スピリチュアル ライフスタイル 人間関係

人間らしく生きる、ということ<1>「人間」それは「自己完成への意志」

スポンサーリンク

◆やがて一人の「人」として生きる時がくる

今回は「人間として生きることの意味を考えてしまう」というお話を頂きましたので、その回答になるかどうかはわかりませんが、考察していきたいと思います。

 

あなたは、普段友人や家族からなんて呼ばれているでしょうか。

「(○○さんの)奥さん!」とか、「○○ちゃんのおかあさん!」なんて呼ばれることがちょっと嬉しかった時代を通り過ぎ、また一人の「人」として生きるようになった!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

日本では、結婚すれば「良き嫁」であったり「良き母親」であることが求められているような気がして、それに応じなければという意識も働きます。

 

そのため、いつしか自分自身も気付かないうちに「母」として「妻」として生きていたりします。

 

そうした流れの中で、なんとなく毎日を送ってしまうものです。

 

そうした自然の流れの中に身を委ねていた人が、気がつけば子供は成長してしまい、夫に先立たれ、社会生活からはすっかり離れたところにいる、ある日を境にそれまでの役目から切り離されていくー

 

そして、否が応にも自分というものを見つめなくてはならなくなるがきてしまったりします。

 

勿論孫が生まれ、相変わらず多忙でそんなことを考える余裕もない、という人もいるかもしれません。

 

それでもユングのいうところの「人生の正午」を迎えたあたりから、人は少しずつ緊張の糸を解いて自分の人生を見つめるようになるのではないでしょうか。

 

◆人間を人間たらしめる条件とは?

人間?それは「ホモサピエンス」のことだ、というのは最もな解答ですが、それは人の「特質」を示す言葉であり、全体像についてではありません。

 

人は、常に生きる意味を問い続けている動物でもあります。

恩師は

自己完成への意志

だと言っていました。

 

哲学的なこの言葉を最後まで掘り下げられる自信がありませんので、難しい話はひとまずおいて(^_^)

 

一頃世間を騒がせていた「ゴミ屋敷」の話から進めたいと思います。

 

今はコロナ禍であまりその話題に触れられていませんが、

私が毎朝見ている「羽鳥慎一のモーニングショー」の中でも何度もこの問題を取り上げていたので、随分考えさせられました。

 

実は、私の居住する「豊橋市」内にも、そのような方がいらっしゃいます。

 

駅の近隣で仕事をしている知人によると、その方はかつては病院の院長夫人であり、今も自宅の他に土地を所有しているそうですが、際限なくゴミを集め続けているそうです。

 

金銭に恵まれていながらもこのようになっていくのは、病気なども原因しますが、家族と離れ世間から隔絶されていくことも要因であるでしょう。

 

「日常」の生活というのは、一見何でもないようですが、何かとてつもなく「新しいこと」に巡り会わない限り、「無気力」になっていく可能性を秘めていたりします。

 

そうではなくても、皆忙しい日々を送っていて「生活への慣れ」の中に身を委ねていたほうが気楽であると考えるものです。

 

日々の生活態度はいつのまにか「それ自体」で動いていくサイクルをつくってしまいます。

 

それが悪いわけではありません。

 

けれど、いつまでも妻のみ、母親のみで生き続けることはできないのだという、冷静な目は持っていることが大切です。

 

それは、「真の幸せは外の条件に左右されない」でも書いているように、結局は他者によって左右されるものであり、そこに人生すべてをかけてしまうと、その後には巨大な空洞が待ち受けていることもあるからです。

 

また、男性でも女性でも、どんな階級の人も総理大臣であっても、最後に大切なのは「人間として」幸福であったかどうかです。

 

この話も少し長くなってしまったので、次回に引き続きます。

 

 

 

 

 

 

© 2021 Heritage Powered by AFFINGER5