日常のひとこま

日常のひとこま 2025年4月

4月 9, 2025

2025年4月26日

掃除するとき捗る本

AmazonのAudibleオーディオブックが面白くて、出先で利用しています。

ライブラリーに幾つか入れておけば、「いまはこれが聞きたいな」と思うものに切り替えでき、

切り替えても

「途中」からまた再生することができます。

 

いま聞いているものは、短編小説だったり、長時間サスペンスだったりするんですが、

ある時間になると

「全捨離したら人生すべてが好転する話」を聞いています。

こんまりさんをはじめ、

似たような「片付け」の本は幾つか読んだのだけど、この本の著者は

「全部捨てろ」というくらいの勢いです。

内容を聞いたら「なるほど」と思うんですが。

読んでいるうちに、片づけたくなってくるので、掃除をしよう!という時に聴くようにしています。

すごく捗ります。

 

私達は、「物にも生命がある」と心のどこかでわかっていて、

だから勿体ないことはしたくない

と考えます。

それが「高いもの」であるほど手放すのが惜しくなる、このまま使わないだろう、と思っても。

 

私はどちらかというと「どんどん捨てる派」です。

それでもまだ「とってある」ものがあって、

「使わないとわかっていても捨てられない」のは、どんなものかというと、たいてい

「記念」のものです。

例えば「あの日、○○さんからもらったギフトの『箱』」だったりね。

それがなくなれば、縁とか、それとともにあった思いもなくなってしまう気がしてしまうんですね。

 

でも、もしかしたら

「箱一つ大事にとっておく私」に酔ってるだけかもしれません。

物には

私達と同じように生命が宿っている、とどこかでわかっていながら、

それを使ってあげずに

永遠閉じ込めておくのだとしたら、

それはただ、生き地獄を味合わせているだけ

(活かしも殺しもしない)

なのかもしれません。

私が持って生まれた能力を生かさずに放置している

のとおなじ、手放してあげれば、その才能をいかせる道が開けるかもしれないし、

別の「もっといいもの」に生まれ変われる可能性があるというのに。

 

物を「大事にする」ことと、「いつまでも持っている」ことは

同じでしょうか。

先日、たまたまTVをつけたら、小泉孝太郎さんが、

「お父さん(元総理大臣の小泉純一郎氏)はものが壊れるまで使うんです。」、といって

その再現シーンが描かれていました。

 

やっぱり物だって

人と同じで、

さいごまで使い続けてあげる=大切に思い、その寿命をまっとうするまで大事にするよ

と言う人のもとに行きたいと思います。・・し、そうされたら本望ですよね。

愛されて、しあわせだな~、って思う

と思います。

(物達の間で噂が広まって、「物には困らない」人になるかもしれません。)

でも、そうではないとしたら?

愛されもせず、手元に置かれながら無視され続けているとしたら?乱暴に扱われているとしたら?

 

また、著者の櫻庭露樹氏は、

それを手放せずにいるせいで、そこに宿っている「気」がいつまでも留まることになる

次にあなたを待っている人が入ってくることができない、

ともいっていました。

「痩せたら着よう」と思っても、痩せたら着ません、

とも言っています。・・だろうね、そうなったら、たぶん

とってあった流行おくれの服にはめもくれず、もっと素敵な服を買いに行くと思います。

潔くならない私達の心を「これでもか」「これでもか」と押してくれる感じがしました(まだ聴いてる途中です)。

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