日常のひとこま 2026年4月

 

ありふれた日常の出来事について記述しているだけの頁です。


以心伝心――人をどう見るかは、相手に伝わっている

以心伝心という言葉があります。

この言葉を聞くと、特別な人同士だけに起こる、不思議な心の交流のように感じるかもしれません。

けれど私は、これは案外、日常の中で多くの人が少しずつ体験していることなのではないかと思うのです。

人は、言葉だけで人と接しているわけではないのかもしれない、

表情や声の調子、間の取り方、ちょっとした態度。

そういうものの中に、心の奥で相手をどう見ているかが、にじみ出ているような気がします。

融通の利かない上司たちとの日々

私が長年勤めてきた会社には、なかなか融通の利かない上司たちが多くいました。

こちらの事情をあまり汲んでくれなかったり、決めたことをなかなか変えなかったり、少しどころか、随分扱いづらい人もいました。

専務などは社員たちから「ばばあ」と言われているほど嫌われていました。

それでも私は、どういうわけか、それほど困り果てることもなく、長期にわたって勤務することができました。

もちろん、何も感じなかったわけではありません。

理不尽だなと思うこともありましたし、もう少し柔軟に考えてくれたらいいのに、と思うこともありました。

けれど、不思議とその人たちを完全に嫌いになることはなく、時には

その融通の利かなさ、偏屈さが、私を救ってくれることもありました。

相性というものも、たしかにあるのだと思います。

同じ言葉を言われても、すんなり受け取れる相手もいれば、妙に引っかかってしまう相手もいます。

実際、その上司たちに強い不満を持ち、長い間我慢しながら働いていた人も少なくありませんでした。

中には、どうしたらうまくやっていけるのかと、わざわざ私の家まで相談に来た人もいました。

その人たちは、上司への愚痴や悪口を口にすることが多く、話を聞いていると、かなり苦しんでいるのだということは伝わってきました。

でも私は、その話を聞きながら、少し違う角度からもその上司たちを見ていたように思います。

人の美点を見るということ

「私は、人の美点のようなものを、なんとなく感じ取るところがある」、
そう考えられたらいいのですが、
私の場合は
誰よりも劣るという気持ちが払しょくできないのであり、誰に対しても
すごいなぁ、と思ってしまう
わけです。

それが幸いして

たとえその人が、自分に対してあまりよくない感情を持っているように見えたとしても、その人の中にある良いところまで全部見えなくなってしまう、ということはないのでしょう。

