ツインレイの別れが苦しいのは、
ただ好きな人と離れてしまったから、というだけではないのかもしれません。
会えない。
連絡も取れない。
どうしてこうなったのか、はっきりした理由もわからない。
それだけでも十分につらいことです。
けれど、ツインレイの別れには、
もうひとつ、心を深く苦しめる理由があるように思います。
それは、「さよならのない別れ」になりやすい
ということ。
終わったはずなのに、終わっていない
普通の別れにだって、痛みはあります。
それでも人は、泣いたり、怒ったり、誰かに話したりしながら、
少しずつ「終わったこと」として受け止めていきます。
ツインレイの別れが、
そう簡単に過去になってくれないのは、
嫌いになったわけでも
気持ちが消えたわけでもない。
心のどこかでは今もつながっているような感覚があるから
ではないでしょうか。
なのに現実では離れていて、
相手の気持ちもわからず、関係の行き先も見えない。
そうなると心は、
「もう終わった」とも
「まだ続いている」とも言い切れず、
宙ぶらりんのまま、その人を抱え続けることになってしまう
のです。
この状態は、想像以上に苦しいものです。
さよならを言えない痛み
「失う」ことは、人生の途中で誰もが知る辛い経験です。
それ以上に人を苦しめるのは、心の中で区切りがつけられないこと
なのかもしれません。
ちゃんと話せなかった。
誤解が解けないままだった。
ありがとうも、ごめんねも、好きだったも、言えなかった。
何ひとつ整理できないまま、相手だけが遠くへ行ってしまった。
そういう別れは、
時間がたっても「過去」になりにくいのです。
記憶が薄れていくというより、
心の中のある場所だけ、時間が止まったままになる。
そしてふとした拍子に、その止まった場所が疼きます。
もう平気だと思っていたのに、
急に涙が出たり、胸がざわついたりするのは、
まだそこに「終われなかった気持ち」が残っているからかもしれません。
セピア色にならない記憶
本来、過去の記憶は少しずつ遠ざかっていくものです。
輪郭がやわらぎ、痛みも薄れ、思い出として静かに置かれていく。
けれど、深い痛みを伴った別れは、そうはなりません。
時間がたってもセピア色にならず、
まるでカラー写真のまま、心の中に残り続け、私達を苦しめます。
声の感じ。
表情。
一緒にいたときの空気。
最後に交わした言葉。
あるいは、交わせなかった言葉。
それらが過去形になりきれないまま、
今もまだ、生々しく自分の中にある。
ツインレイの別れが苦しいのは、
この**「終わったこととして収納できない感覚」**があるからではないでしょうか。
それは今の別れだけではないのかもしれない
ツインレイの別れがこれほどまでに苦しいのは、
お相手とのことだけではない痛みが重なっている
ということも考えられます。
たとえば、
置いていかれた記憶。
わかってもらえなかった悲しみ。
愛されたかったのに叶わなかった思い。
きちんと終われなかった、過去の人間関係。
そうした古い傷が、
今回の別れによって一緒に揺さぶられる、
といったこともあるかもしれません。
苦しみが大きいのは、
それだけ深い場所に触れてしまった、ということ。
ただ一人の相手を失う痛みではなく、
自分の中に眠っていた傷まで照らし出してしまったから
なのかもしれません。
人は、痛みを意味にできたとき少しずつ前へ進める
同じようにつらい出来事を経験しても、
そこから少しずつ立ち上がっていける人がいます。
同じくらい深く傷ついていたとしても、
その出来事を自分の人生の中で受け止めなおせた人は、
痛みに飲み込まれにくいのかもしれません。
「あのとき、これが支えになった」
「あの経験があったから、いまの自分がいる」
「こういうこともあったけれど、自分はここまで来た」
そんなふうに言えるものがあると、
苦しみはただ苦しいだけの記憶ではなくなるのでしょう。
人を長く苦しめるのは、
出来事そのものだけではなく、
その痛みを自分の人生の中に位置づけられないことなのかもしれません。
助けてもらえなかった。
理解されなかった。
報われた感じが持てなかった。
何ひとつ意味に変わらないまま、
つらさだけが心の中に残ってしまった。
そういうとき、傷は
心の中で生々しいまま疼き続けます。
けれど、もしも
その経験の中にほんの少しでも意味を見いだせたなら、
人は少しずつ、その痛みを抱え直せるようになる
のではないでしょうか。
ツインレイの別れも、いつか別の意味を持つことがある
ツインレイの別れもまた、
最初は「ただ苦しいだけの出来事」にしか思えなかったりします。
なぜ出会ったのかもわからない。
なぜ離れなければならなかったのかもわからない。
何のための痛みなのか、まるで見えない。
けれど時がたって振り返ったとき、
人によっては、その別れがまったく違う意味を持ち始めることがあります。
ただ失っただけではなく、
そこから得たものがあったと感じられたなら、
その別れは少しずつ、
「傷」だけのものではなくなっていくのかもしれません。
それで痛みがなかったことになるわけではないけれど、
そこに
「あれがあったから今の自分がある」
と思える何かが生まれたとき、
トラウマのように心を蝕むだけの記憶とは、
少し違うものになっていくでしょう。
それでも、心は少しずつ「さよなら」に向かっていく
「さよならのない別れ」は、本当に辛いものです。
終わらせたくても終われない。
忘れようとしても忘れられない。
前を向こうとしても、心だけがその場所に残ってしまう。
でも、
人の心は、不思議なものです。
無理に切り捨てようとしなくても、
自分の痛みにちゃんと寄り添っていくうちに、
少しずつ、自分なりの区切りへ向かっていくことがあります。
それは、相手を忘れたり、
何も感じなくなることではなくて、
あのときの別れ、あのとき感じたものを抱えたままでも、
自分の人生をもう一度生きていけるようになること。
止まっていた時間が、少しずつ動き始めること。
そしていつか、
あの苦しみにさえ意味を見いだせる日が来ること。
それが、心にとっての「さよなら」なのだと思います。
おわりに
傷を抱えたまま生きていくこと。
自分の人生を肯定できないまま、生きていくこと。
それがどれほど辛いことか、
その渦中にいる人にしかわからないのかもしれません。
それでもあなたは、いまを生きています。
ボロボロになってなお、こうしてこの文章を読んでくださっています。
もしあなたが今、
どうしてこんなに苦しいのだろうと感じているなら、
それは
前に進めていないからでもなく、
あなたが弱い人間だからでもない、
それほど真剣に、
そのつながりを受けとめていたのだということ。
そして今はまだ、
その苦しみに意味を見いだせなくてもいい、
無理に
「この別れには意味があった」
と思う必要もありません。
心には、心の時間があり、
いつかあなたの中で、
この痛みがただの傷ではなく、
人生のどこかにつながるものとして受け止められる日が来る
のだと思います。


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