日常の謎〈9〉探していたものとは別のものを見つけるのは、なぜだろう

木製の引き出しの奥で見つかった鍵

何かを探していて、探していたものとはまったく別のものを見つけることがあります。

引き出しの奥を探していたら、以前なくしたと思っていたものが出てくることがあります。

それだけなら、まだ不思議ではないのだけれど、ときには、

「さっき、ここを見たはずなのに」

と思うことがあります。

引き出しの中身を一度取り出し、隅々まで確かめたつもりだったのに、もう一度見ると、探していたものが何事もなかったようにそこにある。

誰かが置いたわけでも、急に現れたわけでもなく、

ずっとそこにあったはずなのに、なぜか最初には見えなかったのです。

 

探し物をしているとき、私たちは目の前にあるものを、そのまま見ているようでいて、実際には頭の中に思い描いた形を探しているのかもしれません。

思っていたより小さかったり、向きが違っていたり、別のものの一部に隠れていたりすると、目には入っていても、それを探しているものだと認識できないことがあります。

また、

「早く見つけなければ」

という気持ちが強くなるほど、かえって視野が狭くなってしまうこともあるのでしょう。

見つからないと思って一度その場を離れ、気持ちが落ち着いてから戻ると、さっきまで見えなかったものが、急にはっきり見えることがあります。

物は、最初からそこにあり、

変わったのは、物のほうではなく、こちらの見方だったのかもしれません。

 

探すのをやめたとき、見つかるもの

これは、物だけではなく、答えを探しているときにも起こることがあります。

どうすればいいのだろう。

何が正しいのだろう。

いくら考えても答えが出なかったのに、考えるのをやめて、お風呂に入ったり、散歩をしたり、まったく別のことをしているときに、

「あ、そういうことか」

と、突然答えが浮かぶことがあります。

一生懸命探している最中よりも、探すのをやめた瞬間に見つかることがあるのです。

それは、頭が働くのをやめたからではなく、

考えるための余白ができたから

なのかもしれません。

意識ではもう考えていないつもりでも、それまで見聞きしたことや考えたことが、どこかで少しずつ整理されている。

そして力が抜けたとき、ばらばらだったものがつながって、ひとつの答えとして浮かび上がってくる。

もしかすると、探している答えは、どこか遠くにあるのではなく、

思っているより、ずっと近くにある

のかもしれません。

ただ、それを見るためには、ときどき「探すこと」から離れる必要があるのでしょう。

 

探すことによって、見えてくるものがある

一方で、何かを探すという行為そのものが、普段なら見えなかったものを見せてくれることもあります。

何かを探しているとき、私たちは普段とは少し違う目で、身の回りを見ています。

いつもなら開けない引き出しを開けたり、

棚の奥へ手を伸ばしたり、

普段は通らない道を歩いたりもします。

目的があるからこそ、いつもとは違う場所に目を向けるのです。

本棚を整理していたら、昔読んだ本や懐かしい写真が見つかったり。

買い物に出かけたときにも、

「今日はこれを買おう」

と決めていたはずなのに、別のものが目に留まり、結局そちらを持ち帰ることがあります。

探し物そのものは見つからなくても、それまで存在を忘れていたものや、見過ごしていたものに気づくことがあります。

もしかすると、

「あるものを探していて、別のものを見つける」

という出来事には、

「探していたからこそ、見えるようになった」

という意味もあるのかもしれません。

何も探していなければ、見つけることもなかったものです。

 

人生にも、同じようなことがある

人生でも、私たちは何かを求めて進んでいます。

仕事を探す。

自分に合った居場所を探す。

理解してくれる人を探す。

幸せになれる方法や、自分らしい生き方を探す。

けれど、思い描いていたものが、そのまま見つかるとは限りません。

希望していた仕事に就けなかったけれど、別の場所で思いがけない経験をすることがあります。

会いたかった人には会えなかったのに、その途中で別の人と知り合うこともあります。

行こうとしていた場所へ行けず、予定を変えたことで、知らなかった景色に出会うこともあります。

そのときには、

「予定どおりにいかなかった」

「探していたものが手に入らなかった」

としか思えないかもしれません。

けれど、少し時間がたってから振り返ると、

あのとき道を外れたからこそ、今の場所へつながった

と思えることがあります。

 

予定から外れることは、失敗なのだろうか

私たちは、目的を決めたら、そこへまっすぐ進むことが正しいと思いがちです。

途中で道を変えることや、予定外の出来事が起きることを、失敗のように感じることもあります。

けれど人生は、ときとして、ちゃんとした理由があって、私たちを予定していた道からそっと外すことがあります。

探していたものが見つからないことで、別の場所を見るようになる。

予定が崩れることで、新しい方法を考えるようになる。

思いどおりにいかないことで、これまで選ばなかった道へ足を踏み入れる。

そうして出会ったものが、後になって、自分にとって大切な意味を持つことがあります。

思いどおりにならなかった出来事の中にも、次へ進むための材料が隠れていることがあるのだと思います。

 

探していたものより、大切なもの

私たちは、自分が何を探しているのかを、いつも正確にわかっているとは限りません。

欲しいと思っていたものと、

本当に必要としていたものが、

少し違っていることもあります。

だからこそ、探していたものとは別のものが見つかったとき、

「これは関係ない」

とすぐに片づけてしまわず、少しだけ眺めてみるのもよいのかもしれません。

なぜ今、これが目に入ったのだろう。

なぜ忘れていたものが、今になって出てきたのだろう。

そう考えてみると、偶然の発見の中に、今の自分へ向けられた小さなヒントが見つかることがあります。

そして、どうしても見つからないときには、

一度探すのをやめてみる。

そのくらいの余白があってもよいのでしょう。

探すのをやめたからといって、諦めたことにはなりません。

むしろ、目の前のものを違う角度から見るための時間になることがあります。

探しているものが見つからない時間もまた、
何かを見つける途中なのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました