スピリチュアル ライフスタイル

祈りについて<5>祈りが実現するとき

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◆叶いやすい祈りはあるの?

あなたのこれまでの人生の中で「祈りが通じた!」と思ったことはありますか。

叶いやすい祈りがあるのか?

 

それとも宇宙の気まぐれ?そんな疑問が湧いたり

○○さんの祈りは叶うのに、何故自分の祈りは聞き届けてもらえないのか?とふてくされ気味になることもあるかもしれませんね。

 

<4>でもお話しているように、宇宙は万物の慈悲の生命によって営まれているため、「エゴ」に囚われ、慈悲の生命に逆行しているものについては叶えられない、といえます。

 

「叶いやすい」祈りがあるとすれば、

・自分だけのためではない(自分も他の人も幸せになる)祈り

・祈ることによって、自分の霊性が益々高まっていく(仏性が開いていくような)祈り

である、といえるでしょう。

 

◆祈りはとても積極的な行為

加えて、祈りの強さ、強情さ、そうしたものも大切です。

祈りとは、決して消極的なことではなくて、自分の中の強い心を湧現させる積極的な行為です。

 

祈るほどに「絶対に叶えて見せる!諦めない」心が育ってくるともいえます。

 

また、祈りが叶うタイミングにも「最適」なタイミングがあります。



それは、本当の「福運」とは「自分の生命が変ること」だからです。

 

◆六根清浄こそが福徳

日本は仏教徒が多い国なので、「六根清浄」と言う言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

この漢字を見ただけで理解できるかもしれませんが、六根が浄化され、清らかになっていくことを言います。

 

ちなみに六根とは「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」の六つの近く器官と、その能力のことです。

 

自分の心身が浄化され、元々持っている力を最大限に発揮していけることこそが、本当の福運や福徳といえます。

◆福徳の表れ方には違いがある

また、福運の表れ方には「冥益」と「顕益」とがあるとも言われています。

これについては調べるとわかると思いますが、

「顕益」・・すぐに眼に見えて現れる

「冥益」・・時間はかかるけれど厳然と自身の生命や生活の上に現れてくる。

(「冥」とは、目に見えない・奥深いところという意味から)

 

これについてはお勧めしたいことが一つあります。

それは、あなたの今の「願い」でいいと思うのですが、全て書き出し、一つ自分の内面に大きな変化を感じた時、見返してみるということです。

 

小さな願いであっても、一つの大きな祈りの中に包含されていて、ある日気がついたら全てが叶っていた、ということは実は珍しくないことです。

 

こうした体験があると、宇宙には一つの法則があると感じることができるはずです。

 

◆祈る人は温かく、真剣に生きる人

「真剣に」祈っている人は、「真剣に」努力をしている人です。

惰性や安逸に生きている人には、本当の意味での祈りはいないといえます。

 

いい加減な気持ちで結果を待っているだけの人の祈りは、時に叶っているように見えたとしても儚く、瞬く間に消えてゆきます。

 

逆に、一見叶っていないように見えても、それが実は大きな成功の要因になっていて、叶うまでの道のりを振り返った時悪戦苦闘した思い出を「宝」だと思えるものです。

 

それは、その人が「前進」する人だからです。

祈りが、その人の可能性を引き出すからです。

 

自分の可能性を信じる人は、他の人の可能性も信じられるようになります。

 

人が手を合せる行為って、本当に尊いことですよね。

祈りについての云々を知らなかったとしても

こんな凄いことを何気なくして、私達は生きたのですよね。

けれど、私達の生活は慌ただしくて、急かされるように生きていて、祈るなんて、家に仏壇があったとしても「することがない時にね」なんて思ってたりしますよね。←私

 

本当に充足感を持って生きるには「祈りの中に生きる」になっていくことが大切ではないかな、と思います。

 

◆祈る姿勢それ自体が素晴らしいこと

「祈る」時、あなたは誰かと一緒に祈るでしょうか

 

お墓参りなどで身内の方々と連れだっても、日常生活においては一人で静かに祈る、ということの方が多いのではないでしょうか。

 

誰かに「偉いね」と称賛されたり、祈ってすぐに結果が出るとは限らないので、なんだか価値を感じないかもしれません。

 

価値を感じるのはやはり「祈りが叶った」瞬間!ではないでしょうか。

 

ただ、法華経には、私達の

・身は法身如来

・心は報身如来

・振る舞いを応身如来

と説かれていて、宇宙と生命を貫く根源の方を唱え行ずる人は、この「三身」如来の仏なのだと言っています。

 

あなたが「祈る人」であるなら身も心も振る舞いも「仏」の生命なのだ、だから決して自分を軽んじたり、卑下したりしてはいけないよ、と言っています。

 

また、「祈った!」→「叶った!」→「終わり」ではなくて、絶えず自己変革し続けられるよう祈りを深め、持続させることが大切です。

 

そうしてこの世界を去る時には「私は生ききったぞ!!」と、満面の微笑みをたたえたいものです。

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