、
せっかくの気分を台無しにするようなこと
が起きたりします。
心の平和は、日常のちょっとした出来事によって、簡単に乱されてしまうのです。
◆一度悲観的になると、永遠に変わらないように思えてしまう
思い切って好きな人をランチに誘い、断られた
としたら、あなたはどう考えますか。
やっぱり、ダメなんだ・・・
と思うでしょうか。
私のこと、好きじゃないんだ
とか、
私に魅力がないからだ
と考えるかもしれません。
私の誘いを断るなんて、
何か、のっぴきならぬ事情があったに違いない、
とは、なかなか考えられないもので、
もう脈はない、
自分といても楽しくないんだ・・などのように考え、
はては他の嫌なことまで思い出し、だんだん自分がつまらない人間に思えてきて、落ち込んだ気分が続いてしまうことがあります。
ひとたび気分がめいり、くよくよ考えこんでしまうと、なかなか切り替えることができない、
それが悲観的な考え方の特徴で、
いつもそうだ
ずっとこうなんだ
と、物事を永続的に見てしまうのです。
それは一時的な事実であるのに、
いつもそうだ、と考えることで、
何をしても変わらない
と、思ってしまうのです。
こうした事例を沢山挙げ、
だから幸せに生きるには、
楽観的に物事を考えることが大切なのだ!
と力説して終わってもよさそうですが、実際のところ、
人生とは、つらいものなのだ、そう「いいこと」は起こらない、
と言い聞かせ慎重に生きている人に、
明日から楽観的に生きろ、
と言うのでは、もっと高いハードルに挑め、といっているようなもので、
余計なストレスを与えるだけになってしまうでしょう。
それに、
楽観的に生きることは、
問題を軽視すること
になりかねないではないか、
お気楽に生きてる場合じゃない、
◆真の楽観主義とは、自分の意志によって認知の仕方をかえること
楽観的な生き方については、
世界的に有名なマーティン・セリグマン博士に学ぶところが多いと思うのですが、
(アメリカの心理学者・「楽観主義を学ぶ」の著者)
博士は、
楽観主義とは「希望」のことである、といいます。
いつ、どこで、失敗したり、苦しい経験をしても、
それは行動によって必ずかえられる、
そう信じる「信念」が楽観主義なのです
と言っています。
悪いことが起きて
それ、私のせいじゃないから
と言ったり、
今起きていることを夢だとおもえ
というのではなくて、
事実を認めつつも、自分に対し、肯定的な語りかけを忘れない、
こういう日もあるよね
と、
幸せを諦めないで生きていくこと
ではないかと思います。
この逆を、私達はよくやってしまうので、なかなか幸せを感じられなかったりします。
特に女性は、自分への否定的な語り掛けを繰り返し反芻してしまいがち
で、考えても仕方のないことを考えつづけ、
自分をいじめ続けてしまうのです。
これは、「自分を愛する」ことに反比例します。
これについて書いていくと、終わらなくなってしまいそうで、
一部考察を「自分を愛する,、ということ」に預けたいと思います。
そもそも
私達は何もしないでいると、安易な低い状態に陥りやすくなります。
例えば、あなたはゴルフをしないかもしれませんが、(私はしませんが)
あなたの気持ち・その日のテンションに応じて、ボールを高い場所に飛ばすことができたとします。
でも、どんな場所に打ったボールも、最後には低い場所に安定します。
運悪く
「穴」にはまってしまうものなら、その穴の、もっと深い場所まで落ちていくわけで、
そのようなキビシイ環境に、私達は生きているともいえます。
結婚する、子供ができた、いい職に就けた、恋人ができた!などの極上のイベントがあって、
仏法で説くところの「天界」に一時的に駆け上がっていたとしても、
私達はまたふとした瞬間に「苦しみ」とか「不快感」を味わい、
「人界」へ、何かのはずみで「修羅界」へ、果ては「畜生界」・「餓鬼界」へと落ちていってしまう
こともあるわけです。
落ちるは易し、上がる時には大変なエネルギーを要します。
だから、常日頃から下がっているよりも、
できるだけ自分で自分をあげていないと、悲観から抜け出すのが難しくなります。
一日一つ、よかった出来事を書き出しましょう、
などの実践も、それが
自分にあっていると思え、真剣に取り組めば効果を発揮することでしょう。
私がおすすめするのは、なるべく
ポジティブな人に近づき、
ポジティブパワーを浴びる
ことです。
(手っ取り早いところでは、公園に行くと元気いっぱいに遊ぶ子供達に出逢えます。)
ネガティブな言葉を多く発する人は、それが習性になっている人も多く、感染しやすいので、
今からそういう人に会いにいきます、
という人は、それに巻き込まれないよう気を整えていくが必要があります。
いずれにしても、
あなたを下の境涯へ落とそう、落とそうとする悲観的な考えを打ち消し、
いやいや、自分にはまだこれがあるんでね
と、
「意志」によって認知の仕方を変えてみせる
ことが大切ではないかと思うのです。
楽観主義とは、
物事を深く考えない能天気な生き方どころか、
現実をシビアに受け止め、
現実を正確に認識しながら、未来を志向し続ける生き方
◆楽観的な思考は、あなたの幸せのために役立つ「スキル」
いとも簡単に悲観的な考えを打ち消し、ちょっとやそっとのことなど、笑い飛ばしてしまうような人になるには、
トレーニングを積み重ねていく必要があるとは思いますが、
自分が本当にいいと思って始めることは、誰に何を言われなくたって上達していきます。
まずは、
自分が快適になるために、何か少しでも
ポジティブに考えられそうなところを発見すればよいのです。
あなたの快適は、あなた以外の人ではわかりません。
要は、
自分はどの程度の快適さが欲しいか
ということなので、
その快適に応じて変化をつけていけばいい
のです。
楽観的な思考は、生活全般に、社会生活に於いても役立つ「スキル」であり、
これを習得すれば、引く手あまたになること間違いなしです。
あなたが幸せになるために、
自分自身の生命・生命状態がどうであるか
は、とても大切なことです。
元々、あなたの中には幸せになる可能性が眠っているのですが、
幸せになるには、そうした生命の働きを引き出すべく、
善い縁に触れ、あるいは楽観的思考(強い意志)で低い生命状態から脱し、
自分の生命(小宇宙)と、大宇宙とを調和させていくことが大切です。
自身の生命と宇宙のリズムとが交流すると、智慧が湧き、強い生命力が現れ、
どんな悩みも乗り越えて、崩れることのない
幸福の境涯を築いていくことができます。