◆自分の中にない世界はどこにいってもない
誰でも、一度は
天国と地獄
について、考えたことがあるのではないでしょうか。
人生はその時限りのもの、死んだらおしまい、
そんな場所もない
と、思っている人もいるかもしれません。
そう思ってはいても、大切な誰かが亡くなった時には
天国にいる、
って思いたくなるのではないでしょうか。
私自身は、管理者紹介ページにも書いてあるように
仏法を学んではいますが、
まだこの人生を終えてもいませんから、その世界のことを
伝えることも証明することもできません。
ただ、誰にも自説があるように、自説は持っています。
天国といっても地獄といっても、
自分の中にはない世界は存在しえない、
そのような特定の
何者かによって創られた場所はない、
と思っています。
死後体験する世界があるとするなら、それは
想像力というよりも、自身の境涯が作り出す
もののように思えます。
最終的には、誰も
自分が生きている間どのような境地に心を置いていたか、
ことになるのだと思います。
悪い行いをしてきた人も、良い行いをし続けてきた人も、
自身の境地の中に入って行く
のなら、文句なし!ではないでしょうか。
また、そう考えるなら、
私達は人生の最後の最後まで、
「それでも(慈)愛を失わずに」「私は有り続けられるか」問われ続けているようにも思うのです。
◆それは、自分の宮殿を輝かせ生きるプロセスの中にある
境地について考える時、
仏法で説かれている
十界論
は、最も納得のいく考え方になるように思います。
つまり、
私達の生命の中に、それは備わっている
という考え方です。
(十界・・地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)
人が亡くなった時、私達はよく「成仏」という言葉を使います。
「仏に成る」という、この言葉の本当は、「十界論」に照らして言えば
最高の境涯になる
ことです。
最高の境涯とは、
生きていること自体が、楽しくてたのしくて仕方ない
という境涯のことです。
誰の中にも「十界」はあり、あなたにあって私にはない
ということはないわけです。
スピリチュアルに通じている方もそれぞれ、様々な意見をもっていると思います。
ワンネス
という考えに基づき考えても、
人との縁に触れ、皆が共々に成長しあって生きていくことが大切、
という点では同じだと思います。
同じような環境を与えられていても、同じ人と触れあっても、
それを成長の糧とできる人と、そうできない人
がいます。なぜでしょう。
それは
心・境涯に違いがあるから
です。
同じ国にいても、同じ地球上にいても、そこを
天国のように素晴らしい場所にするか
地獄のような苦しい場所にするか
は自分の心次第
です。
浄名経が
心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清し
と説いているように、
「地獄」と「天国」という別々の世界が存在するのではなくて、
心の違いがそれを創り出している
のです。
だから
心の変革が必要
なのです。
誰でもスピリチュアルなアンテナはもっている、
そう聞いても、ピンとこないかもしれません。
でも、
普段、たいして意味のない話をしている人が、
ふと心に響くようなことや、物事を捉え直せるようなことを言ったりして
その人の
神的な部分
を見つけたような気がすることって、ないでしょうか。
あなたもきっと、誰かにそう思われていたり、ひょっとしたら言われたことがあるかもしれません。
覚えていないとしても、
あの時の、あなたの言葉に救われた
などのことを、言われたことはありませんか。
そうした言葉が、直接あなたの耳には届かなくても、
あなたのしたことが誰かを介し、
人の生命(魂)に影響を与えていること
は、必ずあると思います。
「あなたは素晴らしい。宮殿はあなた自身なのだから」でも伝えましたが(現在消去しています)、
自分の宮殿
を輝かせ、生きることが大切です。
経験し、成長し、あなたの魂が澄み切っていくと、
宇宙と繋がっているような実感がもてるようになります。
今、誰がどんなことを言っても納得できなかったとしても、
必ず自分の生命で体感できる日が訪れます。