私は本当に守られていなかったのだろうか

守られなかった記憶の中にも

私が長いあいだ「自分は守られていない」と感じていたことには、母親との関係も影響しているのだと思います。

他の頁で記述しているように、

母とは、決して折り合いがよいとはいえませんでした。

ことごとく、私は母とは違っていて、たとえば

着るものひとつとっても、

「こんな服、どこに着ていけるの?」と思うほど母はカラフルで目立つ格好を好み、新しい物好きで、

私はというと、黒やベージュなどの目立たない色を選びがち、

自分の思うことをズバズバいって、周囲を震撼させることもある母に対し、私は引っ込み思案で

人とすぐには打ち解けないこともあり、随分母をイライラさせていたようでした。

子どもの私には理解できないことも多く、ずいぶん振り回された記憶もあります。

だから私は、

「母親に守られた」

という感覚を、あまり持たずに生きてきました。

けれど最近になって、少し違う見方もできるようになりました。

 

母は、めちゃくちゃなところのある人でしたが、頭の悪い人ではありませんでした。

納得できないことがあれば、自分から電話をして相手と話す人でした。

ただ怒鳴って終わるのではなく、順々に話をして、いつの間にか相手まで自分の側に引き寄せてしまうようなところがありました。

あるとき、

「それは病院側の意見なのでしょう? あなた自身は、この話をどう受け止めたの?」

と尋ねているのを聞いたことがあります。

組織としての回答ではなく、その人自身はどう考えているのか。

今思えば、私はそういう母の姿からも、物事を見る方法を少なからず受け取っていたのかもしれません。

 

母は本が好きだったので、子どもの頃にはよく図書館へ連れていかれました。

(当時は、今のように遊ぶ場所もありませんでした😄)

当時はただ、母について図書館へ行っていただけです。

けれど今、私は毎日のように文章を書いています。

あの頃たくさんの本に囲まれて過ごした時間も、今の自分につながっているのでしょう。

そして、山口県から愛知県へ移ったことも、私は長いこと「たまたま」だと思っていました。

ところが、どうしてかあるとき母にそれを尋ねたら

「災害が少ないから」

だと言いました。

もちろん、未来のことなど誰にも分かりません。

それでも私は今日まで、この場所で無事に暮らしてきました。

そう考えたとき、

「ああ、そうか」

と思ったのです。

私は、「守ってもらえなかったこと」ばかりを数えていたけれど、

私が守られていた形も、確かにあったのかもしれない。

子どもの頃には、それを「守られている」と理解することができなかっただけなのかもしれません。

人生には、ずっと後になってから意味が分かることがあります。

嫌だったことまで美しい思い出に変える必要はないし、

傷ついたことを、なかったことにする必要もありません。

ただ、

「あの人からは何も与えられなかった」

と思っていたところにも、よく探してみれば、自分の中に残っているものがある。

そう気づくだけで、自分が歩いてきた人生の景色が少し変わることがあります。

 

