◆不倫関係を終えることができないのは、満たされない思いがあるから
◆不倫関係を終えることができない人は、自己憐憫にふける習慣があるかもしれない。
◆不倫関係を終えることができない、それを生きることでしか、解決できないこともある
◆不倫関係を終えることができないのは、満たされない思いがあるから
幸せになりたい、そう思っている時に魅力的な人があらわれると、その人はまるで、救世主のように感じられることがあります。
あなたにも相手にも伴侶がいて、
お互いが相手に不満を感じ、「もっといい相手」を思い描いている時、
その人は現在の相手に欠けている、素晴らしい性質をあなたに投影させたりします。
この人こそが運命の人
この人こそ、私が求めていた人なのだ、
あなたに、そう思わせてしまうのです。
生まれながらに情緒が豊かで、繊細な心をもっていて、傍に傷ついた人を見ると放っておけなくなる、あなたはそんな人であるかもしれません。
だから
「妻に愛されていないんだ(夫に愛されていないの)」
「甘えるところがないんだ(甘える場所がないの)」
といって近づいてくる人に、あなたは同情し、
自分なら救ってあげられる
そんな風に思ってしまうこともあります。
けれどその関係を持続させ、最終的に一緒になるために、あなたは大きな問題を背負い込むことになります。
相手の問題を背負うためには、あなた自身がまず自分の足で立っていなくてはなりません。
時にはお互いに離婚が成立し、一緒に人生をスタートさせられたとしても、
自分に降りかかっている問題を、「自身の問題の解決」を未解決にしたまま、新たな関係を作ろうとしているところ
に問題があります。
もしも一緒になった後であなたと相手の間に何らかのすれ違いが生じた時には、同じように(前回はあの方法でうまくいったと考え)
他の人を自身のヒーラーに招くことになるでしょう。
問題は益々複雑になり、一時的に相手や自分の苦痛を和らげることはできたとしても、根本的な傷を癒すことには繋がりません。
こう考えてみることが大切です。
「今の問題を処理するために、決意させるために、この人は目の前にいる」
新たな人を求める方向にあなたを追いやった問題と向き合う、
そのタイミングが訪れたと考えることなのです。
どのような関係で始まったにせよ、
その人が、あなたにとって本当に必要なものは何か、考えさせてくれる手助けをしてくれていることは確かです。
問題が解消された後でも惹かれあっていること、「問題」によってではなく、「愛情」によって結ばれあっていることが大切なのです。
◆不倫関係を終えることができない人は、自己憐憫にふける習慣があるかもしれない。見直してみて。
何度も不倫の罠に落ちてしまうという場合、あなたの中にある思考の癖が、そのような相手を引寄せている可能性があります。
例えば、
誰も自分を愛してくれない。
みんなして私を利用しようとする
そんな風に、自己憐憫にふけることが多かったりします。
過去の傷ついた場面を再生し続け、長い期間を悶々と悩みながら過ごしていたりします。
実は、私自身がそう(自己憐憫に陥りやすかった)でした。
幾つかの記事で発信していることは「私自身」であり、それは他の人の一部分であったりもします。
影がうすいと感じたり、仲間外れにされると思ったり、勿論事実であるのかもしれませんが、
こうした意識を発信し続けていると、それがまるで予言のように現実化していくようになります。
ほら、その通りになったわ
きっとこの人も同じ。私はただ利用されるだけ。
そんな風に思っていると、宇宙はその予測に答えるようにあなたを利用し、使い倒そうとする人を送り込んでくるでしょう。
自己憐憫に陥りやすくなるのは、その感覚が自分を労り、慈しむ感覚に似ているからです。
そうして現状に不満を感じるようになったとしても、手放せないでいるのは、
一度馴染んだものが、あなたにとっては安心を提供してくれるものだから。
それが自分の人生にそぐわないものであっても手元を置いておきたい、と考えます。
けれどもそうして固執している限り、あなたが求める幸福はずっと訪れることはありません。
あなたにとって肝心なことは、
