休日の独り言

可愛げがない、と言われる人・思い出と創造力

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◆可愛げがない人に「諭す」は通用しない

 

「ちっとも可愛げがない」

 

私も母親に言われたことがあります。

 

たぶん、母親が望むような愛らしい子供ではなかったからでしょう。

 

そんなことを言われたり、思われているのだと知りながらも、どうしたら「可愛げがある」人になれるのかわからず生きていることもあります。

 

母親に言われたからといってどうすればよいのか、その頃の私にわかるはずもありませんでした。

 

私達が身に付けることができるのは、「過去にそういう経験があること」であり、可愛げのある人は、過去に可愛がられた経験のある人であるといえます。

 

理解されたり、格別に思いやられたりして、その幸せを知っている人は人に対してもそう振る舞うことができます。

 

誰かに可愛がられたことのない子は、無理にでも可愛がってやることだ

 

困ったなぁ・・といいながら、去らないでいてやることだ

 

子供はメッセージを受け止めているのではない。

 

存在を受け止めているのだと思う

「月刊福祉」団士郎・木陰の物語

 

 

◆可愛げがないのは、それを疎外している要因があるからかも。

 

今は発達障害という「障害」に苦しむ人がいるのだとわかりますが、かつてはそのような障害があると認知されてはいませんでした。

 

「みんなとなんか違う」ことに苦しんでいた人も多かったのではないかと思います。

 

そうした人の中には、人の気持ちを逆撫でするようなことを平気で言ってしまい、鈍感だと思われたり無神経だと言われたりすることがあります。

 

私が思い出す人達の中には、そうだったのかなと思う人もいて、時々「今、どうしているのかなぁ」と思うことがあります。

 

私は小学校の時何度も転校していたので、その頃出逢った誰ともほんの少しの間のことしかわかりません。

 

その中でも最初に出逢った人は、発達障害ではありませんでしたが、今思えば「緘黙症」であったのだと思います。

 

彼はクラスの誰とも、一言もしゃべったことがありませんでした。

 

休憩時間も一切。

 

私は彼の前の席にいたのですが、どうしても彼の口から言葉が聞きたくて、いろいろ面白いことをしては笑わせたり驚かせたりしました。

 

授業中に吹き出すような絵を描いて渡していた時、先生に見つかり怒られたことがあります。

 

でも

 

一緒に叱られているはずなのに、彼の目は笑っていて、その瞳がとても綺麗だったのを覚えています。

 

そして、私がいたその学年中に彼は話せるようになりました。

 

いつしか、他の男子と同じように騒いだり遊んだりする子になっていました。

 

それは他のきっかけを得たためかもしれませんが、私にとってはとても嬉しい出来事でした。

 

たぶん、それが発端なのかと思うのですが、クラスで目だたなくしている子がいると、どうしてもちょっかいを出してみたくなる、

 

「本当の顔を見せてほしい」と思ってしまうのです。

 

緘黙症の彼のことは小学2年生の時だけで、それ以降を知りません。

 

小学校4年生の時に二回目の転校をした時、放課になっても外に出て遊ばない、一人の女の子を見つけました。

 

その子はいつもニコニコしていました。

 

だけど

 

誰も「一緒に遊ぼう」と声をかけません。

 

それどころか、クラスで何か悪いことが起きると、いつもその子のせいにされていました。

 

私には、その雰囲気がどうしても許せず反論しますが、彼女はそんなことがあっても一切反論せず、先生に問われても顔を赤くして涙を流すだけなのです。

 

そんな彼女を笑顔にしたい、みんなと遊べるようなったら、どんなに学校が楽しくなるだろうと想像しました。

 

作戦などはありませんでしたが、最初一緒に遊ぼうと誘っても動いてもらえなかったので、少し強引に

 

「散歩につきあってほしい」とお願いしました。

 

最初は校内を歩きながらいろんなことを聞き出しました。

 

お互い子供なので

 

「何が好き?」とか、そんなことです。

 

少し話しているうちに、彼女はめちゃくちゃユニークな人であることに気づきました。

 

私は彼女といることが本当に楽しくなって

 

クラスの中でも話題にするようになりました。

 

そして、「縄跳びしよう!」「鬼ごっこしよう!」と、外の遊びもレベルアップしていきました。

 

彼女の魅力に気づき始めた他の子達も徐々に一緒に遊ぶようになり、ついには彼女は放課の時間真っ先に他の子に連れて行かれるようになってしまいました。

 

でも

 

私の願いはかなったので満足でした。

 

こんなことを書くと「私が何かをした」ように思われるかもしれませんが、実は正反対で

 

彼・彼女達が私の心に流れる創造力を引き出すチャンスをくれていたのだと思います。

 

私はかつての経験から、誰もが愛情を受け入れる心を開いていけると信じています。

 

誰もが自分の中にある輝きの承認を求めていて、私達が光りをあて、回路を疎外する要素に気付くことができたなら、宇宙はあなたのエネルギー自体に生命と精気を吹きかけるでしょう。

 

ひとり一人の能力を引き出し、輝かせることが地球の共同体に貢献することになるからです。

 

宇宙に存在するすべてのものは、愛なしには存在しえません。

 

他の人の期待に応えるためではなく、地球上を生きる仲間と創造エネルギーをわかち合うことにより、あなたは自身のエネルギーを授かった幸運を祝福されるようになります。

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