今回は(も?)、日常の謎について記述してみました。
あなたは、
駐車場に来るタイミングが「やけに」隣の車と被る
と思ったことはありませんか。
隣の気配
家を出ようとすると、
なぜか、隣の人もそこにいる。
軽く挨拶を交わし、同じタイミングで車を発進させる。
よくある、何でもない光景だ。
仕事が終わるのは、いつも決まって7時間後。
ビルの時計を見上げて帰り支度をし、駐車場へ向かう。
そしてまた、そこには人がいる。
今度は言葉を交わさない。
挨拶すらした覚えがない。
なのに、まるで申し合わせたかのように、
私たちは同じタイミングで車のドアを開ける。
助手席のドアを閉める音、エンジンをかける動き、
あるいは、ちょうど歩いて戻ってくる足音。
これが一度や二度なら、偶然と笑い流せる。
でも、毎日のように重なるとなると、
もはやこれは、“何か”としか言いようがない。
たとえば、
私の車のドアの開閉音を聞きつけて、
隣人が「あ、そろそろ出るのか」と無意識に察知しているのかもしれない。
あるいは、
出勤や退勤の時間が、ただ似ているだけかもしれない。
でも──
私の心はいうのだ、
そうじゃない、と。
生活のリズムがたまたま重なっているだけ?
私が相手に影響を与えている? それとも逆?
見えない糸に導かれるように、
私たちは今日もまた、同じ時間に交差する。
それはまるで、
互いの存在を確かめるためだけの、ささやかな儀式のようでもある。
この奇妙な一致に気づいたとき、
あなたならどう思うだろうか。
イラっとするだろうか。
それとも少し安心して、
世界とのつながりをひとつ、確かめたような気持ちになるだろうか。
確かなことは誰にも分かっていない。
別のある人に同じことが起きても、
『ただの偶然』として片付けてしまうかもしれない、
何かを「気にする」ということそのものが、
すでにその出来事に意味を与え始めている。
日常には、意味なんてないことばかりが溢れている。
でも、人は、意味のないものにさえ、
意味を見出そうとしてしまう生きものだ。
そしてその意味づけこそが、
自分だけの感覚や視点を育て、
見えない世界とのつながりを信じるきっかけになるのかもしれない。
私がまだ、(外へ出て)仕事をしていた当時を思い出してーというか、当時のブログ日記から一部拝借して記述しました。
それは、ただの偶然なのか
私達は、ときに
「これは自分にだけ起きている特別なことなのだ」
と思いがちです。けれど実際には
それが”自分にとって大問題である”というだけで、
他の人にとってはさほど重要ではなかったりします。
なので、
ああ、「それは脳の認知バイアスのせいさ」
「理論的に説明できる現象に過ぎない」
などと言われたりするかもしれない、でも、その人は「わからずや」なわけではないのです。
問題だと受け止めている自分が、
何かを感じ取っている自分が
考えなくてはならない
ことなのかもしれません。
私自身はというと、
今思い出してみても、あまり良いことが起きているようには感じませんでした。
そして、
今現在、意識してみても、このような現象は起きていません。
隣の家の人と外出時間がかぶることもなければ、スーパーに駐車して、隣に停めた人と鉢合うこともありません。
思うに、
それが偶然であっても、必然であったとしても―
隣の車(の主)を意識してしまうのは、
自由であるはずなのに、不自由な思いをしている
ということなのかもしれません。
しかし、当時の私には、わかりませんでした。
いったい、何に気づかなくてはならないのだろう、
そう思って
この現象について、いろんな角度から思いを巡らしました。
正直・・・、気が変になりそうでした。(;´∀`)
駐車場
ーそれは”限られた場所の中で秩序を保ちたい”という無意識の願いかもしれない、同時に
新しい世界の構築に苦戦している心の表れなのかもしれない、
隣人
―それは、「できるだけ平和に、人と関わっていきたい」という、ささやかな願いなのかもしれない、
見知らぬ誰か
「向き合いたくない自分」の一側面が映し出されている
ということもあります。
「縁」について考えるなら、
それは多様で無数に広がるこの世界の中にあっても、私達は限られた交差しか経験できないのだ、と
有限的な繋がりについて考えているのかもしれない、
私達は
誰でも、特別な経験をします。
自分の経験を真剣に受け止めてもらえるか、不安に思ったときは、
相手の経験した「特別なこと」に耳を傾けてみてください。
きっと
何かあるはずで、そこから共感を得られることもあります。
私も、「頭でっかち、絶対目に見えないことにには関心なさそう」と思っていた人が、
意外にも「俺、幽霊みたことある・・・」と言ってびっくりしたことがありました。
自分に起きたことの真実を追求し、
時間をかけて導き出したその答えは、
きっと他の誰かの人生を照らすヒントになります。
最終的には、自分自身の
—欲望や不安、誘惑に振り回されない、静かで誠実な生き方へと繋がっていく
のだと思います。
そうして
未来へと続く新たな道が見つかっていく
のではないかと思います。
今の私が、そうであるように。