なぜか「あと一歩」のところで止められる現象
もう少しで決断できそうだったのに。
あと一歩、踏み出すつもりだったのに。
なぜかその直前で、流れが止まってしまうことがあります。
予定を入れた途端に都合がつかなくなったり、
決めたはずのことに、急に迷いが生まれたり。
理由はどれも現実的なのに、
それが重なると、少しだけ不思議に感じてしまいます。
実はこの現象は、
私自身によく起きていました。
このタイミングで、それはありえない。
と思ってしまうような出来事が起きる、
「ここで方向を変えよう」
そう思ったときに限って、
なぜか流れが止まり、
別の選択肢へ戻されるような出来事が重なる、
そんなとき、
それまで抱えていた迷いが、
ふっと脇に置かれてしまったような感覚になる、
あとから振り返ると、
あの場面は
「自分で決めた」というより、
そうさせてもらえなかった
という表現のほうが、
しっくりくる気がしています。
あと一歩のところで止められると、
多くの人は、こう考えます。
「やめたほうがいいのだろうか」
「これは警告なのかもしれない」
「無理に進まないほうがいいのでは」
確かに、立ち止まることで
守られることもあります。
けれど、
止められること=悪いサイン
と、すぐに決めつけてしまうと、
見えなくなってしまうものもあります。
それは、
「進むな」ではなく、
「そのままの気持ちで進んでいいのか」
という問いが含まれているように思うのです。
覚悟が定まらないままの一歩。
恐れを抱えたままの決断。
誰かの期待に応えようとする選択。
そうした心の揺れが残っているとき、
人生はときどき、
流れをゆるめるような出来事を起こします。
それは拒絶ではなく、
確認のための間
なのかもしれません。
思い返してみると、
あと一歩のところで止められる出来事は、
一度きりで終わらないことが多いように思います。
形は違っても、
似たような場面で、
似たような感覚が、何度も訪れる。
それは、以前書いた
「繰り返されることには意味がある」
というテーマとも、どこかでつながっています。
心がまだ答えを出せていないとき、
人生は同じ問いを、
少しずつ形を変えて差し出してきます。
進もうとすると止まり、
戻ろうとすると引き留められる。
その往復の中で、
私たちは
「どうするか」ではなく、
「どうありたいのか」
を問われているのかもしれません。
あと一歩のところで止められ、「進めなかった」とき、
あなたはつい、
そんな自分を責めてしまうかもしれません。
けれど、その立ち止まりは、
間違いでも、失敗でもないでしょう。
人生が与える問いは、
急いで答えを出すことよりも、
自分の本音に追いつくことを大切にしているように思える
からです。
止められた場所は、
行き止まりではなく、
一度立ち返るための地点。
そこで何を感じ、
何を恐れ、
何を大切にしたいのか——
それに気づいたとき、
流れはまた、静かに動き始めます。
もし今、
あなたの人生にも
「あと一歩で止まる」出来事があるのなら。
それは、
何かを奪うためではなく、
本当の選択に出会うための間
なのかもしれません。
答えは、
いつも外ではなく、
あなたの中にあります。


コメント