ライフスタイル

誰のことも信じない、と思うことがあっても、孤立の道を選ばない

4月 2, 2021

◆誰の生命も上層部分は変動しやすく、不安定なもの

もう、誰のことも信じない、

そんな風に、

クールに気取ってみせてしまうことがあります。

でも、そういいたくなるのは、実は

人を「信じている」から

であったりします。

勝手に抱いていた人物像と、実際の人格とが大きく違っていて

落胆し

その全体像を見る前に、悲しみや無力さに打ちのめされてしまう、

ことがあります。

 

人は、その時々に

「思い思い」の勝手な感情を、好きな方法で発散させるもの

です。

 

人から

不機嫌さ・苛立ちの態度・怒り・棘のある言葉

などを向けられたとしても、

不安定な人の心を拠り所にしないこと

その底流に流れる生命の普遍性を見つめ、

状況に囚われないこと、

が大切です。

 

仏法でも、

人の生命の上層部分は変動しやすく、不安定なもの

である、と言われています。

 

そうしたことを認識したうえで、

信じることなどやめてしまおう、と諦めてしまうのではなく、

信じるに値するもの」を求め続けていく心

が大切です。

◆誰のことを、何をもって「信じ」たらよいのか

信じるもの?そんなものなにもないさ

そんな風に言いたくなることがあったとしても、

現実それで大丈夫かというと、決してそんなことはなくて

やっぱり人は、

何かを信じていたい

と願うものです。

あなたもそうではないでしょうか。

「信じる」とは、

真実たること・虚偽ではない、ということ。

それを前提とした人間関係は、容易には崩れません

でも、

「信頼できる」根拠は、どうやって得ることができるでしょう。

どうやって、その裏付けをとることができるのでしょう。

その人が「真」に堪える人であるかどうか

見極めるには、やはり

日常的に対話を重ねていく

しかないのではないでしょうか。

言葉を交わしあい、議論し、対立しあって

その人の心を動かしているものが何であるのかを知る

ことが、とても大切だと思うのです。

 

私は毎朝「テレ朝の羽鳥慎一のモーニングショー」を見ているのですが、

どのTVニュースでも、

司会者がいて、コメンテーターがいて、解説者がいて、

それぞれが独自目線から見解を述べる、という感じで進行していきます。

羽鳥さんは「好感度優先」を公言していますし、

コメンテーターの玉川さんは「正義感」が強く、相手が誰であろうと臆せず追究していくコメントが多いです。

「健康意識が高い」ことでも有名ですよね。

それで全体がとてもうまく調和していますし、話す内容や考え方は異なってはいても、

誰の話の中にも「真実」を見てとる

ことができます。

そんな、お互いに理解しあっている関係性を見ている側は、

とてもリラックスして見ていられます。

私なんかは、そんな光景をいつも感心しながら視ているのですが、

もしも、

玉川さんがいきなり好感度を優先して発言するようになったら、ファンは裏切られたような気持ちになるでしょう。

この人の、そういうところがいいんだよね、

と思って視ているわけです。

何が言いたいかというと、

だいたいにおいて、

誰もが、

今の自分の身体の中で十分善く生きている

わけです。

ただ、現実にはお互いのことをよく知るほど付き合いを深めてはいかなくて、

上層部分だけ見て

「知っている」つもりになってしまう、

そんな人だと思わなかった

という気持ちにさせられてしまうのかもしれません。

◆誰でも、自分の「暗」の部分は見せたがらない

あなたはショッピングや外食に出かけた時、知人の存在に気づいて咄嗟に身を隠してしまうでしょうか。

私は知ってる人を見つけると嬉しくなって、思わず声をかけてしまいます。

ただ、同じテンションで会話が弾む人もいれば、

挨拶もそこそこに、逃げるように立ち去ってしまう人もいます。

そのことについて、娘達と話したことがあるのですが、

お化粧をしていない時とか、そんな気分ではない時とか、出かけるような恰好をしていないとき、この人に会うと面倒くさいと思う時、避けたい気持ちが働く、

と言っていました。

あなたはどうですか。

私はないんですね。

自分の中にない「気持ち」を、人は察することができないので、

私は長い間これが不思議だったのですが、どんな人に聞いても、それ以上の回答を得ることはできませんでした。

考えると、

自分はどんな格好しててても(たぶん、パジャマ着てたとしても「パジャマ着ててごめんね」というし)、お化粧は基本的にしないし、気分がのらない時というのがあまりないんですね。

だから「闇」のような部分がないか?というと、きっとあるんですが、

「明暗」の落差が大きい人もいる

んだと思います。

そういう人は、

」のスイッチが常にオンではなくて、

必要に応じてオンになる人であったりします。

誰もにも

「明」と「暗」の側面があって、

ふとした瞬間に、それが立ち現れたりするのです。

立ち現れるものは、元々その人の世界にあるもの

です。

でも、「明」の状態でいるときは「暗」を意識しないし、人に見せようとは思いません。

やっぱりそうした部分はなるべく隠しておきたい、

一番よい状態の自分にもっていこうとする

の です。

なので、本当に理解しあい、信頼関係を深めていこうと思う人とは、

「明るい側面」だけを見てつきあうところから一歩「接近」して

その人の心に立ち現れる明や暗を「観察」すること

が、有効的な手段であると思うのです。

◆誰かと自分との世界を隔てる心から、イキイキと関わりあう関係に挑んでいく

大人として「分別」をつけることは大切です。

でも、私達にはやはり

我見

があります。

私達は、宇宙的な生命の無限の世界に住んでいながら、「自分」という囲いをつくり、

壁を巡らし、

他の人と自分との世界を区別しよう

とします。

それが功を奏して、強固な城を築くこともありますが、

そうでない場合、

あまりにも小さく貧弱な境涯に閉じこもることになる

でしょう。

だから、

自我の城の囲いを「幻」であると見抜き、これをいつでも破れる柔軟性を身につける

ことが大切です。

今、

対話する機会そのものは、限られているかもしれません。

でも私達には想像する力があり、

過去に交わした会話や言葉を思い起こし、そこに新たな真理を見出す、

なんてこともやってのけます。

想像力によって、

時間を超えて

その人と対話し、反芻し、解釈することができます。

時には、

あなたが問題だと思っていたことは大したことではなくて、

別のことが「問題」であった

とわかることもあります。

そんなことを考えるとき、

時とともに言葉が言葉を超え、思考さえ超えることを考えたとき、私達に大切なのは、

ひょっとしたら そうではなかったのかもしれない

という可能性を心にとどめておくこと、

自分が感じている「絶対」を揺るがしておくこと

ではないでしょうか。

それは、

自分を護るためにも、相手と「より善く」生きるためにも、

正しさとか、善さ、美しさを追求していくためにも

大切なことではないかと思うのです。

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