「あ、また壊れた…」
ショッピングモールで待ち合わせていたら、三女がそう言って、
紐の外れたかばんを手に困った顔をして立ちすくんでいました。
見ると、まだ新しそうな黒い合皮のバッグの持ち手が外れているのではなく
「ちぎれて」いました。
出かけるたび、どういうわけか彼女のかばんは壊れるのだそうです。
かばん
ーそれは「自分が抱えているもの」を入れる器。
責任や役割、心の荷物――日々を生きるための大切な象徴です。
そのかばんが壊れるとき、
そこには「もう合わなくなった」という小さなサインが潜んでいるのかもしれない、
抱えすぎている。
古い役割に縛られている、
あるいは、
本来の自分にそぐわない負担を背負っている
と、告げているのかもしれません。
三女の現状について思いを馳せたとき、私には
かばんの不調はそんな無理を教えてくれるメッセージのように感じられました。
紐が切れるのは、つながりを見直す合図。
持ち手が外れるのは、やり方を変える時期の知らせ。
「壊れるかばん」は、手放しや卒業を促している
のかもしれません。
一方、私はというと――
なかなか気に入ったかばんに出会えず、長く「かばん探し」を続けています。
ある日、気に入ったカバンを見つけたとき、私は値段も見ずに「これがいい」
これしか欲しくない、と購入を決めています。
そんなときは、
不思議と「自分はこう生きる」という道筋もはっきりしているのです。
そしてまた、新しいかばんが欲しくなる、考えてみると、そんなことの繰り返しです。
この日もかばんを見にいくつもりでした。
それは、
自分にしっくりくる生き方や心の居場所を探し求める姿勢の投影
なのかもしれない、このとき、
三女の「壊れるかばん」と私の「探し続けるかばん」は、不思議に呼応しました。
壊れるかばんは、いま持っているものを見直すサイン。
探し続けるかばんは、まだ見ぬ理想を求める魂の姿勢。
日常のささやかな不具合の中には、
私たちが生き方を選び直すためのヒントが潜んでいるのかもしれません。
あなたのかばんは、今どんな状態ですか?