◆一人で頑張っているのかも?ふいに不安に襲われることって、誰にでもある
仕事から帰る途中、或いは多忙な一日を終え一息ついた時、ふと孤独感に襲われる
なんてことがあったりします。
たった一人で問題の中に投げ込まれているような気がしたり、居場所なんてどこにもないのだと感じたり。
毎日がくたくたで、誰からも助けてもらえないのだと諦めていて、
自分だけがこんな目にあっている
ような気がすることがあります。
「頑張り過ぎ」てしまうのは、
子供の時から「耐え偲ぶ」ことは美徳なのだと教えられ、学校でも家でも、
「頑張りなさい」
「辛抱しなさい」と言われて育ってきたからかもしれません。
女性はとくに、愛されるためにはそうあるべきだと思っていることもあります。
◆強がる素振りが、周囲を遠ざけていることもある
また、皮肉なもので、人は気落ちしている時には誰かに相談したり、助けを求める気持ちになれないことも多いのです。
誰かが自分の力になってくれる
という考えを、なかなか信じられずにいるし、
そのような場合、往々にして
強がって
見せてしまうこともあります。
屈辱を感じるから
です。
それが解決されてから
「え。あなたも・・・だったの?」と驚いたり
「そうすればよかったんだね」なんて笑って言えたりはするけれど、
ある段階で行き詰まって、それ以上前に進めなくなる
ということがあります。
いつかは通り過ぎることであっても、一度
悲観的な考えに圧倒されると、
「永遠の絶望」のように
感じてしまう、
でも、
本人は
一生懸命気づかれまいとする
ので、周囲には気づかれにくいし、弱みを見せたくないという素振りが、
益々人を近寄り難くさせていたり、かわいげなく見え、
「なら、勝手にすればいいさ」と思われていたりもします。
◆一人で頑張り過ぎていると気付いたら、一度放棄してみる
それとは違い
一人では、ちょっとしんどいけど
それを言える空気ではない、言っても状況が変わらないだろうと思えるとき、
そこから脱するにはどうしたらよいのでしょう。
実は、私の身近では、あることが流行っていました。
それは「プチ家出」。
なにも別居したり、本当に家出したり行方不明になる必要はなくて、
「ええい、なにもかもやめたぁ~!!」と、一度放棄するのです。(気持ちのうえでね)
これは、ある
知人の話ですが、長年の怒りから一週間ご主人に離婚届けを差し出し、近隣のビジネスホテルに宿泊しました。
その一週間が功を奏し、離婚の手続きが面倒くさいし、
ここまでやれだんだからいいや、
と元のさやに落ち着きました。
その状況から離れてみる、そして空っぽにした
わけです。
私の経験から、
「頑張っている」時には、休みでもやっぱり頑張ってしまう
のです。
頑張り癖がついてしまうので、
一時的に放棄したところで、何も変わらないわ
と、思うかもしれません。
私もそう思っていましたから。
でも、違うのです。
何が違うかって?
一度本当に頭から消えてしまうと、
「やらなくちゃいけない」ことが何もなくなるので、
今度は「やりたくなる」気持ちがわき上がってくるのです。
また、
本当は、自分のためにすることなど殆どない
ことにも気づきます。
とりわけ
頑張ってしまう人というのは、
子供のためだったり、誰かを楽にするためだったり、笑顔を見たくてやっている
ことのほうが圧倒的に多いのです。
そういうことを
一切やらなくていいよ
と言われた時、さあ自分のために何かしようと思っても、何も思いつかなかったり、つまらなく感じたりします。
私は多趣味で家庭菜園、ダンス(体操部に所属していて、ヒップホップダンスに通っていました)、小物つくりなんかもしますが、
一人になったからそれらをしたいかというと、全くやる気が失せてしまいました。
自分の楽しみに興じているようでいて、やはり誰かのためだったり、誰かに認めてもらいたいと思っていたりします。
また、
「どうなるかわからない」という不安定さや緊張感が
あって、生きることを楽しめたりもします。
楽しむ時間が必要なら、思い切り楽しむのが良いと思います。
私も数年年から週一で「自主練!」と称して「一人カラオケ」に通っていますが、この時間だけは
家族にも
「この日だけはダメ」と言って他の一切から解放されています。
今のところ、反論はありません(^_^;)
絶望や落ち込み、欲求不満・苦悩・不安・混乱に苦しみながら、或いは
惰性で行っている時と、
「それをしたいから」という気持ちで行うのとでは、生きる質が違ってきます。
「バランス」は大切で、どんな良いことも身勝手なことも、行きすぎれば害になります。
◆一人で頑張る!つい強く見せがちな人は、弱さを認めることを学ぶ必要もある
社会人になると、自分と人との関係は調和だけで成り立ってはいないことも学びます。
非人情と人情の緊張関係の中で、心がバランスを失うこともあるかもしれません。
そうした中で
人に弱さを見せてはならない、
強いあなたをつくっている心が、そういうのかもしれません。
けれど、うまくまわっているところにはたいてい、強い協力関係があるものです。
人との関係を長期的なものにするためには、相手に親しみを感じてもらう必要があります。
その親しみは、自分や相手の不安に敏感に反応し、
お互いの弱さを見せることにより培われます。
あなたは経験ないでしょうか。
ある人と弱さを共有することができたとき、恥だと思っていたことに対し、祝いたくなるような瞬間。
本当の自分を見せることの心地良さ。
いいところを見せるより、弱さを見せることのほうが親密に感じてもらえます。
確かに、頑張りはあなたを成長させてきたかもしれませんが、どんな時も平気な顔をしていると、自分の心に鈍感になってしまうことがあります。
弱い自分を認めることは、他の人の心の痛みに対しても敏感に察知できる
ことに繋がります。
一人で頑張ってしまう人の中には、
頼み方がわからない、うまく頼めない
という人もいます。
下手に出たり遠回しになるなど、
構えてしまうことがあるかもしれませんが、
案外率直に伝えた方が、お互いにストレスを感じずに済んだりします。
また、
相手があなたの依頼の内容を理解し、協力しやすくなるために
一つには
自分の状況を分かりやすく説明する、
二つめには
そのうえで、具体的にお願いごとを伝える
この二つが肝心で、特別なことではありません。基本はたいてい難しくはなく、誰でもわかっていることです。
例えば、
今日、実は○○までに○○しなくちゃならなくて、
20分だけ○○の業務手伝ってもらえるかな。
などのように、下手に構えず率直かつストレートに言う。
たすかるんだけど・・・とか、遠回しな言い方を考えていると、益々頼みづらく思えてきます。
あとは引き受けてくれた相手には感謝の言葉をつたえる。
それだけなのです。
人生が自分に挑んでくるかのように考えないで、
あなたの味方で協力したいと思っている人がいると考え、周囲を見渡してみることが大切です。
慣れない間は不安になるかもしれません。
それでもその中で、人と均衡を保つことを覚え、繊細な感情を育て、毎日を楽しむ方法を見つけだしてゆこう
とすることが実を結びます。
今の「人としての強さと智慧を獲得する機会」を生かしながらも、人と向き合い、調和の中で幸せを得ることを、「心から楽しむ」ことを自分に許してください。