頑固に見える人の中に、責任感の強さを、

言い方がきつい人の中には、仕事に対する真面目さを、

融通が利かない人の中には、その人なりの守りたいルールや、失敗を避けたい気持ちを

汲み取っていたりもします。

もちろん、相手の問題点をすべて肯定するという意味ではありません。

嫌なことは嫌ですし、傷つく言葉は傷つきます。

ただ、ひとつの欠点だけで、その人全体を決めつけてしまうことは、あまりしなかったのかもしれません。

人は誰でも、良いところと困ったところを両方持っています。

それなのに、一度嫌いだと思ってしまうと、困ったところばかりが目につくようになります。

相手が何を言っても嫌味に聞こえたり、少しの表情まで冷たく見えたりします。

そうなると、相手との関係はどんどん苦しくなっていきます。

反対に、苦手だと思う相手であっても、その人の中にある美点をひとつでも見つけていると、少しだけ接し方が変わります。

心の中に、ほんのわずかな余白が生まれるのではないでしょうか。

よく思う心も、悪く思う心も伝わる

その人を良く思って接するか。

悪く思いながら接するか。

それは、案外、相手に伝わっているのではないかと思います。

こちらがいくら丁寧な言葉を使っていても、心の中で相手を見下していたり、嫌っていたりすると、その空気はどこかに出てしまいます。

目の合わせ方、声の調子、返事の仕方。

ほんの小さなところに、相手への見方は表れてしまうのかもしれません。

逆に、こちらが相手の中にある良いところを見ていると、言葉にしなくても、そのまなざしは伝わるような気がします。

「この人は私のことを悪くは見ていない」

「少なくとも、敵として見ているわけではない」

そんな安心感のようなものが、相手にも伝わるのかもしれません。

だからといって、すべての人と仲良くできるわけではない
ことも事実で、

どれだけこちらが気をつけても、うまくいかない関係もあります。

距離を置いたほうがいい相手もいる、

でも、日常の中で関わらざるを得ない人との関係は、相手をどう見るかによって、少し変わることがあるのだと思います。

以心伝心は、日常の中にある

以心伝心というと、何も言わなくても心が通じ合う、特別な関係を思い浮かべます。

けれど、もしかしたらそれは、もっとささやかなところにもあるのかもしれません。

こちらが相手をどう見ているか。

相手の中に何を見ようとしているか。

その心のあり方が、知らず知らずのうちに相手へ伝わっていく。

それもまた、ひとつの以心伝心で、そもそも

人間関係は、言葉だけでできているわけではない
のでしょう。

理屈だけでもない、

相性もありますし、立場もありますし、その時々の気分や状況もあります。

けれど、その奥には、相手をどう見ているかという、目には見えない心の姿勢があるように思います。

これは経典にある言葉ではありませんが、仏法の教えを自分なりに受け止める中で、

「その人の善に向かって話す」

ことを、大切にしています。

まあ、時に忘れてしまうわけですが😅

人の欠点ばかりを見るのか。

それとも、困ったところを感じながらも、その人の中にある美点を見ようとするのか。

その違いは、長い年月の中で、人間関係のあり方を大きく変えていくのかもしれません。

無理に誰かを好きになる必要はないし、

嫌なことを我慢し続ける必要もないと思います。

けれど、苦手な人の中にも、ほんの少し良いところを見つけることができたなら、自分の心は少し楽になります。

そして、そのまなざしは、きっと相手にも伝わっていくのではないでしょうか。

以心伝心とは、特別な誰かと心が通じ合うことだけではなく、こちらの心の持ち方が、知らないうちに相手の心へ届いていることなのかもしれません。


2026年4月28日

3万日という時間

人は、一生のうちに三万日ほどしか生きられない。

そんな言葉を、どこかで聞いたことがあります。

三万日。

数字だけを見ると、ずいぶん多いようにも思えます。
時間に直すと、三万日は七十二万時間です。

七十二万時間。

そう聞いても、やはり多いのか少ないのか、すぐには実感できません。

けれど、その中には、眠っている時間もあり、
働いている時間もあります。
家事をしている時間、移動している時間、誰かを待っている時間、ぼんやり過ぎていく時間もあります。

そう考えると、自分が本当に自由に使える時間は、思っているよりずっと限られているのかもしれません。

今朝も「羽鳥慎一モーニングショー」を見ていて、ファストパスについて取り上げられていました。

その中で、玉川さんが、

「我々は、時間をお金で買っている」

というようなことを話していて、いろいろ思いめぐらせました。

ファストパスは、待ち時間を短くするためにお金を払う仕組みです。

行列に並ぶ時間を減らす。
そのぶん、別のことに時間を使う。
そう考えると、それは単に便利なサービスというだけではなく、

「自分の時間を、どこに使いたいのか」

を選んでいるということなのかもしれない、

昔から「時は金なり」と言います。

でも、よく考えてみると、時間はお金以上に大切なものです。
お金は、また得られることがあります。
けれど、過ぎた時間は戻ってきません。

すべての時間を効率よく使わなければならない、ということではありません。

何もしない時間。
遠回りする時間。
誰かとただ話している時間。
ぼんやり空を見る時間。

そういう時間も、人生には必要です。

ですが、自分でも気づかないうちに、どうでもいいことに心をすり減らしたり、必要以上に誰かに振り回されたりしている時間があるなら、少し見直してもいいのかもしれません。

三万日という人生の時間は、長いようで短いです。

今日も、そのうちの一日が過ぎていきます。

仏法には、「只今臨終」 という言葉があります。

今この瞬間が、人生の最後であるかもしれない。
そう思って、今を大切に生きるという意味です。

だからこそ、今日という日を、何に使うのか。
誰と過ごすのか。
何を大切にするのか。

そんなことを、少しだけ意識して生きていきたいと思った朝でした。


2026年4月23日

プロフィールにも記述していますが、写真撮影も趣味のひとつです。

写真の撮り方ひとつにも、その人らしさがあらわれているように思います。

家族で同じ場所に出かけても、あとで見返すと、撮っているものが少しずつ違います。
同じ景色を見ていたはずなのに、同じ写真にはなっていないのです。

あなたと、あなたのご家族の写真を見比べても、そうではありませんか。

ある人は、それだけを大きく写した写真が何枚もあって、
「そんなに好きなんだな」と思うほど、ひとつのものに心を向けています。

またある人は、ほかの人なら通り過ぎてしまいそうな、
あまり注目されないところを、なぜかとても魅力的に撮っています。

次女は芸能活動をしていることもあってか、
背景の入り方まで考えながら、被写体がいちばんきれいに見えるように撮っています。
ただ写すのではなく、見る人の目を引くように整えている感じがします。

