ライフスタイル 人間関係

人が信じられなくなっているのですか

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◆一人の方が気楽、って思える時もあるよね(^_^;)

 

いつの時代も「人間関係」の悩みはなくなりません。

 

人間は本来利己的なものです。

 

それは生きるための本能がしからしめるので、簡単には解決できないし、なくすこともできません。

 

度重なるいじめに遭ったり、信頼していた人に裏切られたり、表の顔と裏の顔が違っていたりして、そのショックが大きくて

「人なんて信用できない」と思うことがあると思います。

 

私も一時は「一人でいいや」と思っていたことがありました。

 

前に話したように、学生時代には酷いいじめも経験していますし、

 

一人のほうが気が楽なのは確かでした。

 

もしかしたら、あなたもそういう人であるかもしれません。

 

けれど心は人に認められたがっている

 

けれど、この世界で人間関係はなくてはならないもの。時に、真の友情や人の心の美しさに出逢うことだってあると思います。

 

過去を切り捨てられなければ、人生の後半には悔いの多い、グチの多い生き方が待っていたりします

 

それよりも冒険をおかしてもより建設的な、より創造的な生き方に切り替えられるようになるほうが、人生を豊かにします。

 

哲学者ゲーレンは

 

困窮の重圧は、人間学的には、おそらくたいへんな意味をもっている

 

といいます。

 

この「困窮」とは、現実の厳しさを意味しています。

 

この言葉をうけ、

 

精神科医の神谷美恵子氏はこう述べています。

 

人は、あまりにも能率よく すらすら生きてしまうよりも生命をひとこまずつ、てづくりで作りあげていくような

骨折りを重ねていきていくときのほうが、心の豊かさというものも現われやすい

 

 

不信とエゴの渦巻く社会の中で、「最後まで信じられるのは自分だけ」と思うのは、きっとあなただけではないことでしょう。

 

私も、職場で「この人は信頼できる」と思って何でも話していたのに、実はただ「話しやすかった」だけで、信頼に足る人ではなかったと気づき、慌てて距離を置いた、ということがありました。

 

釈尊は、善き友に巡り会うことは仏道の全てだという一方、悪縁に染まらないように注意もしていました。

 

どのような友とつきあっても、どのような人とつきあっても、人はやがて友に似てくる。

人とつきあうということは、そのような性質のものなのだ。

故に、賢者は、果物入れの中の果物に触れて次々と腐っていくように、自分も他に影響されることを知って、決して悪人とつきあってはならない。

よき人とつきあいなさい

 

と言っています。

 

そうはいっても「悪人」とまでは言い過ぎで、「あなたが向上するのを阻む人」と言い換えたほうがいいかもしれません。

 

私はこの言葉を受けると同時に考えるのです。

 

あなたがもし、「人間なんて信じるに値しない」と考えたまま生きるとしたら、それは「いやな思い出」に関わり続けて生きることになりはしないか、と。

 

そのいやな思い出が、あなたにパワーをくれることはありません

 

あなたを辛く、暗く、ただ消極的にさせます。

 

新しい生き方・方向転換を決心させ、内面的な上昇をさせてくれた有り難い経験と感謝して手放し、明るく生きなくてはいけません。

 

そんなことにかかずらっている暇はないほど、あなたは気高く颯爽と生きていかなくてはならない人です。

 

◆狭い人生観・世界観に囚われず、最高の生き方を求め生きる

 

最初から「完成された」人はいません。

 

むしろ「完成」などはなく、無限に自分を成長させていく道が、私達の前にはあるのみなのかもしれません。

 

自分は弱い存在であると自覚し、成長をめざして行くなら、自己の前に無限の道を開いていけます

 

もしも、自分の弱い心に従ってしまうなら、その道を閉ざしてしまうでしょう。

 

安易な自己肯定は、自己への妥協でしかないのです。

 

あなたの「尽きることのない」明るさ、それでもそれでもと灯し続ける光は自身も明るく照らし、深みのある魅力的な人生を築かせてくれます。

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