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人生の節目には、誰かがいた

私には、昔から友人と呼べる人がそれほど多くありません。

いつも一人か二人で、

最近、箱根へ一緒に出かけた友人も、今では年に一度くらい会う、たった一人の友人です。

「一人か二人」の友人は、ずっと同じ人だったわけではありません。

人生の時期によって、そばにいる人は変わってきました。

女性だったこともあれば、ときには男性だったこともあります。

けれど、今になって振り返ってみると、ひとつ共通していることがあります。

私が人生の大きな転換を迎えるとき、そこにはいつも誰かがいて、

その人との会話から、それまで知らなかった世界を知ったり、

「こんな生き方もあるのか」

と気づかされたり、

自分一人では選ばなかったであろう道へ進むきっかけをもらったり。

その人が私の人生を変えようとしていたわけではないのでしょう。

本人は、そんな役割を果たしたことさえ覚えていないかもしれません。

それでも振り返ってみれば、

次の場所へ進もうとするとき、まるで橋を渡してくれるような人がいたのでした。

私は長いあいだ、

「私には友人が少ない」

という見方をしていました。

たくさんの人に囲まれてはいなかったけれど、

必要なときに、必要な人と出会ってきた。

それもまた、私がこれまで気づいていなかった「守られていた形」の一つなのかもしれません。

「私は守られていない」と感じるとき

昨日、お隣に住む若いご夫婦から、立派なメロンを二ついただきました。

「あのぅ・・・これ。」

「田原の、農家さんからいただいたものなのですが。」

そんなふうに差し出してくださったのですが、二つもいただいてしまって、私は少し驚きました。

そして、あとになって考えました。

どうして、うちにくれようと思ったのだろう。

もちろん、おすそ分けをする相手なら、ほかにもいたはずです。

ご家族や友人、職場の人。
もっと親しくしている方もいるかもしれません。

それでも、そのとき私たちのことを思い出して、

「お隣にあげよう」

と思ってくださった。

そのことが、なんだかとてもありがたく感じられました。

「誰も私を守ってくれない」と思っていた頃

私は以前、

自分は守られていない

と感じていた時期がありました。

何か困ったことが起きれば、自分で何とかするしかない。

誰かが助けてくれるわけでもない。

人は結局、自分のことをそれほど気にかけてなどいない。

そんなふうに感じながら生きていたことがあります。

けれど今になって振り返ってみると、本当にそうだったのだろうか、と思うのです。

誰かが声をかけてくれたこと。

困ったときに手を貸してくれたこと。

何かをいただいたこと。

自分のことを思い出してくれたこと。

ほんの小さなことであれば、きっと昔からいくつもあったのでしょう。

ただ、その頃の私は、それを「守られていること」の中に数えていなかったのかもしれません。

同じ出来事でも、見える世界は違ってくる

人の心は不思議です。

「私は誰からも大切にされていない」

と思っているときには、誰かに親切にされても、

たまたまだろう。

余っていたからだろう。

誰にでもしていることだろう。

そう考えて、通り過ぎてしまうかもしれません。

反対に、

私は思っている以上に、誰かに気にかけてもらっているのかもしれない

と思って周囲を見てみると、これまで見えていなかったものが見えてきます。

道ですれ違った人が挨拶をしてくれること。

近所の人が声をかけてくれること。

家族が当たり前のようにそこにいること。

誰かが自分のために少し手間をかけてくれること。

そして、

「これをあの人にあげよう」

と、ほんの一瞬でも自分のことを思い出してくれる人がいること。

そうしたものは、とても小さくて、「幸運」と呼ぶほどのことではないのかもしれません。

けれど、それを一つずつ拾ってみると、

人生は、自分が思っていたほど冷たい場所ではなかった

と気づくことがあります。

守られているとは、何だろう

「守られている」というと、

災難が起こらないことや、困ったときには必ず誰かが助けに来てくれることを想像するかもしれません。

けれど、現実の人生では、嫌なことも起こります。

理不尽な目にも遭います。

自分一人で頑張らなければならない日もあります。

だから、

「嫌なことが起こる=守られていない」

ではないのでしょう。

むしろ、いろいろなことが起こる人生の中にも、

自分を気にかけてくれる人がいる。

笑いかけてくれる人がいる。

何かを分けてくれる人がいる。

そんな小さなつながりが残っていることもまた、「守られている」ということなのかもしれません。

昨日いただいた二つのメロンを眺めながら、私はそんなことを考えていました。

「そう思えるようになった」ことも、自分の人生

ただ、ここで大切なのは、

「本当はずっと幸せだったのだから、考え方を変えればいい」

ということではありません。

苦しいときには、苦しいものです。

周囲を見る余裕さえなくなることもあります。

それでも、長い時間を生きながら、失敗したり、傷ついたり、人と出会ったり、自分なりに考えたりしながら、

少しずつ、

「これもありがたいことだったのかもしれない」

と思えるようになることがあります。

そしてもう一つ。

今、自分の周囲にある人との関係も、すべてが偶然に置かれたものではないのでしょう。

自分から挨拶をしたこと。

誰かに親切にしたこと。

困っている人に声をかけたこと。

腹が立っても、少しだけこらえたこと。

人との関係を壊さないように、自分なりにやってきたこと。

そんな、誰にも見られていない小さな積み重ねが、人との間に見えない道をつくってきたのかもしれません。

だからもし、

「私は誰にも守られていない」

「私には何もない」

と思う日があったなら、

ほんの少しだけ、自分の周りを見渡してみてください。

あなたの名前を思い出す人。

あなたに何かを話したいと思う人。

あなたが来ると安心する人。

何かを手にしたとき、「あの人にも」と思ってくれる人。

そんな人が、一人でもいるのなら。

そのつながりは、ただ偶然に空から降ってきたものではありません。

あなたがこれまで人と関わり、生きてきた時間の中で、少しずつ育ててきたものでもあるのです。

それはあなたが努力して手に入れたものなのです。

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