お金 スピリチュアル ライフスタイル

お金を儲けることに抵抗が働くのですか?

スポンサーリンク

◆お金の話をすること自体に、躊躇いがある人も多い

 

少し前に「お金に関すること」として、「富の法則」を交えて<1>から<10>に渡って記述しましたが、正直「お金」の話をするのは抵抗が働きます。

 

私達の世代はとかく

「お金の話をするなんて」と親からにらまれたものです。

 

「だって・・私のお金、返してもらえてない・・」ということも、なかなか言えませんでした。

 

「ちょっと借りるわ」と言われて親にもっていかれ、返して欲しいという時には先のような言われ方をされるのですから、たまったものではありません。

 

あなたには、そんな経験ありませんか。

 

私達は、「金銭は邪悪」であるかのように思わされてきたようにも思います。

 

「金銭欲」などという使い方をすれば、どこか汚らわしさを感じたりします。

 

けれど、私達は紛れもなく「経済的世界」に生きているわけで、「お金なしには生きていけない」と誰もがわかっています。

 

沢山あれば、それだけ豊かな生活が送れるわけなので「快楽」に繋がっています。

 

とりわけ魂の探求をしたい人達にとって、そうした物質的快楽についてはできるだけ自分から遠ざけてしまいたいかもしれませんが、それは過剰反応かもしれません。

 

◆社会にとっての幸福を考え、その恩恵に自分もあやかるという考え方もある

英国の哲学者ベンサムによると、

人は、何をするにも「苦痛」と「快楽」を物差しにし、より快楽が多い方を選ぶことを宿命づけられているといいます。

 

功利主義の原理を掲げ、

自然は人類を苦痛と快楽という二人の主導者のもとに置いてきた。我々が何をしなくてはならないかということを支持し、また我々が何をするであろうかということを決定するのはただ快楽と苦痛だけである

 

というのです。

 

そう考えるなら、私達がお金を得たいと思うのは、人に備わった物差しに照らして快楽を求めているのだから仕方ないということにもなるでしょう。

 

そしてその結果社会全体が幸福になるのだから、罪の意識を持つ必要はないということにもなります。

 

◆お金に理想と価値を注ぎ込むのは自分

 

また、お金は沢山の供給物のごく一部に過ぎません。

 

あなたが自分の使命を実現するときも「時間・食物・エネルギー・健康・友人」など、多くのものが必要です。

 

金銭もまた、その媒介になっているに過ぎません。

 

これまで、金銭はまるで「人を堕落させる」かのような宣伝をされてきて、

 

例えば時代劇に登場する悪代官と越後谷のような(^_^;)シーンを沢山見て私達は育ってきました。

 

けれど、お金自体は中立的なもので、使い方次第。素晴らしい理想のために活用し、自分や周囲の人に必要なものを創り出していくことができます。

 

再びベンサムの話をすると、彼は「功利主義」を社会にも適用し、社会全体にとっての正しさや幸福は、より多くの人がより多くの快楽を得ることであると唱えました。

 

それをスローガン的に表現したのが、有名な「最大多数の最大幸福」です。

 

社会の利益を最大化するためには、少数者の幸福よりも、多数者の幸福を増大させるほうが望ましい」というのです。

 

「社会にとっての幸福」に焦点をあてているので、いささか不服を感じる人もいるかもしれませんが、自分が幸せになるためには全体の幸福も大切です。

 

自分の地域や国・世界が豊かにならなければ、自分もその恩恵を受けることは出来ないから。

 

もしも、あなたが「お金儲けに罪の意識を感じる」のだとしたら、自分だけが得をすることが忍びないという気持ちが働いてしまうのかもしれませんね。

 

もしもそうであるなら、自分の人生の中に流れてくるお金は、なにか意味があるのだと思うといいのではないでしょうか。

 

それを受け取るために何か言い訳が必要なら、そのお金には「責任」が伴っているのだ、と思えばよいかと思います。

 

そして是非、その資源を自分の使命を実現するために創造的・建設的に利用してみてください。

 

© 2021 Heritage Powered by AFFINGER5