スピリチュアル

それでも「死が怖い」ですか?

10月 26, 2020


◆人は何故「死」を恐れる?

人は生まれた以上、必ず死を迎えます。

有限の世界で、これほど確実なことはありません。

けれど、人はなかなかそれを受け入れることができません。

それどころか、なるべく

考えないように しています。

何故でしょう。

長い間

死は忌むべきもの

として扱われてきました。

近年になって、キューブラー・ ロス女史による 「臨死医学」 の研究などに関心が向けられ、

ようやく「尊厳死・ ホスピス・ 葬儀の在りかた」などが

問い直されるようになりました。

社会全体が、死に対する大きな「思い違い」に気づきはじめていますが、

まだまだ肯定的な受け入れには至っていない、というのが現実ではないでしょうか。

長い間、

死は「生の欠如・ 空白状態」

であるかのように思われていました

・生が善であるなら死は悪

・生が有で死が無、

・生が条理死が不条理

・生が明で死が暗、 等々・・

ことごとく、「死」はマイナス・ イメージを割り振られてきたわけです。

◆死を肯定的に捉え、「覚悟して」今を生きる

このような観点から「死」を見つめる時、あなたは大変苦しい思いをします。

けれど、

どちらにしても「避けられない」

のですから、死をおそれて生きるより「今」を懸命に生きることが大切です。

そのためには

「覚悟」して生きることが必要

だといった人が、ドイツの哲学者ハイデガーです。

彼は、

死を

根本的な不安

として位置づけ、

先駆的覚悟性

という前向きな気持ちへ転換しようとしました。

過去も未来も、どうすることもできません。

不確実な未来に悩まされるのではなく、

人生の先にある可能性を先回りし了解して覚悟することが大切

だと伝えたのです。

否定的な見かたをしたまま覚悟することはできませんから、

死を肯定的に捉えることが大切です。

死の不安をやわらげるもの、それは

今現在を賢明に生きること

です。

 

死を肯定的に受け入れることで、私達は初めて「生」も肯定的に捉えられるようになります。

 

◆死も「生」と同じ「恵み」

かつて私の父(一時的に養父であった人)は、仏法を学ぶ私に何かと難癖をつけてきたものです。

ところが死を間近にして、幼子のように「死」について私と話をしたがるようになりました。

結局、

誰もが いつかは 向き合わなければならなくなります。

父に安心して旅支度をしてもらえるよう、できる限り誠実に話をしましたが、実際のところ、話しながら私自身が学んでいました。

「死」を受け入れることによって、初めて人は今を「生きる!」ことができるのだ

、とその姿から教わっていたのです。

死は単なる生の欠如ではなく、

生と並んで一つの全体を構成する不可欠の要素

仏法では、

生死など一切の事象は縁に触れて

「起」 すなわち出現し、

「滅」即ち消滅しながら、 流転を繰り返していく

と説かれています。

もっとわかりやすく言うなら、死とは、

人間が睡眠によって明日への活力を蓄えるように、

次なる生への充電期間のようなもの

決して忌むべきではなく、 生と同じく恵みなのです。

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