ツインレイ

ツインレイ チェイサーもランナーも「〇〇されたい」。

11月 14, 2021

◆自分はランナーなのか、チェイサーなのか

一般的には「逃げる」側がランナー、「追いかける」側がチェイサー

と言われています。

でも、自分はチェイサー、相手はランナー

そう断定して語るのは、ちょっと避けたいなという気持ちがあります。

実際、あとになって(再会して)

「自分のほうがランナーだった」のだと気づいた、という女性もいましたし、

自分で、自分がランナーだとか、チェイサーだとか、決めつけないほうがいいのかもしれない、

と考えたりもします。

 

実のところ、

私はよくわからないのです。

あの日、本当は私のほうが離れる決断をしたのではないか、と考えることがあります。

彼は、私にどうするのがいいか、選択肢を与えました。

私は「待つ」ことを選んだけど、彼は「毎日一緒にいる」ことを選んでほしかったのかもしれない。

ここまで記述しておきながら、この話題に一言も触れずにいたのは、

自分のせいで、こうなったんじゃない、って思いたいから、

なのかもしれません。

私はただ、彼に自由でいてほしかったのですが、

それが誤解を招いたのかもしれません。

あの日の少し前、私は忙しい彼に「会いたい」と駄々をこね、「困らせてしまった」と思いました。

だから

「大人にならなくちゃ。今後は彼が落ち着くまで待とう」と決めていました。

 

本心は

片時だって離れたくない、待つなんて絶対に嫌

という気持ちだったのに、私はいい女でいることを選んでしまったのだろうか、

それとも、彼の真意を汲み取って、涙を呑んでそう決めたのだろうか、

そうしたことは、結局、いくら考え続けてもわからないことです。

いまとなっては。

 

あの人は「根暗」だとか、「根明」だとか、私達は

型にはめる方が楽だから、どっちかの人だと思いたがります。

私なんかは、自分のことを「これ以上はいないほど、「根暗だろう」と思っているのですが、

他の人は「いつも笑ってるよね」といいます。さすがに「馬鹿みたいに」と、本当のことはいわないけれど。

自分と人が思ってる自分とは違うことを、いつも感じます。私は、

自分のことさえ、よくわかっていないのです。

 

あなたも、もしかしたら

どうしてこうなってしまったのか、いくら想像しても

わからない、わからない、わからない・・・、

と考え続けているかもしれません。

わからないままに体験し、それを引き受けていく力もまた、必要なのではないでしょうか。

私の場合は、「何もかもを」わかりたくはなかったりもします。

想像の余地を残しておきたい、

というのが、正直なところです。

◆チェイサーが本当に追いかけているのは、ランナーの姿をした理想像

私が「夢占い」していることから、

「ランナー」と「チェイサー」について、

「走り去る」側と「追う側」

という観点で、考えることもあります。

意識していない、正直な自分の心を知りたい、相手の本当の声を聞きたい、

という自分勝手な探求心からです。

この記事が参考になるかどうかわかりませんが、

あなたの理解を支えるものになれば幸いです。

 

まず、「ランナーは、直訳すると

走者、走る人

で、これについては「ランナーという存在」で記述しました。

 

「走り去る」人は、

自分の感情や性欲を避けている人

です。そして、

課題を解決する方法が何もない状態

なのです。

 

また、

自分がしていることに不安感や罪悪感を抱いている

可能性が高いのも、この夢の特徴といえます。

 

「追いかける」のは、いつだって

そこに自分が追い求めているものがあるから

で、私達が夢の中で追うものは

自分の「理想」や「可能性」

あなたが望むものや、心惹かれているもの

のイメージです。

 

エマソン曰く

「人間が授かる最も素晴らしい幸運とは、内なる精神に導かれて、正真正銘の自分自身になることである」と。

 

私達は現実の中で

心の中で描く、そのイメージに近い人を追いかけているのかもしれません。

ー「あの人」には、あなたを追い続けさせる何かがある

ということなのでしょう。

突き詰めるなら、

私達は

生まれた時から宿っている

内なる人を追いかけ続けながら

生きているのかもしれません。

そして、

本物の自分になるように、と促されている

ような気もします。

◆サイレント期間は、相手と繋がりなおすためのプロセス

ツインレイとは、人生の後半に出会う

と言われています。

それは、心理学者河合隼雄氏の語るところの

真の「わたし」の問題に出会う時期

<「生と死の接点」>

であるからなのでしょう。

 

ツインレイというと、「成熟した者同士」のように言われていることもあり、

傍目には、チェイサーも「気丈夫」に見えるかもしれません。けれど、本当は

 

溺愛されたい欲求

の、シンボルなのかもしれません。

「溺愛」とは、一般的には「とことん甘やかす」人を指し、あまりいい意味では使われていないように思います。

でも、

それほど大事にされたい、

という気持ちは、誰の中にもあるように思います。

 

私のような、ズッコケだらけの人生、あやまちだらけであっても、

「偉かったね」「大変だったね」とただ抱きしめてくれる人がいたら、

すべてを知ったうえで、今の自分を肯定してくれる存在がいたら、

どんなに救われるでしょう。

ランナーだって、きっと。

 

基本的には、

お互いの自立心や尊厳を大切にし、余計なことはしないで、自由に生きていた方がイイ

のかもしれない、

でも、時々「どっぷり救われ」ることで、私達は大きく一歩を踏み出せるのではないか、それが

その先自立して生きていく力の源となる

のではないか、と思うのです。

 

もしかしたら、あなたのお相手は、

あなたとの関係の中でチャージしたエネルギーを持って、

次のもっと広く厳しい場所へと出かけていったのかもしれません。

 

<チェイサーは、「自分を愛する」ことが大切>

というけれど、それはランナーにも言えることです。

本当のところ、

誰の中にも、チェイサー的側面があり、

ランナー的側面もあるのではないでしょうか。

私達は元々は「両性的存在である」と言われています。

そうでないとしても、自身の内にあるどのような側面が増強されるかによって、同じ人が

男性的にも女性的にもなるわけです。

自分の弱みや強みが、相手を追いかけたり、追いかけさせたりすることもあるのではないでしょうか。

「自分はチェイサーだ」と思っていても、お相手以外の誰かにとっては、ランナーのような存在であるかもしれません。

「自分はランナーだ」と思っても、お相手以外の誰かからしたら、チェイサーのような存在であるかもしれません。

私にも思い当たる人がいるように、

あなたにも、思い当たる人がいるのではありませんか。そう考えると、

ランナーは、

「相手の生命を育む存在」

といえるかもしれません。

 

<ツインレイにあうと、使命に導かれる>

ともいいます。

使命に生きる人には、「生きた経験」があります。

それは、ある出来事から学ぶ

という生ぬるいものではなく、

もがき苦しむような経験をして手に入れる力

のような気もします。

 

既に、それは

その人の中で「準備されていた」のだけど、

「生き続ける」力を得て、ようやく開花する

のかもしれません。

 

ツインレイには「サイレント期間」がある>

と言われています。

離れたまま、

この人生で再会できないとき、残された側は「別れ」を告げられたように思うかもしれません。

でも、ひょっとしたら

お相手と繋がりなおすために

自己と繋がりなおすために

必要なプロセスなのではないか、

とも考えるのです。

 

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