「傷ついた時、殻にこもる」のではなく、
「自分の感情を言葉にして伝え」、情緒領域を拡大していくこと
であったりします。
そうして勇気を出し、不要な感情を放出し浄化していく課程で、あなたは上手に感情処理ができるようになり、
心に隠された多様な感情に囚われることもなくなります。
古くて機能しなくなったものに留まることなく、ワクワクした未来に向けて前進していくことができます。
◆不倫関係を終えることができない、それを生きることでしか、解決できないこともある
冒頭でお話したように、あなたは人の感情にデリケートに反応するため、人の辛さ・悲しみなど、否定的な感情・不快感を持ち続けている人に翻弄されてしまうのかもしれません。
そのつもりはなくても、つい共鳴し、受け皿のようになってしまうことがあります。
ただ、そこまでは自分の役割としてできたとしても、その後はそれぞれの決断に委ねることが大切です。
感情を外に放出する回路を見つけてあげればよく、あなたがその問題を引き受け、痛みを被る人になってはいけないのです。
その習慣がついてしまうと、優しいあなたは犠牲的精神で生きることは当然だとも思いかねません。
お互い一時的な関係、遊びと割り切る関係なら悩むことはないでしょう。
でも、どちらかが相手にのめり込み、なんとかその人の「心」を自分のものにしたいと思ったとき、その焦げ付くような気持ちに支配されてしまうこともあります。
そんな時、他の人が
「それはやめたほうがいい」と幾ら言ったところで、抜け出すのは難しいのです。
とうにわかっているのです。
「それは正しくない」ことなど。
でも、あなたは
その人でなければどうしても満足できない
のです。
だから、徹底的にその道を生きてみることでしか、解決できなくて、
その中で何かをつかみ出していくことが、あなたにとっての正解であるのかもしれません。
◆不倫関係を終えることができない時、より気高く生きるために用意された試練と考えてみることも必要
あなたにとって大切なこと、それは
自分自身を豊かにすること
です。
何をしたって自由じゃないか、
本心でそう思っているなら、そもそも悩んだりはしません。
人は、誰しも自分らしい自分の開花を求めています。
それが妨げられていると、「うつろな心」になったり、
破壊的な行動に走ってしまうことがあります。
時に、
「自分はまだ捨てたもんじゃない」ことを確認するために、「人が振り向くような見栄えのいい人」と関係を持ってしまうこともあるでしょう。
「バレなければいい」と不倫して、誰にもバレなかったとき
とは違う、
「自分の良心を惑わすものを払いのけることができた」ことで生まれる感情
カントのいうところの
欲望に流されず、自分の中の道徳法則に従ったすがすがしさを味わう
ことが大切なのですが、
あなたが成長するに従って、次への扉を開けるために体験する試練の難易度は高くなっていきます。
それは「肉体的」なところから「魂」に向かうからです。
内面へ、或いは行動や生き方の素晴しさへと移っていくからです。
「あなた自身」
だけでなく、相手ができるだけ善い人になるよう配慮し、見守り導いていくことができるかどうか、
賢いあなたは自問することができますが、欲望には勝てないかもしれません。
あなたはその都度、人が羨むようなものを手に入れるかもしれませんが、それはあなた自身を美しくしたり、よくするものではない場合があります。
相対的な幸せと、絶対的な幸せとの間にあるものは、
「あなた自身」を美しくするものを手にいれるか否か、ということでもあります。
あなたは、この世界で見る諸々の「よいもの」を手に入れ、そこから更に次の「よいもの」を得て生きていくでしょう。
その途上で様々な「惑わすもの」にも出逢います。
時には、あるものに囚われ、長く居続けてしまうこともあります。
例えば、肉体的な快楽に溺れてしまう、などです。
その外側にはもっと素晴らしいものがあるよと声をかけられても、今があまりに刺激的で、あなたの情熱をかきたて
それ以外のものを見ようとしていないのかもしれません。
他の人が、どんなに手を引っ張ってもダメなのです。
その先に進むためには、どうしても あなたの意志が必要なのです。