人間関係

影が薄い、存在価値が低い、って思っているのですか。

1月 19, 2021

◆自分には光が降り注がれていないのだろうか

あなたも悩んでいるかもしれませんが、ここで記述していることの多くは私が悩んできたことであったり、

今も悩んでしまうことだったりします。

ここで記述し、気持ちを立て直すチャンスをもらっているように思います。

だから、

ありがとうございます。

今も時々、自分はなんて目立たない存在なのだろう、影が薄いに違いない、と思うことがあります。

そう思っているので

どこかに行った時のことを話しているときに、

え。あの時、あなたいたっけ?

なんて言われると、心がえぐられたようになります。

例えば、会議の席で

自分が思い切って発言し、

実践し始めたことを、いつの間にか自分よりも発言力の高い誰かがさ~っとかっさらっていってしまい、その人が考えたことになってしまっている、

といったようなことも、結構あります。

そうしたことがある度に、私は落ち込んでしまうわけです。

自分には発信力もなければ、存在感もない、あの時話たことは覚えててさえもらえていない、と。

誰かに何かをされているわけではなくとも、そうしたことが積み重なると心は沈んでいきます

どんな人も「平等」である

とはいうけれど、

そうであるなら、なぜ自分にだけはみんなと同じ光が降りそそがれないのかと、益々落ち込んでしまうのです。

◆「在る」自分を、静かに大事に育てる

私の心を前に動かすのは、いつもほんのちょっとした出来事です。

ある日車を運転していて、自転車で道路を渡っていく知人に気付き、

その人についての記憶を手繰り、考えていました。

年齢は離れていますが、少しはその人となりを知っています。

随分勝手ですが、その人の日常・心のあり方などについて思いを馳せているうちに、その人のことを

なんて立派な人なのだろう

と思いました。

私の中で、その人の存在は輝きました。

そして、ある日読んだ 尊敬する国語教師大村はまさんの書籍の中の一節と、その人が重なりました。

 

何かを得られるから努力するのではない、

その努力がどんなものをもたらさなかたっとしても、何も実らなかったとしても、

私は努力したい、

努力する自体に喜びがあるからするのだ。

 

というようなことが書かれていました。(すみません、うろおぼえの箇所で訂正が必要かもしれません)

私が今こうして発信している発端は、ある日その婦人に思いを馳せたことであり、

私を含め、その婦人の中に見た

「一生懸命」にサーチライトを当てていきたい!という、強い思いがあるからです。

あなたのことをそうして見ている人は必ずいて、その

静かな存在感

は、場の空気をいつも柔らかなものに変えています

だけど、

そのことに気づかれることはあまりない

のです。

疲れ気味の上司があなたの近くに立ち寄っていくことはありませんか。

そうした、

人の肩の荷をそっと下ろすような役割

が、あなたにはあるのではないでしょうか。

自分の影が薄いと感じる原因は、実はあなた自身に何か原因があるというのではなくて、

あなたの周りに

世間の評判に敏感に反応する人が集まりやすいから

ではないでしょうか。

外面的なものを手放すことができず、捨てることのできない人の心の傷をあなたが癒し、解きほぐしているのだとは、考えられないでしょうか。

あなたはその人たちに、再び外界の刺激に反応する心を取り戻させます。

あなたは確かに

目立たない

かもしれません。

でもそれは

無条件に安心できるオーラを纏い、

静かな湖のように澄んだ穏やかなエネルギーを放っている

からなのでしょう。

あなたが

人の波打つ感情を鎮め、浄化し、ほどよく調和させている

から。

だから

それこそが自分の持ち味なのだ、

という姿勢でいてほしいと思うのです。

諦める、のではなく

尊重して受け止める

のです。

 

また、本当に凄い人というのは、

明らかに目立つ人であるより、気さくで自分を前に出さない人

が多いものです。

有能である人ほど、

いろいろな側面をもっていたりします。

ある日TVを見ていて、同じ芸能人仲間に

人混みの中で自分の存在感を見事に消してしまう人がいる

と話している人がいました。そして、

その人のことを

凄い人

だと思った、と言っていました。

それがある種

能力

であるなら、

あなたが思っている「影のうすさ」というのもまた、

自身の存在感を感じさせないほど輪の中に自分を馴染ませ、

調和させてしまう能力の高さであるゆえ

なのかもしれません。

◆影が薄い人、と感じてる人の中には、真の実力を備えている人も多い

そうした人を「雑草」に譬えるのはどうかと思うかもしれませんが、

人に関心を払われず、また厳しい環境の中でも逞しく成長する人には

雑草魂

があったりします。

一般的には

踏まれても踏まれても立ち上がる、という意味で使われますし、そのことも勿論大切ですが、

もっというと、

踏まれても踏まれても大切なことを見失わない

人のことを言います。

あなたはきっと、

どんな環境にあっても大切なことを見失なわず、

全く気付かれることなしに、

まったく報いもうけずに人に奉仕できるのでしょう。

雑草は、何度も踏まれるような環境で育つこともありますが、時には横に伸びたり、茎を短くしたり、根を下に伸ばしたり、

その環境に適して

成長してゆきます。

あなたは、

他人から見える自己像に囚われず

新しい経験・新しい知見を取り入れ、変化していくでしょう。

好条件に恵まれ、

順調に育っていくだけが、目立って生きるだけが

長ではない

わけです。

環境に嘆くのではない、

どんなマイナスも転じてプラスに変える力があなたにあるのでしょう。

自分は日陰に、人には明るい道を譲ることができるのは、

あなたが不屈の魂であることを証明できる強い人だから。

心の真ん中に、見失うことのない「大切な」ものがある人にはそれができるのです。

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