家族間の人間関係について<2>親は子供の課題から離れる
◆家族の間に起きる悩みは、自分を変えていくためのもの
先月から引っ越し絡みで不動産に行くことが多くなり、お世話になっている店長さんとも懇談するのですが、
子供が結婚してからも一緒に住む、そのための家を希望される方が多いと聞きました。
私の場合、それとは逆で、引っ越しの目的というのが「子離れ」なのだと伝えると、店長さんに珍しいケースと言われました。
勿論、子供達がしょっちゅう家に来てくれることは嬉しいことなのですが、
家族の構成によっては、それがとても負担になることもあります。
うちは娘4人で、まだ子供部屋もそのままなので、ついつい居心地よくなってしまい、
一人来れば2人、3人と集ってしまい、
いつしか「夕食まで食べて帰る」ことが当たり前になっていきました。結婚して子供もいる子もいるのに(~_~;)
それが日常的になっていくと、いつまでも私は解放されなくなってしまいます。
家が駅に近いこともあり、どこに出かけるにも便利なので、そのまま暫く帰らないこともあります。
◆「老後のために」子供から離れない選択が、かえって老後を苦しいものにすることだってある
今回の引っ越しは、
ここは思い切って離れる必要があると、行動に出たということになります。
子離れできないのは、むしろ私のほうかもしれないから。
実は私のこの話をうけて、周囲もざわつき始めました。
それだけでも、こうして実践に踏み切った価値はあるかな、と思います。
「将来子供に面倒をみてもらうことになるから」という頭は、私にはありません。
そうはいっても、死を迎える頃には、何かと面倒をかけることにはなると思います。
ただ、
「やってあげたのだから」という思いは見事に裏切られ、
なんなら
「もっとやってくれて当然」という思いに変わることがあります。
老後の自分に縛られていては、かえって問題を幾つも抱えることになるでしょう。
親は、とりわけ母親は、愛情の献身的な一面が強調されるあまり、自己を捨てた愛情が美しいとされる傾向があります。
けれど、私が実際育ててみて思うのは、そうした心構えでいることが、
「どんな我儘を言っても聞き入れてもらえる」
と子供に考えさせることになるなら、甘えた根性を持たせる結果になってしまうだろう、ということです。
また、
献身しすぎてしてしまうと、有難いという気持ちも薄れ、「やってくれて当然」のようにもなってゆきます。
親は、子育てが一段落した後も子供が抱える課題を自分の課題のように抱えがちですが、
それを、少しづつ変えていくことが大切です。
考え方は本当に人それぞれで、ある方からは
娘が4人いれば、孫を含めて9人ぐらい見るつもりでいることが大事だよ、
と言われたこともありました。
そうした言葉を聞くと、なんとも後ろ髪をひかれるような思いです。人の世話が嫌いなわけじゃないから。
◆やってあげられることがあると思っても、子供の自立のためには、堪えて見守る姿勢が必要
家族の在り方に関しては、日本と欧米との比較もされますよね。
日本の家族意識は、親と子の関係を軸に形成され、欧米では夫婦一世代を中心に、
子供は別人格
として扱われています。
親子の一体感を大事にしつつも、子供の自立を大切にする
欧米に学ぶ姿勢は大切だと思います。
親にとって、一番大切なのは、「子どもの幸せ」であるのですが、
そのために「子どもを変えよう」としてしまうことがあります。
「あなたのためなのだから」と。
でも、
大人の都合で表面的な解決ばかりを焦ると、かえって問題をややこしくしてしまうことがあります。
大人は子どもを信じ抜き、大人自身も成長していくことが大切です。
この子こそ、私を立派にしてくれる存在なのだ、という心が大切であったりします。
親子の縁は不思議です。
三世ー現世・過去世・未来世ーから見れば、どれほど深い絆で結ばれているか。
その子どもが自分に、そして家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれます。
それを親がどう受け止めるかで、親も、子どもも、大きく人生が変わってきます。
ある体験手記を読んだことがありました。
ある夫妻のお話でした。
その方たちの間には子供が二人いるのですが、
お兄ちゃんは出世街道まっしぐら。やがて結婚し、親元からも離れてゆきます。
弟は早くから地元を離れ、とある工場で真面目に働いていましたが、友達や彼女のいない寂しい生活が続いていました。
夫妻はそんな弟を不憫に思い、
部屋が空いているから戻って一緒に暮らさないか
と言います。
言われたとおり弟は戻ってきて、両親はあたたかく迎え入れます。
けれど、その子は仕事を辞めて戻ってきた流れでそのまま実家にいついてしまい、夫妻は
長きにわたり、その子供の世話をし続ける
ことになってゆくのです。
このような話は、今はどこにでもありそうで、人ごとではなくなっているようにも思います。
子供の幸せのためと思ってしたことであっても、大きな目でみれば、不幸の原因をつくってしまうこともあります。
力を発揮するための機会を奪い、弱体化させてしまうことがあります。
「してあげられることがある」と思っても、あえてそんな自分を制止し、
「見守り続ける」忍耐が、親には必要なのかもしれません。