◆自分だけが違う気がして、周囲に馴染めない
周囲は盛り上がっているのに、
自分だけその外側にいるような
気がしたり、
特に仲間外れにされてるわけじゃないのに、孤独感を募らせていく
ことがあります。
人に理解されない部分が多く
て、どんなにみんなの中に溶け込もうとしても、それがうまくいかなくて、
生まれた場所や年代を間違えたんじゃないか、って思うことがあるかもしれません。
どのカテゴリーの中にも属することができなくて、
居場所らしきものがない
ように感じたりすることがありませんか。
私も、自分のことながら
いよいよ周囲との隔たり度が半端なくなって、「私、大丈夫だろうか」と心配したことがあります。
占いの本を読んだりして、自分に該当する箇所で
浮世離れしている
という表現をされたとき、それは自分にぴったりな言葉だと思いました。
自分のことなのに、ちゃんとわかってもらえた気がする、受け入れられたように感じました。
当時は、カウンセリングに行くという発想はありませんでしたが、
それができるのであれば、
ある程度自分を見立ててもらい、自分を理解する、自分にはこういう傾向があるんだとわかる
◆克服しようと頑張ってしまうと、生きづらくなる
ただ、
自己理解ができたからといって、生きづらくなくなる、ということはない
と思います。
生きづらくなくなっていくのは、やっぱり
自分との付き合い方を考えられるようになった時
ではないでしょうか。
以前の記事でもお伝えしましたが、一人ひとり顔が違うように、本来誰もが個性的で変わっているのだと思います。
ただ、
あなたはあなたのままでいい、と言われたところで、
ありのままの自分で生きよう!と思ったって、
私達はやっぱり社会の中で生きているわけで、容易くはないでしょう。
社会には
目に見えない規範があって、その空気に
違和感を感じて馴染めない人は、辛くなってしまう
のです。
心のエネルギー量も違います。
同じ状況でもパワフルに進んでいける人もいれば、そうでない人もいる
わけで、
私なんかは、歳月を経てずいぶんいい加減で適当になりましたが、
いい人ほど自分には厳しくて
こんな自分じゃだめだ、〇〇(苦手なこと)を克服しなくちゃならない
っていう思いにさせられ、苦しくなってしまうのだと思います。
心理学者河合隼雄さんの『心の処方箋」という本の中で、
己を殺して他人を殺す
というタイトルで書かれた章があるのですが、
幼い頃から他人の言うことをよく聞き、己を殺して生きてきた、ある女性の生き方について触れられていました。
彼女はい「おとなしい・いい子」と評判で、
そのため、そのような生き方がますます身についていくのですが、ある日
職場では「勝手な人」だと思われ、好かれていないことを知るのです。
いつも自分の考えや欲望を殺して生きている人は、
その殺された部分が生き返って復讐をするかのように、
知らぬ間に人に迷惑をかけるようになっていってしまう、
自分が殺したはずの部分が生殺しの状態でうめき声をあげる
◆利己的になれるひとときを持ち、自分を救うことから
自分勝手に生きることはできない、いい人になりすぎてもチグハグになってしまう、
だったらどうしたらいいんだ、
って話になりますが、
生きづらさを感じている人は、
自分を最優先するひとときを持つ
ということが、とても大切ではないかと思います。
あえて利己的になる時間を作る、
ということです。
私自身は、当時
そう思っていたわけではないのですが、朝刊を配る仕事をしてた経緯もあり、
朝だけは誰からも解放され、一人の時間を作ることができました。
それは
たった15分、朝の静けさの中でコーヒー片手に新聞を読んだり自分だけの世界に浸るだけ
であったりしましたが、
私にはとても大事なことだったのです。
本当に、何が幸いするかはわかりません。
混沌とした状態のことを、「カオス」といったりもしますが、
カオスの中にいたとしても、物事の全体像を見渡し、
本質をとらえようとしていくこと
が大切です。
カオスっていたるところにあるようで、実は短いスパンでは解明できないだけ、
のこともあります。
長期でみたとき、もっと広い視点に立ってみたとき、
ああ、そういうことだったのか、
と、わかることがあります。
その時には、その手法でしか測れない
けど、進化によって可能になるわけです。
いつだって、
それ以外の手法を生み出すのは、
フロンティア精神で生きる人です。
あなたが今、もしもカオスの世界で生きているように思っていたら、それは
意識の上で違う世界を開いていくことが求められているから
なのかもしれません。
あなたは、
どんなところにも容易く入っていける人を、羨ましく思うかもしれませんが、
「普通」という常識の中で生きることが最善だと思って
物事を深く考えることを はなから諦めていると、
未知の出来事に対する適応がしにくくなります。
ある程度は、自分と現象とのかかわりを理解していかなければ、自分がカオスの中に投げ出されていると思えるとき、
被害者のように感じるしかなくなる
でしょう。
占いなど利害関係のない、第三者的な意見を求める人が多いのも、
実際にはもっと別な考え方があるのではないか、と思うから
なのでしょう。
或いは、自分が言えずにいる気持ちを
絶妙な言葉で代弁してくれる人
を探していたりします。
ちょっとこの記事は長くなってしまいそうで<2>で続けたいと思います。