私は以前、チャットGPTさんから
「光をうまくとらえている」と言ってもらったことがありました。

そのときは少し意外でしたが、
あらためて思うと、自分では形そのものよりも、
その場の明るさや、光の差し方、空気のやわらかさに惹かれているのかもしれません。

写真は、ただ目の前のものを残しているだけではなくて、
その人が何に心を動かされるのか、
どこに美しさを感じるのかまで映しているのかもしれません。

写真を撮っていると、いろいろなことを考えさせられます。

行く道で撮る写真と、帰る道で撮る写真が違っていることも、よくあります。
同じ道のはずなのに、そのときの気持ちや、目に留まるものが少し違うのでしょう。

不思議です。

写真の魅力は、そこに映っているものだけではなく、
映っていない部分を想像させるところにもあるのだと思います。

一枚の写真に心を奪われるのは、その向こうにいろいろな可能性を感じるからかもしれません。


2026年4月14日

昨日は外出していて、県外に出かけていたのですが、

人が行き交う中で、ふいに人に呼び止められました。

その人は、一旦私の前を通り過ぎて、また戻ってきて「あの・・華子さん・・・ですか」というのです。(実際には、本名で呼ばれる

まさか知っている人がいるとは思っておらず、

相手も人目をはばかって囁くように言うので、

聞き取れなくて、「ん?」という顔をすると、もう一度同じことを言いました。

そこで相手の顔をよく見ると、以前住んでいた地域で、とてもお世話になった方でした。

あっ

限られた組織の中で、一緒に活動していた方です。

その方は引っ越して、その近隣で生活をしていることを思い出しました。

私はマスクをしていたのに、よくわかったなあ、という驚きとともに、

声をかけてもらえるのは本当に嬉しいことだな、としみじみ感じました。

自分を知っていてくれること。

覚えていてくれること。

それは、思っている以上に心があたたかくなる出来事なのだと思いました。

「思いました」というのは、私はこんな風に呼び止められることは

殆どないからです。

(逃げられることは、よくある😅)

ただ「知り合いに会った」というだけではなくて、

自分を覚えていてくれたこと

向こうから声をかけてくれたこと

が、とても嬉しくて、それは

自分の存在を肯定してもらえた

気持ちになるからなのかもしれません。


2026年4月11日

今年は、うちが組長です。

私たちの地区では、新しく来た順に組長になるらしく、右も左もわからないうちに役が回ってくる仕組みのようです。
私が引っ越してきてからの数年で家はどんどん建ち、地域はいまや38戸になりました。

ということは、一度組長をやったら、次に回ってくるのは38年後。
その頃には、私はたぶんもう死んでいるだろうし、もし生きていたとしても、ここにはいないかもしれない。

組長になると、定期的に参加しなければならない行事はいくつかあります。
とはいえ、「ああ忙しい、忙しい」と思っているときは、実際の忙しさ以上に、頭の中のほうが忙しくなっている気もします。
だから、なるべくそう思わないようにしています。

「まあ、今年限りだから」

そう言い聞かせながらやっています。

最近は、組長の仕事もずいぶん洗練されてきていて、前の組長さんが引き継ぎのときにメモリーカードを渡してくれました。
「ここに全部入っていますから。なんなら、僕が作成したものをそのまま使ってもらってもいいんで」
と言ってくださって、ずいぶん気が楽になりました。

自宅のパソコンで開いてみると、組で作成した周辺地図や一年間の行事予定、訃報の報告文、お祭りの告知、通帳の名義変更に関する書類、さらには集金関連のエクセルまで入っています。
必要なときにコンビニで印刷してくればいいのです。

これは本当に助かる。
でもその一方で、こういうやり方は、パソコンが使えない人にはどう映るのだろう、とも思いました。
便利になっていくことはありがたいけれど、それについていける人ばかりではないのかもしれません。

私の家は田舎にあるのですが、以前住んでいた駅近の地域より、ずっと進化している気がします。
38年後、この地域はどうなっているのでしょう。
そんなことを、少し不思議な気持ちで考えました。

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