最近、新聞でとある俳優さんの記事を読みました。
仕事がなく、必死に自分を売り込み、
仕事をもらっていた時代があったこと。
そうして少しずつキャリアを積み重ねていった
ある頃、どうしても拭えない思いが、
心に浮かぶようになったそうです。
「なぜ自分は、主役級の俳優になれないのだろうか」
その問いに、ふと気づいた瞬間があったのでした。
――それは、私自身が
「自分は主役級の俳優だ」と
思えていなかったからじゃないか。
人生の主役は、誰かに選ばれるものではない。
人生の主役は、私だ。
さらにその俳優さんは、
「誰かがステージを与えてくれるのを待つ必要なんてない。
輝ける場所は、自分で創りだすものだ」
と語っていました。
それから後、ある番組に出演し続けていくうちに、
番組が、自分が思うのとは違う方向へ
進んでいくようになりました。
それでも続けていけば・・
自分を押し殺し番組に合わせていれば
人気が出るチャンスはあったかもしれない。
けれど、番組の方向性が自分の信念とズレていく中で、
あえて降板を選んだそうです。
以前の自分なら、できなかった決断。
でも、その選択をしたことで、
結果的に世界は、むしろ広がっていった――
そんな話でした。
この記事を読みながら、
私は、かつての自分のことを思い出していました。
ある日の夢をきっかけに、
私は「夢占い」という分野に強く惹かれるようになりました。
(ある日の夢ーツインレイの記事の中で書いたこともありました、あの頃見た不思議な夢の数々が夢を解釈し始めたきっかけなのです)
夢は、人生と深くつながっている。
そう感じていた私は、
その縁で夢占いの記事を書く仕事にも関わることになります。
けれど、そこで求められていたのは、
夢そのものの意味や、人生とのつながりよりも、
「検索されやすさ」や
「決められた型に沿った書き方」でした。
もちろん、それが必要な場面もある。
でも、私が感じていた
「夢は、その人の人生の現在地を映すものだ」
という思いとは、
少しずつ距離が開いていきました。
もとより、
「心」に関わる問題に、
実務的な策や合理性だけを求められることには、
どこか拭いきれない違和感がありました。
合わせようと思えば、合わせられたかもしれない。
続けていれば、評価されたかもしれない。
でも、書くたびに、
どこか自分の言葉ではなくなっていく感覚がありました。
これは、私のやりかたではない。
Hasulikingでツインレイの記事を書き始めたときも、
同じような場面がありました。
読まれやすい形、
受け入れられやすい表現。
そうしたものに寄せて書けば、
クライアントからは評価される。
けれど、それでは、
どうしても書けないことが残ってしまう。
そのとき、私は
先の俳優さんと同じ気持ちを抱いたのです。
――待つのではなく、
私が輝ける場所を、自分が好きな場所を 自分で創っていけばよいのだ。
誰かに選ばれるのを待つ人生と、
自分の信念に立つ人生は、
似ているようで、まったく違います。
前者は、常に「評価」が先にあり、
後者は、「納得」が先にある。
どちらが正しい、という話ではありません。
ただ、ある段階を越えると、
以前の自分にはできなかった選択を、
自然に選ぶようになることがあるのだと思います。
それは、強くなったからではなく、
もう、自分をごまかせなくなったから。
誰かが用意したステージで輝けなかったとしても、
それは、輝く力がなかったのではなく、
まだ、自分の居場所を創っていなかっただけなのかもしれません。
Hasulikingは、
私にとって、そうした
「自分の言葉で立てる場所」です。
ここでは、
正解を急ぐ必要はなく、
評価を追いかけなくてもいい。
ただ、自分の人生と地続きの言葉を、
静かに置いていけたら、それでいいと思っています。
あなたの人生も、
誰かに用意されたステージの上だけに
あるわけではありません。
まだ見つかっていないだけで、
これから創られていく居場所が、
きっと、どこかにあります。


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