スピリチュアル 人間関係

影が薄いのかもしれない、と落ち込んでいるのですか。

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◆影が薄いと感じたままいるとき、自分には光が降り注がれていない気がしてしまう

 

あなたも悩んでいるかもしれませんが、ここで記述していることの多くは私が悩んできたことであったり、今も悩んでしまうことだったりします。

 

ここで記述し、気持ちを高めるチャンスをもらっているのでやめられません(^_^;)

 

今も時々、自分はなんて目立たない存在なのだろう、人の目には入らないほど影が薄いに違いない、と思うことがあります。

 

例えばどこかに行った時のことを話しているとき、

 

「え。あの時あなたいたっけ?」と言われることはしょっちゅうです。

 

一番忘れられないのは、小学校の時ドッチボールをしていて、私が一人残っているにもかかわらず、先生が「終了!」と号令をかけたことでした。

 

きっとみんなの目に私は映っていないのだと本気で思ってしまったことがあります。

 

「え。あれって、私が最初に言ったことだったんだけど・・」というようなこと、あなたにはありませんか。

 

例えば、会議の席で

 

「このようなことがあるので、こういう風にするといいと思う」とあなたが実践し始めたことを、いつの間にか発言力の高い誰かがさ~っとかっさらっていってしまい、その人が考えたことになってしまっている、というようなことです。

 

私は結構な頻度であります。

 

そしてその話が出る度に、私は落ち込んでしまうわけです。

 

自分には発信力もなければ、存在感もない、あの会議での話しは覚えててさえもらえていない、と。

 

誰かに何かをされているわけではなくとも、そうしたことが積み重なると心は沈んでいきます。

 

どんな人も「平等」であるとはいうけれど、そうであるなら、なぜ自分にだけはみんなと同じ光が降りそそがれないのかと、益々落ち込んでしまうのです。

 

◆影が薄いのではないか、と思ったら静かに「在る」自分を大事に育てる

 

私の心を前に動かすのは、いつもほんのちょっとした出来事です。

 

どうやら、私と同じように目立たたずそっとあるものに、私の心は惹かれるようです。

 

ある日車を運転していて、自転車で道路を渡っていく知人に気付き、その人についての記憶を手繰り、考えていました。

 

随分勝手な妄想ですが、その人の日常・心のあり方などについて思いを馳せているうちに、その人のことを

 

なんて立派な人なのだろう

 

と思いました。

 

私の中で、その人の存在は輝きました。

 

その人と、ある日読んだ 尊敬する国語教師大村はまさんの書籍の中の一節が重なりました。

 

何かを得られるから努力するのではない、その努力がどんなものをもたらさなかたっとしても、何も実らなかったとしても、私は努力したい、努力する自体に喜びがあるからするのだ。

 

というようなことが書かれていました。(すみません、うろおぼえの箇所で訂正が必要かもしれません)

 

私が今こうして発信している発端は、ある日その婦人に思いを馳せたことであり、

 

他の人に見過ごされがちな「一生懸命」にサーチライトを当てていきたい!という強い思いがあるからです。

 

あなたのことをそうして見ている人は必ずいて、その静かな存在感があってこそ、場の空気は柔らかなものになります

 

疲れ気味の上司があなたの近くに立ち寄っていくことはありませんか。

 

そうした、人の肩の荷をそっと下ろすような役割があなたにはあるのではないでしょうか。

 

自分の影が薄いと感じる原因は、実はあなた自身にその原因があるというよりもあなたの周りに

 

世間の評判に敏感に反応する人が集まりやすいから

 

ではないでしょうか。

 

外面的なものを手放すことができず、捨てることのできない人の心の傷をあなたは癒し、解きほぐすことができます。

 

そして、再び外界の刺激に反応する心を取り戻させます。

 

あなたは確かに目立たないかもしれません。

 

でもそれは無条件に安心できるオーラを纏い、静かな湖のように澄んだ穏やかなエネルギーを放っているから。

 

あなたが人の波打つ感情を鎮め、浄化し、ほどよく調和させているから。

 

だから

 

このキャラこそが自分の持ち味なのだという姿勢でいってほしいと思います。

 

諦める、というのではなく

 

「尊重して受け止める」のです。

 

 

また本当に凄い人は、明らかに目立つ人であるより、気さくで自分を前に出さない人が多いものです。

 

有能であるほどいろいろな側面をもっていて、芸能人の中には、人混みの中で自分の存在感を見事に消してしまう人がいて驚いたという話を聞いたことがあります。

 

それがある種「能力」であるなら、「影のうすさ」は、自身の存在感を感じさせないほど輪の中に自分を馴染ませ調和させてしまう能力の高さゆえともいえます。

 

◆影が薄い人の中には、真の実力を備えている人も多い

 

そうした人を「雑草」に譬えるのはどうかと思うかもしれませんが、人に関心を払われず、また厳しい環境の中でも逞しく成長する人には「雑草魂」があります。

 

踏まれても踏まれても立ち上がる、そのことも勿論大切ですが、

 

もっというと、

踏まれても踏まれても大切なことを見失わない

 

人のことを言います。

 

あなたはきっと

 

どんな環境にあっても大切なことを見失なわず、全く気付かれることなしに、まったく報いもうけずに人に奉仕できるのでしょう。

 

雑草は、何度も踏まれるような環境で育つこともありますが、時には横に伸びたり、茎を短くしたり、根を下に伸ばしたり、その環境に適して成長してゆきます。

 

他人から見える自己像に囚われず、あなたは新しい経験・新しい知見を取り入れ、変化していきます。

 

好条件に恵まれ、順調に育っていくだけが、目立って生きるだけが「成長」ではないわけです。

 

環境に嘆くのではない、どんなマイナスも転じてプラスに変える力があなたにあるのでしょう。

 

自分は日陰に、人には明るい道を譲ることができるのは、あなたが不屈の魂であることを証明できる強い人だから。

 

心の真ん中に、見失うことのない「大切な」ものがある人にはそれができるのです。

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