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未来予知は本当にできるのか?

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◆未来予知はできない、けれど未来を変えていくことはできる

 

「コロナ第三波」というニュースに、

 

これからどうなるのだろう・いつ終息するのだろう、と眠れない夜を過ごしている人も多いのではないでしょうか。

 

このような状況なのでは、未来予知にすがりたくなるのも無理からぬことです。

 

もしも今より良い未来が予知できているなら、それまでは頑張ろう!と心を強くもっていられるかもしれません。

 

ただ、ニュースを見ていても、実感としても「悪くなったことばかり」ではないように思えます。

 

このような時代にあってなお、もっと人が生きやすい世の中に変えていこうと、新たな試みに出る人は少なくないからでしょう。

 

テレワークも普及し、都会から田舎へ移住し、以前よりも快適な生活ができるようになった人もいるようです。

 

誰しも、可能性を求めて自ら未来に向かっていこうとします。

 

これは哲学者サルトルの考え方です。

 

人間はまず、未来に向かってみずからを投げるものであり、未来のなかに自らを投企することを意識するものである

 

私達は、時に「これも運命だから」といった言葉を使ったりもしますが、

 

サルトルはそうではなく、「良い目が出るように」と願いつつ、自らがサイコロとなって転がるのだというのです。

 

◆未来予知せずとも、あなたの自由意志によって、惰性で流されがちな生命の傾向に立ち向かうことができる

 

誰かが運命を転がしているわけではない、ということを前提にすれば

 

結論としては、未来は予言やオカルト霊媒者が説くように正確に予言することは不可能といえます。

 

この「不可能」を理論づけるのに、一つ鍵となっているのは

 

人間の生命は本質的に非線形であるから、起こる現象はカオスであり、フラクタルである」という、科学的に浸透している考え方です。

 

これに基づき、

将来のことは誰も予測することはできない」のです。

 

これは、ベルクソンの生命論とも共通しています。

 

況んや、あなたがこれまでの思考パターンに気付き、これまでとは全く違う行動を取り始めたなら、未来は容易に変化してしまうのです。

 

仏法においても人間の自由意志が最も尊重されていて宿命がある程度人生の方向を決めているとしても、自由意志によって運命の方向を変えることは可能だと説きます。

 

ベルクソンの生命論もまた、「自由意志」を尊重し、人生は自らの手で「創造」していくことが大切だと語っています。

 

◆未来予知した人物はいたのではないか。釈尊や日蓮大聖人の未来予言があたっていたのはなぜか

 

人間の基本的な生命の法則を知っている人だけが、その法則によって「ある程度の未来を」予測することができます。

 

例えば、仏教の観点からいうと

 

最初の1000年間は正法で仏の教えが守られる

 

次の1000年間は「像法」と呼ばれ、徐々に仏法の力が失われていく

 

・そして2000年後は「末法」に入って人々の性質・生命の傾向性が悪くなり、人々はいろいろな災害・天災によって苦しむ

 

という歴史的パターンがあります。

 

釈尊や日蓮大聖人は、こうした歴史的パターンを見据え、また「根本的な生命の法則」に照らして予言したのであり、「オカルト的」な、魔法のような能力によってではないのです。

 

一人の超越者だけが人間の将来を決める鍵を持つ、というのはそもそもおかしなことです。

 

仏法に照らしていうなら、人類の将来がわからないからこそ、ひとり一人が努力して宿命を転換します

 

そして、宿命を転換する力が人間にあるからこそ、人間の生命は限りなく尊いのだといえます。

 

◆未来予知より大切なこと、それは世の中の真理を見極め、何ものにも動揺しない生き方を確立すること

 

このようなパンデミック・「天変地異」などの現象が起きたとき、「生け贄」を供えていた時代がありました。

 

この生け贄を捧げることについて、釈尊に問うた人(プンナカ)がいます。

 

「隠者や普通の人々やバラモンは、何故神々に盛んに生け贄を供えるのですか」

 

これに対し、釈尊はこう答えます。

 

「プンナカよ。彼らは熱心に供養したが、それは欲望を達成しようと望んでいるだけである。」

 

熱心に祭式を行う者達は、”今の自分”に貪欲に執着し続けるからだ。

 

彼らは生の苦しみや老いの苦しみを恐れて儀式を行うが、決して苦しみを乗り越えることはできない

 

釈尊は、こうした儀式を批判した人でもあります。

 

今の自分に”貪欲に執着する”から

 

・もっと財産が増えますように

 

・社会的地位が高くなりますように

 

と望みます。

 

なんとしてもその欲望を叶えようとするあまり、火を燃やし生け贄を捧げるなどの儀式が行われていたというのです。

 

全ては移り変わります。

 

自分というのも日々に老い、やがて死んでいくのが道理です。

 

この真実を真っ向から見つめ、常住の世界をひらいていくところに、本当に不動の境地が開かれることを釈尊は教えたのです。

 

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