
人間関係に悩むときは、人間観を見直してみる
人との関係性に悩むことは、決して少なくありません。
けれども長く生きていると、
「こういう人も、どこかには必要なのだろうな」
と思うことがあります。
たとえば、うちの長女は、自分の意見をとてもはっきりと言います。
ときには主張が強すぎて、家族から敬遠されることもあります。
もう少し言い方をやわらかくすればよいのに、と思うこともあります。
けれども、何か問題が起きたときには、その強さを頼りたくなるのも事実で、
自分では言いにくいことを代わりに言ってくれたり、迷っているときに決断してくれたりする。
「味方になってくれたら、これほど心強い人はいない」
と思うこともあります。
人の性格は、一つの方向から見ただけではわからないものです。
気が強い人は、頼もしい人でもあります。
細かいことを指摘する人は、誰も気づかなかった問題を見つける人かもしれません。
慎重すぎる人がいることで、大きな失敗を防げることもあります。
人の性質には、欠点と長所のどちらかに、簡単に分けられないものがあるのではないでしょうか。
一つひとつの色を重ねるように
絵を描くとき、一色だけでは味気なかったものに、別の色を重ねることで深みが生まれることがあります。
人も、それと似ているのかもしれません。
一人ひとりを別々に見れば、
「この人には積極性が足りない」
「この人は協調性がない」
「この人は仕事が遅い」
と、足りない部分ばかりが目につくことがあります。
けれども、それぞれの持ち味を重ねてみると、一人ではつくれなかった色合いが生まれます。
何でも一人でできる人になることよりも、それぞれがすでに持っているものを生かすほうが、全体の改善につながることもあります。
仕事は、一人では成り立ちません。
みんなでするからこそ、自分にはできないことを、誰かにしてもらい、大きなことを成し遂げていけます。
反対に、自分では特別だと思っていなかったことが、誰かを助けている場合もあります。
「何が足りないのか」を探し続けるよりも、
「ここに何があるのか」
「この人が持っているものは何か」
を見直すほうが、現実的なこともあるのです。
「やる気がない人」にも背景がある
人の行動には、多くの場合、その人にしかわからない背景があります。
家族であれば、その事情を知っているため、周囲には扱いにくく見える人とも、案外うまく付き合っていたりします。
職場では、その人の一部分しか見えません。
店頭で売られているジャムのように、わかりやすいシールは貼られていないのです。
私達が理解していると思っているその人には、私達が思っている以上の複雑な事情が絡んでいたりするのだけど、
それも、こちらに相手のことを知る機会がなければ知りようがないのが実情です。
寛容な気持ちなったり、妥協してわかりあうのさえ難しい相手であっても、
少しだけ想像して「もし、私達が仲良くなったら?」と考えることは可能です。
「あの人は、やる気がない」
と思っていた人は、もしかしたら、もともとやる気がなかったのではなく、何かによってやる気を削がれてしまった人なのかもしれません。
怒っている人も、ただ気が強いのではなく、何かに困っている人なのかもしれません。
「この人の前では、いつも自分が損をする」
「以前、挨拶をしたのに無視された」
「どうせ自分の意見は聞いてもらえない」
そんな思いを抱えている可能性もあります。
もちろん、背景があれば、何をしても許されるわけではありません。
ときには、自分には何の落ち度もないのに、理不尽な思いをさせられることもあります。
だからといって、傷つけられた人が我慢しなければならない、ということでもありません。
ただ、目の前に現れた態度だけを見て、その人のすべてを決めつけないこと。
その人の背景を知ろうとすることと、その人の行為を許すことは、別なのだと思います。
それだけでも、相手に対する見方が少し変わることがあります。
責めるよりも、その背景を知ろうとする
私は、サスペンスドラマを見るのが好きで、おそらく人の心を想像する面白さがあるから
だろうと思います。
ドラマの中では、
「お前がやったんだろう」
と強く責め立て、犯行を認めさせようとする場面があります。
けれども、それだけでは相手も身を守ろうとして、なかなか本当のことを話しません。
一方で、その人がどのように生きてきたのか、事件に至るまでに何があったのかを、地道に聞いていく刑事もいます。
何が犯行の動機になったのか。
どのような感情を抱え、なぜそこまで追い詰められてしまったのか。
表面に現れた行動だけではなく、そこに至るまでの事情や心の動きを読み取ろうとします。
すると相手は、ただ追い詰められて白状するのではなく、
「この人は、自分の気持ちをわかろうとしてくれている」
と感じ、自分から本当のことを話し始めます。
もちろん、事情がわかったからといって、犯した罪がなくなるわけではありません。
けれども人は、強く責められると、自分を守ろうとする、
反対に、自分の存在や抱えてきた感情を認めてもらえたとき、初めて自分のしたことに向き合い、納得して答えられることがあります。
これは、日常の人間関係にも通じるところがあるのかもしれません。
目の前の態度だけを見て、
「あの人はやる気がない」
「あの人は怒りっぽい」
と決めつけるのではなく、そこに至るまでに何があったのかを考えてみる。
地道ではありますが、相手を変えようとするよりも、その背景を知ろうとすることから、関係が少しずつ変わっていく場合があります。
人は、責められたから納得するのではありません。
自分の存在を認めてもらい、自分の中にあるものを理解してもらえたと感じたとき、ようやく心を開けることがあるのだと思います。
相手を変えられないときにできること
苦手な相手の懐に入り、関係をよくしていく方法もあります。
しかし、誰にでもそれができるわけではありません。
どうしても近づけない人もいれば、近づかないほうがよい相手もいます。
そのようなとき、自分にできることの一つが、考え方を変えることです。
相手を好きになる必要はありません。
その人の言動を、すべて肯定する必要もない、
ただ、
「この人は、なぜこのような態度を取るのだろう」
「この人の性質が生かされる場面もあるのではないか」
「この人がいることで、見えてきたものはないだろうか」
と、少し違う角度から眺めてみるのです。
相手が変わらなくても、見方が変わることで、心の中に距離を取れることがあります。
それは、嫌なことを我慢するためではありません。
相手の言動だけに心を支配されないための考え方です。
能力ではなく、持ち味として人を見る
私たちは、能力によって評価され、
「選ばれる人」
「選ばれない人」
に分けられる社会の中で生きています。
仕事が速い人。
人前で話すのが上手な人。
要領よく動ける人。
そのような、わかりやすい能力を持つ人が評価される一方で、自分には何もないと感じ、生きづらさを抱えている人も少なくありません。
しかし、人を「能力」で見ることと、「持ち味」で見ることは、少し違います。
能力は、ほかの人と比べて評価されます。
持ち味は、比べなくても、そこにあるものです。
話すことが苦手でも、人の話を丁寧に聞ける人がいます。
素早くは動けなくても、見落とさずに確認できる人がいます。
強く主張できなくても、その場の空気をやわらげている人がいます。
本人さえ気づいていない何かが、周囲の人を支えていることもあります。
夢を解いていると、悩みが深くなったときに必要なのは、問題の解決だけではなく、これまで持っていた人間観を見直すことなのではないか、と思うことがあります。
役に立つ人と、役に立たない人。
できる人と、できない人。
味方と、敵。
そうした分け方だけでは、人を見失ってしまうことがあります。
地道ではありますが、必要なのは、まず互いの存在を認め合うことなのかもしれません。
足りないものを探すのではなく、そこにあるものの価値を見直す。
一色では出せなかった深みが、異なる色を重ねることで生まれるように、人もまた、それぞれの持ち味を重ねながら、一人ではできないことを成し遂げていくのではないでしょうか。

コメント